和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

ことばの玉手箱/影法師   

2014年03月23日 14時29分58秒 | ことばの玉手箱



ことばの玉手箱/影法師

     講談師   神田 松鯉(かんだ しょうり)

  「師匠に芸に似てるけど---」


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2014年(平成26年)3月23日(日)



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 私が講談師を志し二代目神田山陽の門を叩いたのは昭和四十五年、二十八歳の時だから随分遅い入門だ。それまでは役者だったが、劇団の主宰から「お前の朗読は講談だ」と耳にタコが出来るほど言われて、では一度本物を聴いてみようと、その頃日本で唯一の講談席本牧亭へ行って以来、講談のとりこになってしまったのだ。


 師匠山陽は時代物から世話物、更に新作までこなす芸域の広い人で、毎年夏になると怪談で各寄席をまわり客席を満員にする実力者だったから、入門したての私にはその一挙一動のすべてが眩しかった。


 ある日、師匠は私に芸界には「影法師」という言葉があるといった。どういう事かと訊ねると(教えてくれた人の芸そっくりで、いつまでたっても自分の芸にならない。いわば他人のコピーをしているだけの芸)で、芸界では影法師といって軽蔑語であるから心せよとの事であった。


 -----とは言っても修行の第一歩は師匠の芸をなぞる事から始まる。学ぶという言葉は「まねぶ」から出たという位だから、しばらくの間は師匠の芸の模倣に明け暮れた。そんな時、師匠宅で一人稽古をしていると襖の向こうから師匠夫人が私に(お父さん)と声を掛けたので驚いた。その位似ていたのだと思うが、師匠と間違われて、その時は嬉しかったが一瞬影法師という言葉が頭の中をよぎった。


 昔から芸界には、師匠が弟子に教え過ぎると、師匠を越える弟子は育たないという言い伝えがある。弟子の個性を師の芸風の中に閉じ込めてしまうからだ。弟子は師の半芸に至らずとも言うが、同じ芸風を踏襲したら師の方が良いに決っている。処が、五年十年と修行を積むうちに、自然に本人の芸風が現れて来る。個性が顔を出すのだ。


 芸道・茶道・剣道など(道)のつく伝統の世界に共通して「守・破・離」という名言がある。芸の成長のプロセスを示したもので、最初は師の教える基本を守り、基本が出来たらその上に自分の工夫を加えて飛躍する。最終的には自分の芸風を確立するという意味である。


 話芸では口跡や間(ま)以上に大切なのは人間表現で、それは本人の生き方が裏打ちする。演者の人間性が透けて見えるから芸は怖い。かくなる上は、自分という人間をしっかり磨く事が影法師にならない唯一の方法だ。昔の人はそれを「芸は人なり」といった。

 

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桃の花/今日の俳句≪No.1529≫    

2014年03月23日 05時05分44秒 | 今日の俳句


     ☆桃の花/今日の俳句☆  

彡------☆★☆*≪No.1529≫------------☆★☆*☆彡------☆☆彡
2014年(平成26年)3月23日(日)

○ 世界気象デー(World Meteorological Day)
 世界気象機関(WMO)が、発足10周年を記念して1960(昭和35)年に制定。国際デーの一つ。
1950(昭和25)年のこの日、世界気象機関条約が発効し、WMOが発足した。
WMOは、加盟諸国の気象観測通報の調整、気象観測や気象資料の交換を行っている世界組織である。日本は1953(昭和28)年に加盟した。

○ 中華民国(台湾)初の総統直接選挙で李登輝が50%以上の得票で当選。
※ <李登輝> 李 登輝(り とうき、リー・テンフェ、1923年(大正12年)1月15日 - )は、中華民国の政治家・農業経済学者。元・中華民国総統(1988年 - 2000年)。コーネル大学農業経済学博士、拓殖大学名誉博士。
信仰する宗教はプロテスタント・長老派。日本統治時代に使用していた名は岩里政男(いわさと まさお)。
蒋経国の死後、その後継者として中華民国の歴史上初めて直接選挙を経て総統となった。中華民国総統、中国国民党主席に就任し、中華民国の本土化を推進した。
中華民国が掲げ続けてきた「反攻大陸」のスローガンを下ろし、中華人民共和国が中国大陸を有効に支配していることを認めると同時に、台湾・澎湖・金門・馬祖には中華民国という別の国家が存在するという「中華民国在台湾」を主張、その後さらにこの国のことを「中華民国台湾」と呼ぶようになった。
北京政府との内戦状態の一方的終結宣言は、内戦を理由に存在し続けてきた治安法「動員戡乱時条款」を廃止させ、政治の民主化を推進させることとなる。
総統職と国民党主席を退任した後は、「台湾」と名前の付いた初めての政党台湾団結連盟を自ら中心となって結成し、台湾独立運動に影響を与え続けている。

