日本史学習拾遺

日本史よもやま話、授業の補足、学習方法

環濠集落、条里地割、溜池・・・奈良には確かに多いです 歴史地理学スクーリング その2 

2017-02-11 22:51:28 | 大学通信 スクーリング

前回に続き、昨年2月の奈良大通信教育 歴史地理学スクーリング三日目の記事です。


学外授業で出会ったお馬さん



同じく学外授業の写真から、おしゃれな蔵。
確か○松さんという名字の人が多いとかで、蔵の家紋?のデザインもそんな感じで。

朝、個人的に興味のある石見鏡作神社を訪れてから、大学に向かいました。それについては後で書きます。

スクーリングの三日目は、基本的に座学で、午後に試験があります。
とにかくたくさんの資料を三日間で配布していただきました。
試験は、野外実習で訪れたエリアの地図にいくつかのポイントを書き入れたりするもの、座学で説明を聞いた内容から選択して解答するものなど、とりまぜて結構ありました。
そこそこ授業を聞いていないと解答できない感じでしょうか。私もあまり真剣ではない方なので危うい感じではありましたがどうにか埋めました。

一つ、自分の覚え用としても書いておきますと、奈良盆地底部における村落景観の特徴に関する問題がありました。
授業で聞いたところでは、大きく三つのキーワードにまとめられるということです。
①集落形態としては「集村」が見られる。環濠集落が多い。14~16世紀に形成された。
②条里地割
 律令制に基づいて区画された水田がみられる。奈良に残る水田の区画は、一辺がおよそ100mであるものが多く、条里制の名残りであるとのこと。
 すごいですねー。律令時代から田んぼのサイズが変わっていないとは。その頃から営々とお米が作られ続けてきたということでしょうか。なんとも由緒正しい田んぼです。
③溜池
 条里制以前から存在していたそうですが、16~17世紀を中心に築造されたそうです。
 この溜池については、つい最近、奈良にまつわる面白い記事でも話題として見かけました。都道府県別の貯蓄額か貯蓄率か、それが奈良は全国1位なのだとか。その理由として、奈良では少雨に備えて溜池がたくさんあり、そのような備えをしっかりする土地柄なので、危機管理にすぐれており、貯蓄もしっかりするからなのだという趣旨の記事を読みました。大ざっぱでうろ覚えですが大体そのような話でした。さすがですねえ。奈良の方々はしっかりしていらっしゃいますね。

確かにここに挙げられているような特徴は、よくわかりますね。
試験時間は60分で、案の定、私は早めに書き終えて出て来ました。

試験を終えて、近鉄奈良駅まで行って、私が好きなカフェ、ロココ(ロクメイコーヒー)に入りました。
ニカラグアのコーヒーがおいしかったです。

そして、後日、成績通知書とともに、答案と、解説が返って来ました。スクーリングでこのように答案の返却があるというのは、私が受けた科目では他にありませんでした。丁寧な解説付きで、本当に細かい所まで気配りの行き届いた授業でした。受講生も多いし、先生も準備でご苦労されていると思います。
よく、大学から、宿泊を伴う小旅行のような巡検の案内(ツアー)が送られてきます。その主催もこの授業の先生ということで、本当に地理学の先生は、あちこち旅に行かれて、そのあちこちを地理的によく知っているということは、それだけでも人生が豊かであるように思われました。
そんな(古)地図の世界の一端を、教えていただいて、よい勉強になったなと思いました。
成績は、適当な私でも90点で、この科目(の試験)は、結構、もっと高得点を取られる方が多いのかなという印象です。

最後のスクーリングまで、この2年間、あまり大きな事件もなく、無事終わったな・・・と京都に向けて奈良を立とうとしたところ、定期入れ(クレジットカードや学生証入り)をなくすという、最後の最後にやらかしましたが、近鉄奈良駅で預かっていただいていて、助かりました。
最後にこうした肝を冷やす出来事がありましたが、奈良の人の善意に感謝しつつ、帰路につきました。

さて、明日、科目修得試験を受けに、奈良大へ行って来ます。都合により、1週間早めました。自分の学校の定期考査や入試などで、試験の三重苦状態です。
西日本は雪が大変みたいですね。奈良はどうなんでしょうか?

