和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

李(すもも)の花/今日の俳句≪No.1530≫   

2014年03月24日 04時50分00秒 | 今日の俳句


     ☆李(すもも)の花/今日の俳句☆  

彡------☆★☆*≪No.1530≫------------☆★☆*☆彡------☆☆彡
2014年(平成26年)3月24日(月)

○ 世界結核デー(World Tuberculosis Day)
 世界保健機関が1997年に制定。
1882年のこの日、ロベルト・コッホ博士が結核菌を発見した。
医学の進歩で克服されたかに見えていた結核が、再び猛威を振い始めたことから、結核の撲滅を目指して結核抑圧への協力を世界に呼びかけている。
日本では9月24日~30日を「結核予防週間」としている。

○ マネキン記念日
 1928(昭和3)年のこの日、上野公園で開かれた大礼記念国産振興東京博覧会で高島屋呉服店が日本初のマネキンガールを登場させた。
マネキンガールとは、マネキン人形ではなく現在でいう「ハウスマヌカン」のことである。「招金」に通じるということで、フランス語のマヌカンではなく英語のマネキンという言葉を使った。

○ 連子鯛の日
 山口県下関市の下関漁港沖合底びき網漁業ブランド化協議会が2010年に制定。
1185(寿永4)年のこの日の壇ノ浦の合戦で、安徳帝と共に入水した平家の女性たちが連子鯛に化身したという伝承があることから。

○ ホスピタリティ・デー
 日本ホスピタリティ研究会(当時)が1994(平成6)年に制定。
数理学的に、3は新しいものを創り出すエネルギー・創造・自己表現等を、2は調和とバランス・思いやり・協力・理解力・人間関係を象徴し、4は全体をつくりあげる基礎を表わす数とされ、3・2・4はホスピタリティに関連性の高い要素が多く含まれていることから。
思いやりのある社会を築く為に、ホスピタリティを意識的に実践する日。

○ 壇ノ浦の戦いの日
 1185(元暦2)年のこの日、長州沖の壇ノ浦で、源義経が率いる源氏軍が平家軍を破り、平家一門が滅亡した。
人力車発祥の日(日本橋人力車の日)東京・日本橋で人力車の運行を行う「くるま屋日本橋」が制定。
1870(明治3)年のこの日、人力車を発明した3人のグループに東京府から人力車の営業の許可か下り、日本橋で営業を開始した。


【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】



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  ■※今日の俳句※■


  
  熟れきつて裂け落つ李紫に
       杉田久女



  故里の厠の貧し李咲く
       滝沢伊代次



  日も花粉まみれ授粉のすもも畑
       橋本美代子


※ 【熟れきつて裂け落つ李紫に  杉田久女】
 熟しすぎた李(すもも)が紫色に変色して落ちてしまった。よくある光景だが、久女という署名がつくと、どうしても深読みしたくなる。女人の哀しいエロティシズムを感じてしまう。
李そのものが艶っぽい姿形をしていることもある。口にあてるときに、ちょっと緊張感を強いられる。蛇足ながら「スモモモモモモモモノウチ(李も桃も桃の内)」とは、新米アナウンサーが練習用に使う早口言葉のひとつだ。
そういえば、富安風生に「わからぬ句好きなわかる句ももすもも」というのがある。
(清水哲男)

【「『増殖する俳句歳時記』(検索エンジン」より転載】



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※わが友に贈る/今週のことば/名字の言※
【「聖教新聞」2014年(平成26年)3月24日(月)より転載】



 ■※わが友に贈る※■


 忙しい時こそ
 信心根本に全ての
 課題に挑みゆけ!
 誠実と忍耐で
 職場の柱と光れ!

     3月24日


 ■※今週のことば※■


 春は行動の季節だ。
 足取りも軽やかに
 友のもとへ!
 「我も唱へ他をも勧ん」
 希望の光風を広げよ!

     3月24日

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   ■※名字の言※■


(3/24)
1914年(大正3年)に東京駅が開業して100年。一昨年、戦災で焼失した部分の復元工事を終えた「ドーム型屋根の赤れんが駅舎」は、新たな観光スポットとなっている



“赤れんがの壁面にドーム型屋根の建物”というと、57年(昭和32年)7月17日、学会の「大阪大会」の会場となった中之島の中央公会堂が思い浮かぶ。実はどちらも、辰野金吾氏の設計によるものだ



日本銀行本店など200を超える建築に携わり、“ヨーロッパ風日本建築の開祖”といわれる辰野氏も、初めから英才だったわけではない。工部省工学寮(現在の東京大学工学部)に最下位で滑り込み、猛勉強の末、首席で卒業。イギリスで建築学を学んだ。そんな自身を「俺は頭が良くない。だから人が一する時は二倍、二する時は四倍必ず努力してきた」と語ったという



人生はしばしば、建築になぞらえられる。それは建築が、力学、デザイン、法律、歴史……つまり人間と環境に関わる万般の知識と知恵を結集した総合芸術だからであろう



英語「アーキテクチャ(建築)」の元来の意味は“最上の技術者”である。最上の努力、最上の情熱をささげたものだけが、時の流れに耐えて輝き続けると思える。建築も、そして人生も。(明)



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