【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】



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  ■※今日の俳句※■


  
  人間へ塩振るあそび桃の花
       あざ蓉子



  風吹かず桃と蒸されて桃は八重
       細見綾子



  わらわらと影踏む童子桃岬
       中村苑子



※ 【人間へ塩振るあそび桃の花  あざ蓉子】
 わからない。蓉子には、不可解句が多い。だが、どこか気になる。作者は言う。「言葉は概念である。その概念を俳句定型内で組み合わせると、その組み合わせによっては、言葉が別の意味に移ろうとして立往生することがある。
このもどかしい像は、これからの俳句の一つの可能性かもしれない」(『21世紀俳句ガイダンス』現代俳句協会青年部編)。すなわち、俳句の伝統を破るのではなく、そのなかで遊んでしまおうという考えだ。
餅を搗く臼で、たとえば金魚を飼うがごとくにである(古道具屋で聞いた話だが、実際にそうしているアメリカ人がいるという)。つまり作者は、それほどに俳句という頑丈な様式を信頼しているということだろう。
「人間」と「塩」と「桃の花」。それこそもどかしくも、気になる一句ではある。『ミロの鳥』所収。
(清水哲男)


※ 【風吹かず桃と蒸されて桃は八重  細見綾子】
 ああ、とてもかなわないな。文句なしだな。そう思う句にときどき出会う。俳句好きの至福の瞬間である。揚句もそのひとつで、なんといっても「蒸されて」という比喩の的確さには、まいってしまう。
梅でも桜でもない「桃の花」の臨場感とは、こういうものである。めずらしく風のそよろとも吹かない春の日、桃の傍らに佇む若い作者の上気した顔が、目に見えるようだ。
作者は、桃の花の美しさを、「蒸されて」と、いわば肌の感覚で見事に描いてみせている。花を愛でるというよりも、花に圧倒されている自分を、つつましくも上品にさりげなく、みずからの若さの賛歌に切り替えている技術が素晴らしい。
桃の花も八重ならば、作者の若々しさも、いま八重咲きのなかにある。『桃は八重』所収。
(清水哲男)

【「『増殖する俳句歳時記』(検索エンジン」より転載】



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※わが友に贈る/名字の言※
【「聖教新聞」2014年(平成26年)3月23日(日)より転載】



 ■※わが友に贈る※■


 人生の岐路にあって
 原点を持つ人は強い。
 君よ青春の誓いに
 生き抜け!
 不屈の勇者の道を歩め!

     3月23日


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   ■※名字の言※■


(3/23)
岩手県を走る三陸鉄道の社員の手記を読んだ(『線路はつながった』)。大震災の2日後、社長らが被災現場の確認に行った。津波で線路や駅舎は流され、立ち尽くしていると、いつ動くのかと、一人の市民が話し掛けてきた



聞けば、子どもが三陸鉄道で高校に通うのだという。鉄道の再開を待ち望む人がいると痛感した社長は、できる所から、一刻も早く走らせると誓った。部分開通を重ね、ついにこの4月6日、全線復旧する



今春、高校に入学し、三陸鉄道で通学する男子未来部員がいる。彼は津波で父を失った。父は海の男だった。海で知り合った母と結婚し、2人の子どもの名前に「海」の1字を入れた。その海が、父を奪った



父が見つかったのは、震災から半年後。父がどこにいるか分からない不安な中での小学校の卒業式、中学校の入学式……彼の胸中は察するにあまりある。それでも「海を恨んではいない」と言う。悲しみ以上に、心と体と頭を強くしろと励ましてくれた、父への感謝の気持ちのほうが大きい、とも



4月から彼は、朝一番の列車で、海を見ながら学校へ通う。心には、彼の成長を待ち望んだ父の笑顔があるはずだ。父子の旅路は続く。さまざまな人の思いを乗せて、春風は流れる。(代)