葛城の里山を行く・・・歴史地理学スクーリング その1

2017-01-29 16:41:51 | 大学通信 スクーリング
昨年2月に受講した、奈良大の歴史地理学スクーリング(2016年2月19~21日)について、整理しておきます。これが卒業前最後のスクーリングでした。
1年経つとだいぶ忘れてしまうものですね。当時のメモなどを使って思い出しながら書きたいと思います。

その前に、奈良大通信教育の学生はどういう年齢層の人がどのくらい、といったデータをたまたま見たので、自分の覚え用としてここに載せておきます。確か、1年前の募集案内の資料の中に書いてあったのだと思います。

在籍者約1300名の内訳は、男性54%・女性46%、平均年齢58歳(男性61歳、女性54歳で60歳代の方が一番多く、全体の47%を占めている。在籍者のうち、関東圏の方が約40%を占めている。
学芸員資格課程は、約100名。


大体このようなことが書いてありました。平均年齢は60を超えてるかなと思ったら、女性で若い人が結構いるので、それで平均年齢を下げているんでしょうかね。女性の率もスクーリングでの印象より高いですね。学芸員資格課程は約100名とのことですが、私達が4月に入って、もっと増えているんじゃないのかなという気がします。

さて、昨年2月19~21日に受講した歴史地理学スクーリングの話に戻ります。
この頃の奈良は、かすかに春の気配があって、キャンパスでは沈丁花が香っていました。
1日目は、座学。いろいろ勉強したはずですが、省略。1:25,000の地図(学外実習で訪れる御所市のもの)をいただいて、その折りたたみ方を教わりました。絵図のコピーを数人のグループで見て、何のために描かれている図なのかを考えたりしました。

このスクーリングでは、葛城方面に学外実習に行くことになっていて、集合場所が橿原神宮前駅だったこともあるようなので、12月に、橿原神宮前駅近くの橿原オークホテルに宿を取りました。しかし、実際には学外実習のバスは奈良大から出発することが後でわかり、橿原神宮前駅に宿泊する意味はなくなりました。でも駅のつくりが面白かったし、少しは周辺の様子もわかってよかったかなと思います。

初日の夜は、橿原神宮前駅構内の神戸水野家で買ったヘレカツ弁当。関西ではヒレカツのことヘレカツというみたいです。その場で作ってくれるので、少し時間がかかりますが、温かくておいしかったです。


宿泊した部屋の窓から見える橿原神宮前駅。近鉄橿原線と、南大阪線と、吉野線が通っています。
駅舎も大きくて三角形の屋根が印象的です。



翌2月20日の朝は、7時過ぎにホテルを出て、駅構内のドトールで朝食。関西らしいユニークなお客さんと隣り合わせました。


学外授業は、あいにくの雨となりました。車中でも先生の解説があって、確か大和郡山のあたりで稗田という地名のあたりを通った時に環濠集落の説明がありました。私もこのあたりには個人的に興味があり、稗田阿礼を祀った売太神社というのもあるし、稗田阿礼は本当に実在して、このあたりと縁が深いのかな、と考えたりしています。

奈良に多い、ため池についてもいろいろ学びました。座学でも学んだことからの抜き書きですが、ため池は主に江戸時代に造られ、奈良盆地には4535のため池があるとのこと。水利や文化財保護などの問題から、土地の整備事業等が進まない状況があるとのこと。
まあ、仕方ないですね。私としては、ため池や田んぼが残る、のどかな奈良の風景がずっと残って行くのはかまいません。もし、地下に遺跡があるのなら、発掘してほしいですが。

お昼前に葛城市歴史博物館に到着し、絵図の閲覧したり、他の展示物を見たり。


床に大きな航空写真のある場所に群がって、先生のお話を聞く受講生。

さらにバスで移動。
昼食は、お天気がよければ外で食べられたようですが、雨のため、車内で。

午後は、絵図で見た兄川沿いの集落を見学しました(野外実習)。
FMラジオを使って、イヤホンで先生の説明を聴きながら歩きます。私はあまり真面目な学生ではないので、先生からは遠い所を歩いていたり、説明を上の空で聴いていたりしたのですが、三日目にがっつり試験があるので、それなりに聴いていた方が、試験のためにもなると思います。


川まで下りて、説明に奮闘された先生。
川に置いてある石は何のために?という問いかけ。
・・・水分神社という名前の神社が、奈良県にも各地にありますが、水利というものは古くからかなり大事なものだったのだなと、だから神社にもそういった名前がついているのか、と、気付かされました。
お天気がよかったらすばらしいハイキングになっただろうな、というような、のどかな里山でした。


