和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

若緑/今日の俳句≪No.1537    

2014年03月31日 06時47分56秒 | 今日の俳句


     ☆若緑/今日の俳句☆  

☆★☆*≪No.1537≫☆彡★……☆★☆*……☆★☆*☆彡……☆☆彡
 2014年(平成26年)3月31日(月)


○ オーケストラの日
 日本オーケストラ連盟が2007(平成19)年1月に制定し、その年から実施。
「み(3)み(3)に一番」「み(3)み(3)にいい(1)ひ」(耳に良い日)の語呂合せと、春休み期間中であり親子揃ってイベントに参加しやすいことから。

【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】



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  ■※今日の俳句※■


  
  緑なす松や金欲し命欲し
       石橋秀野



  松の芯中野竹子の叱咤なお
       的野 雄



  海鳴りにはなやぐ岩の若緑
       津根元潮



※<緑なす松や金欲し命欲し 石橋秀野>
松は常緑樹であるが、花の後で蕊が長くのび、若々しい新緑の芽を吹き出す。生命の勢いを感じさせられる。そんな松の様子を、俳句では「若緑」と言ってきた。
この季語は「松」に限定されているのだ。ところで、この句をポンと見せられた読者は、何を感じ取るだろうか。金も欲しいし、命もほしい。……だなんて、ずいぶんとムシのいい作品だと思うのが普通かもしれない。
だが、実は作者が幼な子を抱えて余命いくばくもない主婦だと知れば、おのずから感想は異なってくるはずである。人生の悲しみ、ここに極まれりと感じるだろう。
どちらにでも受け取れる句だ。俳句には、作者の人生がからみつく。句が独立したテキストとして立つというのではなく、人生や時代背景の大きなテキストのフラグメントとして機能する。
このとき、俳句は芸術なのだろうか。そう問題提起したのが桑原武夫であったし、いわゆる現代詩の成立する根拠の一つともなっている。実はこの句は、死の予感のなかで詠まれたものだ。芸術であろうがなかろうが、作者は発語せざるを得なかったのである。
それが「俳句」だ。石橋秀野は山本健吉夫人だった。彼女の生涯については、上野さち子『女性俳句の世界』(岩波新書)に簡潔的確に描かれている。『桜濃く』(1949)所収。
(清水哲男)


【「『増殖する俳句歳時記』(検索エンジン」より転載】



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※わが友に贈る/名字の言※
【「聖教新聞」2014年(平成26年)3月31日(月)より転載】



 ■※わが友に贈る※■


 社会に船出する友よ
 朗々たる朝の勤行から
 元気に一日の出発を!
 わが使命の舞台で
 生き生きと舞いゆけ!

     3月31日




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   ■※名字の言※■


(3/31)
昆布は、その名が8世紀の『続日本紀』に登場するなど、古来、日本人の食生活に欠かせない。かつては「ひろめ」と呼び、「広布」と書いた



昆布の製造・卸会社で副社長として活躍する福井の壮年。その名刺には「昆布一筋」とある。仕事に徹する誇りとともに、「昆布」に「広布」の意味を掛け、“広布一筋”の誓いを込めたという



壮年が、社会人となったのは35年前。1979年(昭和54年)4月だった。仕事に、学会活動にと、清新な決意で励み始めた直後、思いもよらない“池田会長辞任”の報に接する



福井は、権威主義を振りかざす宗門の僧らによる学会員への理不尽な攻撃が、とりわけ激しい地域だった。その嵐の中、壮年は同志と共に、正義のたいまつを燃やし続ける。2年半後の81年11月、名誉会長が福井へ。「何があっても信心だけは破られてはならない」との激励が生涯の原点となる。仕事でも何度も厳しい試練が襲ったが、全部、勝ち越えた



かむほどに味が出るのが昆布。人間も、逆境を越えた者にしか出せない味がある。御書に「仏法は体のごとし世間はかげのごとし体曲れば影ななめなり」(御書992頁)と。信心根本に、社会で勝ち、人生に勝ちゆく姿で青年の模範と光りたい。(芯)



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