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3月22日(土)のつぶやき

2014年03月23日 01時39分13秒 | 北斗七星

ブログを更新しました。 『木蓮/今日の俳句≪No.1528≫   』 amba.to/1lXUB6a


【慰安婦問題】河野洋平が河野談話を同情で発表したことを自白: youtu.be/z1QrUM9rHFU @YouTubeさんから


【慰安婦問題】河野洋平が河野談話を同情で発表したことを自白 blog.goo.ne.jp/kouki6220wai/e…


@masatogalaxy @nmnrbt 自衛隊は知事からの要請で1時間以内に救助に向かえる体制にはあります。(知事からの要請がなくても自主的に向かい事もできますが、基本は要請待ちです。)知事さんが自衛隊をどう思っているか?頼りたくないのか?にも寄りますね。

和井弘希さんがリツイート | RT

@ym19781130 @masatogalaxy @nmnrbt
以前は、韓国は大好きな国の一つでありましたが、今は、大嫌いになりました。
それは、週刊誌というよりも、ネットで、ありもしない“ウソ”を平気でつく、韓国人の反日を目のあたりにしてからです。


@masatogalaxy
そうです!いざとなったら自衛隊を頼り、平素は、自衛隊反対ですか。
虫が、良すぎます!



木蓮/今日の俳句≪No.1528≫  

2014年03月22日 05時37分51秒 | 今日の俳句


     ☆木蓮/今日の俳句☆  

彡------☆★☆*≪No.1528≫------------☆★☆*☆彡------☆☆彡
2014年(平成26年)3月22日(土)

○ 放送記念日
 日本放送協会(NHK)が1943(昭和18)年に制定。
1925(大正14)年のこの日、社団法人東京放送局(現在のNHK東京放送局)が日本初のラジオ仮放送を始めた。
東京・芝浦の東京高等工芸学校に仮スタジオを設け、午前9時30分、京田武男アナウンサーの「アー、アー、アー、聞こえますか。JOAK、JOAK、こちらは東京放送であります。こんにち只今より放送を開始致します」という第一声が放送された。
元々は3月1日に放送を開始する予定だったが、購入予定の日本にたった1台しかない放送用送信機が、同じく設立準備中の大阪放送局に買い取られてしまった。
そこで東京放送局は、東京電気研究所の送信機を借り放送用に改造して使用することにしたが、2月26日の逓信省(後の郵政省)の検査で「放送設備は未完成のため3月1日からの放送はできない」と判断されてしまった。既に3月1日から放送を開始すると報じており、また、大阪放送局よりも先に日本初のラジオ放送を行いたいということで、「試験放送」という形で逓信省の許可を受け、なんとか3月1日から放送を開始することができた。
22日には逓信省から正式に免許を受けて仮放送を開始し7月12日に愛宕山からの本放送が開始された。大阪放送局はその年の6月1日から仮放送を開始した。

○ 世界水の日―地球と水を考える日(World Day for Water)
 1992(平成4)年の国連総会で決定し、翌1993(平成5)年から実施。国際デーの一つ。
地球的な視点から水の大切さ、貴重さを世界中の人々がともに見詰め直す日。
日本では、8月1日が「水の日」となっているので、この日は「地球と水を考える日」としている。

【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】



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  ■※今日の俳句※■


  
  白木蓮に純白という翳りあり
       能村登四郎



  木蓮のため無傷なる空となる
       細見綾子



  白木蓮や遠くひかりて那智の滝
       石原八束



※ 【白木蓮に純白という翳りあり  能村登四郎】
 季語は「白木蓮(はくもくれん)」で春。この場合は「はくれん」と読む。落葉潅木の木蓮とは別種で、こちらは落葉喬木。木蓮よりも背丈が高い。句にあるように純白の花を咲かせ、清美という形容にふさわしいたたずまいである。
いま、わが家にも咲いていて、とくに朝の光りを反射している姿が美しい。そんな様子に「ああ、きれいだなあ」で終わらないのが、掲句。完璧のなかに滅びへの兆しを見るというのか、感じるというのか。
「純白」そのものが既に「翳り(かげり)」だと言う作者の感性は、古来、この国の人が持ち続けてきたそれに合流するものだろう。たとえば、絢爛たる桜花に哀しみの翳を認めた詩歌は枚挙にいとまがないほどだ。
花の命は短くて……。まことにやるせない句ではあるが、このやるせなさが一層花の美しさを引き立てている。しかも白木蓮は、盛りを過ぎると急速に容色が衰えるので、なおさらに引き立てて観賞したくもなる花なのだ。
「昼寝覚しばらくをりし白世界」、「夏掛けのみづいろといふ自愛かな」、「老いにも狂気あれよと黒き薔薇とどく」など、能村登四郎の詠む色はなべて哀しい。『合本俳句歳時記・二十七版』(1988・角川書店)所載。
(清水哲男)