実際の風景と、絵図はかなり似ていました。


すごい名前の神社です。延喜式内社ですから古い由緒の神社です。



大正2年の看板ですよ。100年以上経っています。

葛城地方は、謎めいた葛城氏についても興味がありますし、いつかゆっくり巡ってみたい地域です。金剛山が印象的でした。

放課後は、雨でどこも行けず。かなりの土砂降りになったのです。ホテルにも近い橿原神宮に行ってみたかったし、今井町にも行ってみたかったのですが・・・それに結構疲れていました。
そんな感じで二日目終了。
つづく。

文化財学演習Ⅲスクーリング N先生からお墨付きを・・・

2016-12-25 23:22:39 | 大学通信 スクーリング
1年以上前の9月あたまに受講した奈良大通信スクーリングについて書いておきます。
文化財学演習Ⅲは、4年次の必修科目だったと思います。演習Ⅰを2015年1月、演習Ⅱを2015年2月に受講し、卒論がそろそろ形になって来る頃に受けようかなと考えて、9月の回を選びました。

担当の先生は、奈良大文化財学科でも著名なN先生でした。今年ご退職されたようで、今年度からこの科目の担当の先生は代わっていますね。
著名な先生ですが、全然偉ぶった所がなく、常ににこやかで、温かい雰囲気の先生でした。
文化財の保存科学研究をご専門とされていて、初日の午前中は保存科学研究の概説を座学でうかがいました。
私は、早朝に新幹線で来たので、眠くて、顔を上げたままコックリコックリしていました。先生には申し訳なかったです。

午後には、X線回折分析装置をはじめとするいくつもの分析装置のある部屋へ移動し、それぞれの機器の使い方などの説明を聞きました。
蛍光X線分析装置、電子顕微鏡・電子線分析装置、赤外線分光分析装置、赤外線画像システム、がありました。それぞれの機器を使って研究をされている方々が説明されました。

・・・去年の8月・夏休み中に、実家で、遊びに来ていた妹とたまたま会い、卒論執筆のために遺跡調査などをしているという話をしたら、妹が小学校時代に宝物にしていたという、「縄文土器」の破片をあげる、と言い、実家の2階から持って来て、私にくれました。そうなのです。私達の小学校の裏山のあたりで、当時、縄文土器が出ると子どもたちの間で話題になっていて、妹がそこで拾って、宝物にしていたのです。私も妹から聞いてそういう場所があるのを知っていて、私も当時ひとかけらもらったような記憶があったのですが、それは今はなく・・・

それで、今回妹にもらった土器の破片を、今度9月にスクーリングがあるから、本物かどうか大学の先生に見てもらうよ、と妹に話し、実際に、スクーリングに持参しました。
なんか、図工室の裏あたりで出ていたから、図工の授業で作った器の残骸ではないかとも疑っていたのです。

私は思い切って、N先生にそれを見せて、これは縄文土器でしょうか?と尋ねました。いろいろ分析装置があるから、分析してもらえないかな、という期待もあったのです。そうしたら、N先生は、一見して、
「これは、縄文か弥生かははっきりしませんが、そのあたりの古い時代の土器です。」
とおっしゃいました。本当ですか?と重ねて聞くと、専門家の目で見て、経験で、そうだということはわかります、というようなお答えでした。
「では、N先生のお墨付きということで・・・」
と私も喜びました。
そうか、縄文土器かと思っていたけど、弥生時代の可能性もあるのか・・・と思いながら。
ということは、あのへんは縄文か弥生時代の遺跡が実際にあったのか??一度改めて行ってみようかな?と思いましたが、その後まだ行っていません。もう、○十年経っていますから、現地がどうなっているかわかりません。

そんなこんなで、初日は終わりました。
この演習は、卒論のテーマを基本として、一人ずつ前に出て発表するというのがキモです。
私はてっきり、演習ⅠとⅡがそうであったように、ポスターを作成して発表するのかと思っていたのですが、そうではありませんでした。
先回りして、パワーポイントで作っておいて、それをポスターに貼る形で・・・とも考えていたのですが、実際にはA4の用紙に手書きで研究計画書にまとめるという形でした。

