和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

猫の恋/今日の俳句≪No.1510≫

2014年03月04日 04時47分47秒 | 今日の俳句


     ☆猫の恋/今日の俳句☆


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2014年(平成26年)3月4日(火)


○ ミシンの日
ミシン発明200年を記念して日本家庭用ミシン工業会(現在は日本縫製機械工業会)が1990(平成2)年に制定。
「ミ(3)シ(4)ン」の語呂合せ。
イギリスのトーマス・セイントが世界で初めてミシンの特許を取得したのは1790(寛政2)年だった。
「ミシン」という名前は、 sawing machine(裁縫機械)のmachineがなまったものである。

○ サッシの日
サッシメーカーの吉田工業(現 YKK AP)が制定。「サッ(3)シ(4)」の語呂合せ。

○ バウムクーヘンの日
神戸のドイツ菓子製菓会社・ユーハイムが2010年に制定。
1919年のこの日、広島県で行われたドイツ展示会で、同社を創業したドイツ人カール・ユーハイムが日本で初めてバウムクーヘンの製造販売を行った。

○ さんしん(三線)の日
沖縄県の琉球放送が制定。
「さん(3)し(4)ん」の語呂合せ。
三線は、蛇味線とも呼ばれる沖縄の楽器で、三味線の元となったとされている。

○ 円の日
1869(明治2)年のこの日、明治政府が貨幣を円形として金銀銅の貨幣を鋳造する円貨の制度を定めた。

○ 雑誌の日
富士山マガジンサービスが2008(平成20)年に制定。
「ざっ(3)し(4)」の語呂合せ。あわせて、3月・4月を「雑誌の月」とした。
富士山マガジンサービス

■ 赤黄男忌
 俳人・富沢赤黄男の1962(昭和37)年の忌日。
※ とみざわかきお【富沢赤黄男】 1902‐62(明治35‐昭和37)
 俳人。愛媛県生れ。本名は正三。早稲田大学在学中に俳句に関心をもち,1935年に日野草城の《旗艦》が創刊されると,〈秋風の下にゐるのはほろほろ鳥〉などを同誌に発表した。
青春の鬱屈した心情を現代詩に多い用語で表現した赤黄男は,同時代の感情の表現を志向していた当時の〈新興俳句〉のホープとみなされた。
〈爛々と虎の眼に降る落葉〉などを収めた句集《天の狼》(1941)は,その〈新興俳句〉の大きな成果である。
敗戦後は46年に創刊された《太陽系》などの同人誌で時代の詩としての俳句を追求したが,しだいに虚無感を深め,〈破れた木――墓は凝視する〉(《黙示》1961)のような短詩を書くにいたった。

【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】



  ■※今日の俳句※■


  恋猫のかへる野の星沼の星
       橋本多佳子


  銀座裏にも路地あれば猫の恋
       遠藤若狭男


  恋猫の海老煎餅を美味そうに
       武井康隆


■ 猫の恋→恋猫・猫交(さか)る・うかれ猫・猫の夫(つま)・猫の妻・春の猫・孕猫。
※ 〈恋猫の酒樽を飛び跳ねてゆく 高橋とも子〉
 季語は「恋猫(猫の恋)」で春。早春の発情期を迎えた猫の行動を指す。一読、ハードボイルド・タッチに共感した。恋猫の句は数あれど、どうもふにゃふにゃしたものが多いのが不満だ。
「恋」という文字概念にとらわれて、人間のそれを連想し、どこかで比較しながら句作するので、ふにゃふにゃしてしまうのだ。その点、掲句は人の恋など知っちゃあいないというところから、はっしと猫の行動のみを捉えている。
酒樽から酒樽へと、必死の爪を立てながら、ただ本能のおもむくままに「飛び跳ねて」ゆく。ただそれだけのことをずばりと表現しているのと同時に、この句は人(読者)に向けてのサービスを忘れていないところが素敵なのだ。
サービスは「酒樽」にある。実景か否かの問題ではなく、ここに酒樽を配することで、読者は猫の行動にあっけにとられるのと同時に、ふっと人間臭さを酒樽を通した酒の匂いのように嗅がされてしまう。
すなわち掲句は、凡百の恋猫句がはじめから人間臭さを取り込んでいるのに対して、読後にそれを感じさせようというわけだ。優れたハードボイルド小説の描写は、すべてこの企みのなかにあると言ってよい。
掲句の情景の傍らに何の関係もなく立っているのが、コートの襟を立てた苦みばしったいい男、たとえば私立探偵フィリップ・マーローなのである。すなわち掲句は、この男が実は読者自身にたちまち重なってしまうという仕組みになっている。おわかりかな。『鱗』(2001)所収。
(清水哲男)

【「『増殖する俳句歳時記』(検索エンジン)」より転載】


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※わが友に贈る/今週のことば/名字の言※
【「聖教新聞」2014年(平成26年)3月4日(火)より転載】


 ■※わが友に贈る※■


 朝に勝つ人が
 人生の勝者なり!
 朗々たる祈りで
 前進の活力を漲らせ
 悔いなき一日一日に!

       3月4日


 ■※今週のことば※■


 個人指導を大切に!
 一人が立ち上がれば
 一家も地域も変わる。
 いよいよの励ましで
 歓喜の波動を起こせ!

       3月3日


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   ■※名字の言※■


(3/4)
「ウルトラマンを創った男」として活躍した脚本家の故・金城哲夫氏。先月、氏の生誕75周年祭が故郷の沖縄・南風原町で開かれた



展示コーナーでひきつけられたのは、『帰ってきたウルトラマン』の第11話「毒ガス怪獣出現」の脚本。旧・日本軍が造った強力な毒ガスを食べた怪獣が、猛毒ガスをまき散らすという内容だ



「戦争が終わっても残された武器によって災いが生まれてくる」と戦争の愚を訴える氏。沖縄戦を逃げ惑い、母は片足を奪われた。そのつらい戦争体験から、作品の数々には平和への思いが込められているという



今月13日から「核兵器なき世界への連帯」展が、恩納村の沖縄研修道場で始まる。道場はかつて、中国に向けられた米軍の核ミサイル発射基地だった。“人類が、戦争という愚かなことをした証しとして永遠に残そう!”ーー池田名誉会長の逆転の発想で、基地跡は「世界平和の碑」に生まれ変わった。碑の誕生から、この春で30年。「碑」を前に、“学会の平和運動は本物”と実感する識者は少なくない



地球上に、いまだ約1万7千発も存在するという核兵器。人類を脅かす魔物は一発たりとも残してはならない。永遠に残すべきは、“武器は災いしか生まない”という思想である。(碧)


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