※ 【いちまいの水となりたる薄氷  日下野由季】
 冬季に水の上にうっすらと張った氷を透明な蝉の羽に似ているということで「蝉氷(せみごおり)」と呼ぶが、立春を迎えた後では薄氷となる。うすごおり、うすらい、はくひょう、どんな読み方をしても、はかなさとあやうさの固まりのような言葉だ。
日にかざし形状の美しさを見届けられる硬質感を持つ蝉氷と、そっと持ち上げれば指と指の間でまたたくまに水になってしまうような薄氷、そのわずかな差に春という季節が敏感に反応しているように思う。
自然界のみならず、生活のなかで氷はきわめて身近な存在だが、個体になった方が軽くなる液体はおおよそ水だけ、という科学的不思議がつい頭をもたげる。
この現象への詳細な根拠については、普段深く考えないことにする扉に押し込んでいるのだが、こんな時ふいに開いてしまい、結局理解不能の暗部へとつながっている。
そのせいか「氷がとける」とは、どこか「魔法がとける」に通い合い、掲句の「いちまいの水」になるという単純で美しい事実が、早春の光によって氷が元の身体に戻ることができた、という児童文学作品のような物語となってあらためて立ち現れてくるのだった。
〈はくれんの祈りの天にとどきけり〉〈ふゆあをぞらまだあたたかき羽根拾ふ〉『祈りの天』(2008)所収。
(土肥あき子)


【「『増殖する俳句歳時記』(検索エンジン」より転載】



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※わが友に贈る/名字の言※
【「聖教新聞」2014年(平成26年)3月22日(土)より転載】

 ■※わが友に贈る※■


 リーダーは
 御書と学会指導を
 日々 学びゆけ!
 自らの成長こそ
 組織発展の原動力だ。

     3月22日


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   ■※名字の言※■


(3/22)
東京・信濃町も日一日と春めき、広宣流布大誓堂に集う友の足取りも、はずんで見える。誓いを胸に訪れる同志に、さわやかに応対するのが青年部の運営役員。彼らにとっても、一回一回の任務が唱題と仏法対話の挑戦を経て迎える誓願の機会だ



創価班として任務に就く、ある男子部員。彼は生後まもなく乳児院に入った。一度は親類に引き取られるが、冷たい仕打ちにあう。“自分なんか生きてちゃいけないんだ”。心は悲しみで凍った



児童養護施設で生活する彼を、ある縁で知り合った学会員が励まし続けた。「君が笑顔でいることを喜んでくれる人が、必ずいる。希望を捨てちゃいけない」。高校を卒業し、彼は学会に入会する。活動に励み、学会の素晴らしさを分かち合いたいと、9人に弘教を実らせた



信濃町で任務中のある日、婦人部員に声を掛けられた。「あなたは幸せそうね。ずっとご両親に愛されてきたのでしょうね」。何と答えればいいか分からなかったが、“勝利の人生を歩んでいる”と確信した瞬間だった



一人も漏れなく団結の輪の中へ――この同志の絆を、私たちは誇りを込めて「創価家族」と呼ぶ。それを誰よりも知る彼。青いブレザー姿でさっそうと、きょうも皆の安心に全力を尽くす。(将)


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3月21日(金)のつぶやき

2014年03月22日 01時41分42秒 | 北斗七星

山桜桃(ゆすら)の花/今日の俳句≪No.1527≫   

2014年03月21日 04時48分55秒 | 今日の俳句


     ☆山桜桃(ゆすら)の花/今日の俳句☆  

彡------☆★☆*≪No.1527≫------------☆★☆*☆彡------☆☆彡
2014年(平成26年)3月21日(金)