人数も、これまでの演習ⅠやⅡが60~80名であったのに比べてごく少なく、合計30名弱でした。通信教育の学部のスクーリングなのに、この少人数でできるというのは、すばらしい環境ですね。史学の方はもっと少ないのかな。

その研究計画書作成準備のために、放課後は、私は個人的に、図書館で文献を探し、17時過ぎまで滞在し、バスで高の原駅に戻りました。
宿は、JR奈良駅近くのサンホテル奈良でした。外国人のお客さんが多かったです。まあまあですね。

2日目は、午前中は文化財保存科学研究の概説(2)、卒論作成のノウハウ、研究計画書の作成方法についてなど。
一応、その時のメモから抜き書きしておきましょう。卒論の書き方について。

「自分の考えを思い切って書く」
「常に自分の目で見る」
「現地・現物主義」

午後は、2班・約15人ずつに分かれて自己紹介と、各自研究計画書の作成。この研究計画書を使って最終日に発表します。N先生としては、「保存科学的研究法の応用を念頭に置いて」研究計画書を作成してもらいたかったようなのですが、必ずしもそうでなくても、自分の卒論の内容でもよいとのことでしたので、ほとんどの人が、卒論の内容でまとめていました。

私は、子持勾玉の出土地について、卒論のテーマにしましたので、この時も、それについて作成しました。後で、その子持勾玉の素材の石を分析して、その石の産地を特定するということを研究計画書に入れて発表すればよかったかなと後で思いました。N先生は、面白ければ本当に分析をやってくださりそうでしたし。
まあ、分析するための石を借りて来るのが大変かなとは思いましたけれども。

2日目の最後に、研究計画書を提出して帰りました。それをコピーしていただいて、全員の分を冊子にまとめて配ってくださるのです。すごいです。

2日目の夜は、もちいどの商店街の中にある、若草カレー本舗というお店に入ってみました。ネットで見たので。
ほうれんそうなどがとけこんでいる、若草カレーをいただきました。おいしかったです。そそくさと出て来てしまいましたが。

3日目は、班に分かれて研究発表と討議でした。
一人10分以内の時間が割り当てられていました。皆さん、研究計画書は力作で、それが1冊にまとめられているのですがすごいボリュームになりました。発表も、皆さん思いがあふれて、時間が足りなくなってしまう方がほとんどでした。私は、普段授業でしゃべり慣れていることもあり(そうでなければ教員としてまずい)、思いがあふれすぎるということもなく、逆に淡白に終わりすぎたかもしれません。初々しくて熱意が表れている方が好感は持てますよね。
一人一人にこれだけの時間を割いてやってくださる奈良大の通信教育・スクーリングは本当にすばらしいです。

そんなこんなで3日目も終わり、帰りに近鉄奈良でおみやげを買ったりしながら、東向き商店街の中にある森のカフェに入ってお茶を飲んだりして、夕食は、新幹線の車中で、柿の葉寿司のたなかというお店の、「五条楽」というなかなかカラフルでおいしいお弁当を食べました。柿の葉寿司以外も入っていて、楽しいお弁当です。
柿の葉寿司のお店もいくつかありますが、私はこの「たなか」のが好きです。

9月でまだ暑い、というのと、約1ヵ月後に迫った卒論草稿〆切に向けて、精神的にも余裕がなく、心身ともに疲れていたため、ほとんど観光的な写真は撮りませんでした。
でも、9月になると朝晩はさすがに真夏よりは涼しく感じられました。東京は熱帯夜が続く頃ですが。

というわけで、この演習Ⅲは、卒論の構想がある程度できてくる時期に受けるといいのかな、という内容でした。私も草稿作成が進みつつある時期でしたので、頭の整理になり、大学で文献を探すこともできたし、ちょうどいい時期でした。

これが、N先生お墨付きの、縄文か弥生時代あたりにつくられた土器の破片です。いつか授業でも披露しましょう。
N先生とお話しできただけでもよい記念です。


神話伝承論スクーリング その4

2016-08-16 00:16:11 | 大学通信 スクーリング
ごぶさたしております。先週は韓の国に旅行に行っており、帰宅したら38~39℃の発熱で二日寝込み、どうにか復活してこれを書いています。ただし、着陸時の気圧の影響で耳がまだ治っていないなどいくつか不具合があります。旅の話はまたの機会に。

昨日になってしまいましたが15日は終戦記念日で、去年は戦後70年ということでこのブログでもいくつか記事を書きました。
戦没者追悼式典で、天皇陛下は「深い反省」という言葉を昨年に引き続き用いたとのことです。一方で、首相は、ということについては触れないでおきましょう。