【※】 春分の日
 3月21日頃を春分の日と言い、「自然を称え、将来のために努力する日」と法律で定められた祝日です。
その日付は、祝日法の上では「春分日」としており、その前年の2月1日に、国立天文台が作成する「暦象年表」という小冊子に基づいて閣議で決定され、官報で発表されます。

○ 国際人種差別撤廃デー(International Day for the Elimination of Racial Discrimination)
 1966年の国連総会で制定。国際デーの一つ。
1960(昭和35)年のこの日、南アフリカのシャープビルで、人種隔離政策(アパルトヘイト)に反対する平和的デモ行進に対し警官隊が発砲し、69人が死亡した。この事件が国連が人種差別に取り組む契機となった。世界中で人種差別の撤廃を求める運動が展開される。

○ 世界詩歌記念日(World Poetry Day)
 ユネスコが1999年に制定。世界全体で詩歌に関する活動を増進させることを目的としている。

○ 世界ダウン症の日
 世界ダウン症連合が2006年に制定。
ダウン症が通常は2本の21番染色体が3本ある異常によって発症することから。

○ ランドセルの日
 ランドセルをミニサイズに加工する店「スキップ」の増田利正さんが提唱。3+2+1が小学校の修業年数の6になることから。

○ 催眠術の日
 催眠術をかける時のかけ声「3、2、1」から。

○ カラー映画の日
 1951(昭和26)年のこの日、初の国産総天然色(カラー)映画『カルメン故郷に帰る』が公開された。

○ ツイッター誕生日
 2006年のこの日、ミニブログサービス「ツイッター(twitter)」の一番最初の「つぶやき」(書き込み) http://twitter.com/jack/status/20 が行われた。

【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】



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  ■※今日の俳句※■


  
  風のみの夜に咲きふえしゆすらの花
       片岡砂丘艸



  花ゆすら滋賀の仏師に京から弟子
       宮下初子



  万両にゆすらの花の白き散る
       正岡子規



■ 山桜桃(ゆすら)の花→英桃(ゆすら)。
 バラ科の落葉低木。中国原産で江戸時代に日本に伝わった。高さは約三メートルになる。
春、白または淡紅色の梅に似た花をつける。果実は食用となる。 山桜桃の実(夏)。



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※わが友に贈る/名字の言※
【「聖教新聞」2014年(平成26年)3月21日(金)より転載】

 ■※わが友に贈る※■


 いかなる苦難も
 受けて立つと決めよ!
 弛まぬ挑戦の連続が
 自身を強く大きくする。
 わが栄光の歴史を刻め!

     3月21日


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   ■※名字の言※■


(3/21)
先日、福島県の三春町へ行った。春になるとこの地では、梅・桃・桜と、三つの花が一度に咲く――それが町名の由来と聞いた。実際には、なかなかそうはいかないらしいが、何とも風雅な名前である



この三つに「李」を加えた、「桜梅桃李」という言葉がある。それぞれの姿で咲くさまを、“自分らしく生きる大切さ”の例えとしたもの。一方でこの4種、どれもバラ科サクラ属の植物という。花は違えど、実は仲間同士。咲き合うさまは、共に励ましているようにもみえる



先月、あるブロックの座談会で一人の婦人が体験発表に立った。「つたない話ですが……」。手書きの原稿を、震える声で読み始める。がんや経済苦を乗り越えてきた歩みをとつとつと語る。読み終えたとき、「私も同じ経験をした」と、何人もの参加者が涙をぬぐった



他者が自分らしく生きる姿に感動するのは、自らを重ねられる“共通点”を、そこに見つけようとするからだろう。自分では「こんなこと」と思ってしまう小さな一歩も、“私も同じように頑張れそう”という共感と勇気を周囲に広げるものだ



「一華を見て春を推せよ」(御書222頁)――小さくとも堂々と咲こうとする一輪に、多くの花が続く。人間も同じである。(洋)


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3月20日(木)のつぶやき

2014年03月21日 01時42分17秒 | 北斗七星

ブログを更新しました。 『ライラック/今日の俳句≪No.1526≫  』 amba.to/1lPWq5h


〔ストライキ〕相鉄・関東バスがスト決行(3/20)(レスキューナウニュース) - Y!ニュース headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140320-…



ライラック/今日の俳句≪No.1526≫  

2014年03月20日 05時46分12秒 | 今日の俳句


     ☆ライラック/今日の俳句☆  

彡------☆★☆*≪No.1526≫------------☆★☆*☆彡------☆☆彡
2014年(平成26年)3月20日(木)


○ 電卓の日
 日本事務機械工業会(現 ビジネス機械・情報システム産業協会)が1974(昭和49)年に、日本の電卓生産数が世界一になったことを記念して制定。
1964(昭和39)年3月18日にシャープが国産初の電卓を発売したことを記念し、記念日は覚えやすいように3月20日とした。

○ 上野動物園開園記念日

 1882年のこの日、日本初の近代動物園として、上野動物園が上野公園内に開園した。

○ LPレコードの日
 1951年のこの日、日本コロムビアからLPレコードが「長時間レコード」の名前で発売された。


【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】



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  ■※今日の俳句※■


  
  ライラック挿したく白き壺さがす
       中嶋秀子



  ライラックの香が一瞬の風接ぐ
       宇都宮滴水



  刳り舟み獄史も古りぬリラの冷え
       文挟夫佐恵




■ ライラック→リラの花。
 ヨーロッパ原産。春(日本では4-5月)に紫色・白色などの花を咲かせ、香りがよく香水の原料ともされる。
日本には近縁種ハシドイ (Syringa reticulata) が野生する。開花はライラックより遅く、6-7月に花が咲く。ハシドイは、俗称としてドスナラ(癩楢、材としてはナラより役に立ちにくい意味)とも呼ばれることがある。
花言葉は友情・青春の思い出・純潔・初恋・大切な友達など。
ハシドイの名は、木曽方言に由来する。属の学名 Syringa は笛の意で、この木の材で笛を作ったことによるという。



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※わが友に贈る/名字の言※
【「聖教新聞」2014年(平成26年)3月20日(木)より転載】

 ■※わが友に贈る※■


 出会いの時!
 新たな友情を育む
 好機の到来だ。
 大誠実と大情熱で
 信頼の絆を結べ!

     3月20日



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   ■※名字の言※■


(3/20)
 三陸の海辺に自生するハマユリは、夏に橙色の花を咲かせる。どこにそんな力があるのか、か細い茎で大輪を支える。浜の強風すら楽しんでいるかのようだ



「そんなハマユリが、この辺りの人は大好きなんです」。岩手・釜石の人が教えてくれた。懸命に咲くその花と、自らの生きる姿を重ねて見るのだろう



津波で壊滅した故郷で本紙の配達を担う婦人がいる。「“私がやる”と決めたから」と毎朝、軽自動車で駆ける。毎日、1人暮らしの人や高齢者が元気か、顔を見れば声を掛ける。“生活の足”がない友の買い物も進んで手伝う。「困っている人がいると、放っておけないでしょう」。そんな生き方に共感は広がる。先日、一番身近にいる彼女の夫が初めて、会館の中継行事に参加した



彼女がうれしそうに話した。「震災の後、咲かずにいたハマユリが、去年の夏は咲いたのよ」。“何があっても絶対、負けないで!”と、花に励まされる気がしたという。決してくじけない心の強さがあるからこそ、彼女は花の強さを感じることができたのだろう



「朗らかな出来事がなければ、自分でつくればよい。希望がなければ、自分で希望をつくればよい」と池田名誉会長。無限の希望の泉は、わが心の中にある。(應)


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3月19日(水)のつぶやき

2014年03月20日 01時40分26秒 | 北斗七星

海棠/今日の俳句≪No.1525≫   

2014年03月19日 07時12分03秒 | 今日の俳句


     ☆海棠/今日の俳句☆  

彡------☆★☆*≪No.1525≫------------☆★☆*☆彡------☆☆彡
2014年(平成26年)3月19日(水)


○ ミュージックの日
 音楽関係者の労働団体・日本音楽家ユニオンが1991(平成3)年に制定。
「ミュー(3)ジック(19)」の語呂合せ。
日本の音楽文化と音楽家の現状について広く理解を求め、その改善の為の支持を得ようと、全国各地でさまざまな活動が行われる。