短い言葉でも、さまざまの思いや情報、人柄などを含み込ませることはできるのだなと今日も感じたことでした。

さて、神話伝承論スクーリング(2月)についてまだ続きを書くということで終わっておりましたので、自分の備忘のためにも少し書いておきます。あまりネタバレすると怒られてしまうかもしれないので、肝心のまとめの部分はぼかしてお伝えします。

スクーリングの三日目は、黄泉行神話を読む、ということで、『古事記』でイザナギノミコトが妻に会いに行って逃げ帰って来るところを読みました。

この黄泉行神話はオルフェウスの神話と似ているという話はよく言われていることのようですし、横穴式石室ができた頃以降にできた話だ、ということも、この2,3年で講演会で見聞するなどしてなるほどと思ったことです。

まとめとして、神話は知である、古代の知の結晶である、というお話がありました。『延喜式』神名帳には、その地域の神々の名前が載っています。神のいない土地はいない。地域の研究をする人は神名帳を見ることになると先生のお話。

私も『延喜式』の神名帳は、昨年度にまとめた卒論を構想する過程でも参照しました。延喜式の時代・平安時代にこのように神社の一覧が記録され、またそれに対応する神社が今も残っているのがわかるというのも、すごいなと思うのです。前の学生時代は、実はこれの存在を知りませんでした。神社に全く興味がありませんでした。

『古事記』も『風土記』も『日本書紀』もそうですが、こうした古い時代の記録がきちんと残っているということは、日本にとって本当に幸いなことです。中国にもまあありますが、中国は広いし、全国土をカバーしているわけでもありません。朝鮮半島における記録は、日本における中世の時代以降に編纂されたものしかないようです(『三国志記』)。
勝者による偏った記録であったり、間違いを含んでいたりするとしても、そうして7、8世紀頃に書かれたものがそれなりのボリュームで残っているのは、すばらしい宝物といえると思います。世界中でみても、このような歴史書を持つ国は、ごく少ないでしょう。少なくとも、アメリカはありませんよ。そもそもアメリカができてまだ300年経っていませんから。

歴史書に限らず、『万葉集』の内容のすばらしさにも、近年個人的に驚かされています。古代の人々の心情だけでなく、当時の生活や政治、信仰などのさまざまな実態が、『万葉集』を深く読むことでわかります。個人的にも解明してみたいと思う世界です。
8世紀頃に詠まれた歌があのようにきちんと残されていること、またその内容の豊かさ、そうしたものを財産として持っている日本人のすばらしさを、再認識したいと思いました。

話がずれてしまい、自分の思いを書いてしまいましたが、神話伝承論スクーリングについては、以上とします。先生も、売れっ子で忙しくて受講生が多いからといって手を抜かず、テストもあり、一人一人に目配りをし、気配り・おもてなしの心にあふれる方でした。写真やテレビでお見かけする印象は、実はあまりよくなかったのですが、とても勉強されていて、日夜のご努力があって、こうしたご活躍があるのだなということが、わかりました。研究室の学生さんたちも、かいがいしくお手伝いされていて、感謝したいと思います。奈良大は恵まれた環境にあるのですから、若い人はしっかり勉強して、大きい仕事をする人に育ってほしいですね。

そうそう、メモから備忘のためと、ここを覗いている年配の通信教育部の方向けに一つ書いておきますと、先生が終わりの方で、通信教育は孤独な戦いである、として「柏木ひろしアナが定年後学芸員になった」という趣旨のお話をしたことがメモに残っています。
何のことやらと思って後で調べたら、MBSテレビ(毎日放送)の柏木宏之さんというアナウンサーが、奈良大の通信教育部で学び、文化財歴史学科を卒業し、学芸員の資格も取った方だということがわかりました。現在58歳くらいで通信教育部は2010年卒、定年後ではないですね。アナウンサーのお仕事をしながら勉強されたようです。