【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】



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  ■※今日の俳句※■


  
  藤村の蔵書の数や花海棠
       寺嶋艶子



  海棠や蚕部屋の匂ふ伊那の里
       皆川盤水



  海棠の花くぐりゆく小径あり
       長谷川櫂




■ 海棠→花海棠・睡花・ねむれる花。

※ 読者の皆さんは、海棠(かいどう)という花をご存知でしょうか。ご存知の方も多いと思います。海棠とは、バラ科の赤い花で、花自体は小さいのですが、色は濃く、背は高く、4,5メートル位にもなります。桜よりは遅れ、初夏にかけて開花する花です。花はその後暫く残り、その後に、小さな林檎に似た実を結び、食用にすることが出来ます。
私は、必ずしもこの花には詳しくはなかったのですが、その存在を知ったのはこのような一つの句によります。
  「消へし児の還りて咲かむカイドウの花」  
この句は広島市立本川(ほんかわ)小学校の構内にある小さな地蔵像に刻まれたものです。本川小学校とは平和記念公園のすぐ脇にある、いわば、爆心地の小学校です。
爆心地の小学校・・・そう思うだけで私の弱い頭は真っ白になります。全てが想像を超えている世界だからです。折りしも、あの日、8月6日は月曜日で、丁度、1時間目の始まる頃の被災です。約400名の児童、しかも疎開の対象にならない低学年の児童ばかりが、そして教職員も全滅状態でした。
初めて広島の式典を見学したときは、式典終了後、公園内を一通り見て、真っ先にその小学校を訪ねてみました。広島市ではその日は、平和公園のみならず、街のあらゆる場所が慰霊の場所なのです。夏休み中で生徒の姿はありませんが、観光客、特に外国人の姿も目立ちました。きっと有名なのでしょうね。慰霊と書かれた大きな提灯が校門のところにありました。
そして、小学校の被爆校舎を利用して創設した、という資料館を見学しました。

【「nanasi's Daily Blog」より転載】

※ 【海棠の花くぐりゆく小径あり  長谷川櫂】

現代でも俳句が描く情趣の大方は芭蕉が開発した「わび、さび」の思想を負っている。そこには死生観、無常観が根底にある。そこに自らの俳句観を置く俳人は現世の諸々の様相を俳句で描くべき要件とは考えない。現実の空間や時間を「超えた」ところにひたすら眼を遣ることを自己のテーマたらむとするのである。
その考え方の表れとして例えば「神社仏閣」や「花鳥諷詠」が出てくる。どう「超える」かの問題や、現実に関わらない「超え方」があるのかどうかは別にして、そういうふうに願って作られる作品があり、そういう作品に惹かれる読者が多いこともまた事実である。いわゆる文人俳句といわれるものや詩人がみずから作る俳句の多くもまたこの類である。
自己表現における「私」と言葉とのぎりぎりの格闘に緊張を強いられてきた人は、俳句に「私」を離れた「諷詠」を求めたいのかもしれない。作者は生粋の「俳人」。世を捨てる「俳」の在り方に「普遍」を重ねてみている。句意は明瞭。『季別季語辞典』(2002)所載。
(今井 聖)

【「『増殖する俳句歳時記』(検索エンジン」より転載】



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※わが友に贈る/名字の言※
【「聖教新聞」2014年(平成26年)3月19日(水)より転載】

 ■※わが友に贈る※■


 夜間の事件・事故に
 くれぐれも注意!
 女子部・婦人部は
 「10帰運動」の厳守を!
 周囲も配慮を忘れるな。

     3月19日(水)



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   ■※名字の言※■


(3/19)
 東京のある区で、ヤング男子部が「○○と仏法」という集いを開いている



○○に入るのは登壇者の職業だ。信仰に励むことが“社会で勝つ”ことに、どう結びつくか。それを、男子部員が自分自身の実証を通して語る。これまでに8回、「ゼネコンと仏法」「特許事務と仏法」などの題で行われ、ためしに聞きに来て、後日、入会する青年も現れたという



社会人2年目の友は「人材派遣業と仏法」をテーマに発表していた。登録スタッフと企業、双方の希望と状況を聞き、将来まで考え抜いてベストの組み合わせを導き出す。「求められるのは、相手の立場に立つ心。それを教えてくれたのは、とことん部員さんに関わっていく学会活動でした」。部署随一の業績を収める彼の一言一言は、“信心即社会”の手応えと喜びに満ちていた



東京大学の市川裕教授は、小説『新・人間革命』につづられる体験について「ある人の勝利の体験を、次世代の後継者たちが確かに受け継いでいく」「これが世界中で起こっている創価学会の未聞の“実験”の結果」と評価する