「柏木宏之学芸員の話の展示室」というブログもあり、かなり本格的です。http://www.mbs.jp/announcer/blog/14/

さまざまな人が学ぶ奈良大通信教育。本当によい環境です。どういう成果を出すかは、その人次第かもしれません。

今回のスクーリングは、奈良公園を中心とした地域で「なら瑠璃絵」という、夏ならば「なら燈花会」に匹敵するイルミネーションのイベントの時期にあたっていました。
帰りの新幹線を遅めにしていたので、スクーリング最終日の2月14日の夜、ざっとこれを見て来ました。ここでのレポートが、ちょうど半年過ぎての今で、仕事が遅くて申し訳ありません。今は「なら燈花会」やってますね。

以前、この時の写真の一部を紹介した記事があります。
http://blog.goo.ne.jp/kuragesuke/s/%E7%91%A0%E7%92%83
奈良大通信教育2年目の総括(卒論以外)

東大寺大仏殿の、大仏様のお顔が見えるように窓が開けられているというその時の写真を上記のリンクに載せてあります。今もお盆だから開いてるのかな。



興福寺五重の塔のライトアップですが、グーグルフォトが勝手にカッコよく加工してくれた画像↓



東大寺大仏殿に向かう道。


東大寺境内の池の所で、霧の粒に光を当ててプロジェクションマッピングをやっていました。冬ですから水しぶきが寒かった。

半年前の記事でお粗末さまでした。
今日はこのへんで。

神話伝承論スクーリング その3

2016-07-18 13:43:40 | 大学通信 スクーリング
昨日、京都の祇園祭の映像をテレビで見かけました。去年はナマで見て、この三連休はスクーリングに行っていたんだっけ、と思い出しました。去年はスクーリング・卒論の遺跡調査などで休日もかなりアクティブでした。
今年は、学芸員のレポートのために、博物館にいくつか行かなければいけません。私立の小さめの博物館で、おすすめのがありましたら教えてください。

三連休の最終日くらいは、午前中の時間を生かして、記事を一つアップしようと書き始めたところです。

神話伝承論スクーリングの続きです。
二日目の午後は学外授業で、バスに乗って平城宮跡に行きました。

平城宮の東院の復元を行っている現場を軽く見学しました。普段は開けていない扉を開けていただいて、入って行きました。


先生は、東院の復元事業に関わっているそうで、建物の上に金色に輝く鳳凰は、先生の意見が反映された結果だとか(笑)。考古学、歴史学、国文学などの各先生の議論の結果らしいですが。平城京の時代にこんなものがあったかどうか、いろいろ意見があったらしいですが、最終的にそうなってしまったようです。


池の石の置き方なども、当時そのままで復元しているのだとか。

付近は、梅の香りが漂っていました。奈良・平城京には梅が似合います。奈良時代は、「花」といえば梅、平安時代になると、桜になったようですから。
お天気はよくなかったのですが、梅の季節に平城京跡を訪れることができたのは、よい思い出です。

その後、朱雀門に移動して、この講座のハイライトともいえるでしょうか、朱雀門に立って、平城遷都の詔を読み上げました。
朱雀門から南に向かって立ち、先生の後について、元明天皇になったつもりで、みんなで読み上げます。

この写真は、朱雀門に向かってぞろぞろ歩いている図です。
読み上げるのは、この門の上に立って南を向いて行います。

「まさにいまへいじょうのち、しきんとにかない、さんざんしずめをなす。きぜいならびにしたごう、よろしくとゆうをたつべし。よろしくとゆうをたつべし。」(『続日本紀』和銅元(708)年2月15日条)

「しきん」は四禽で、青龍、白虎、朱雀、玄武です。「さんざん」は三山で、藤原宮では耳成山、香具山、畝傍山ですが、平城宮ではそれが、平城山、御蓋山(春日山)、生駒山になるのだそうです。

先生は、これを暗誦しながら、最後は怪しい教祖のように、両手を挙げて「よろしくとゆうをたつべし。」とやりました。
この朱雀門での怪しい集団の行為が名物になって、取材も入ったこともあるとか?
まあ、まさにその現地に立ち、声に出して読むというのはすてきなことです。思い出に残ります。奈良ではそういう行為が似合う場所がたくさんありそうですね。

そこで解散となりました。大極殿は閉まっていて、そっちの方は皆さん行ったこともあるのか、私もありますが、そのまま帰る人あり、私は、平城宮跡資料館に行ったことがなかったので、行ってみました。本当は、歩いて、海龍王寺の方まで行ってみたかったのですが、雨が強くなってきたので、断念しました。

資料館のミュージアムショップで、考古学の発掘スコップ型のスプーンを購入しました。

さらに次回に続けます。
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