一人の体験は、それを語ることで、他者の励みへと価値を広げる。ここに同志と歩むありがたさがある。私のきょうの前進が、やがてあしたの友の希望となる。(険)



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3月18日(火)のつぶやき

2014年03月19日 01時41分08秒 | 北斗七星

沈丁花/今日の俳句≪No.1524≫  

2014年03月18日 08時19分03秒 | 今日の俳句


     ☆沈丁花/今日の俳句☆  

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2014年(平成26年)3月18日(火)


○ 点字ブロックの日
 岡山県視覚障害者協会が2010年に制定。
1967年のこの日、岡山県岡山市の岡山盲学校の近くの国道2号・原尾島交差点に世界初の点字ブロックが敷設された。

○ 明治村開村記念日
 1965(昭和40)年のこの日、愛知県犬山市に博物館明治村が開村した。
博物館明治村は明治の建築物を保存展示する野外博物館である。


【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】



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  ■※今日の俳句※■


  
  深追いの恋はすまじき沈丁花
       芳村うつぎ



  疲れゐて沈丁の香をすぐまとふ
       加倉井秋を



  沈丁花闇に名前を呼ばれをり
       祐森彌香




■ 【季語・解説】
※ 沈丁花→沈丁・丁字・瑞香・芸香。
 ジンチョウゲ科の常緑低木。よく分枝し、つやのある倒披針形の葉を密につける。早春、紅紫色または白色の香りの強い花を多数開く。中国の原産で、雌雄異株であるが、日本のものはほとんど雄株で実を結ばない。
名は、花の香りを沈香(じんこう)と丁字(ちょうじ)にたとえたもの。瑞香。《季 春》「―春の月夜となりにけり/虚子」

【「デジタル大辞典」より転載】

※ 【深追いの恋はすまじき沈丁花  芳村うつぎ】

沈丁花は春咲きの花のくせに、暗いイメージと結びつきやすいようである。何冊かの歳時記を開いてみても、ひとしなみに暗い句ばかり(と言ってもよいほどだ)。
この稿を書くにあたって、庭に咲いている花を、あらためて観察してみた。花そのものは可憐といってもよいほど可愛らしいのだけれど、暗い印象は、花を囲む葉の色がつややかではあるが暗緑色で重い色感のせいだろうか。よく見ないと、一瞥するだけだと、たしかに陰欝な感じを受ける。香りもきついので、けっこう嫌う人も多いのだという。
だから、こんな具合に、沈丁花には迷惑な話ながら、人間の深情けの反省のきっかけにされてしまったりもするのだ。句の中身は演歌に近いが、かろうじて沈丁花に救われて「俳句」になったというところ。と言って、私はべつに演歌を馬鹿にしているのではない。
演歌の主体には常に匿名性があって、それも私は昔から好きだった。が、匿名性によりかかれない現代俳句という表現ジャンルには、このような作者なりの取り合わせの工夫が必要であるということだ。三橋鷹女には、別の理由によって、決して演歌にはならないであろう次の句がある。「沈丁やをんなにはある憂鬱日」。
(清水哲男)

【「『増殖する俳句歳時記』(検索エンジン」より転載】



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※わが友に贈る/今週のことば/名字の言※
【「聖教新聞」2014年(平成26年)3月18日(火)より転載】

 ■※わが友に贈る※■


 旅立ちの季節。
 父母をはじめ
 支えてくれた方々に
 心からの感謝を!
 報恩の道を歩み抜け!

     3月18日



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   ■※名字の言※■


(3/18)
春へいよいよ生命が輝く季節。先日は本紙の声の欄に、89歳の方が同じ89歳の友に弘教したことが紹介されていた。知り合ったのが19歳の時で、70年の交流の末に妙法の同志になったという。新出発に喝采を送りたい



若き日に入会したが、これまであまり学会活動に参加しなかった75歳の壮年がいる。一昨年、がんで胃の全的手術を行い、その後、再発。「余命1年」の宣告を受けた。だが負けられない。地区の同志も「祈っているからね」と



唱題を重ねるほどに壮年の胸中には、折伏への思いが湧いた。先月、妹に仏法対話。「この信心は間違いない。僕はこの信心をやって本当によかった。今、池田先生の弟子となって題目を唱えることが、どれほどすごいことか。一緒にやらないか」



正直な気持ちが溢れ出た。結果は実らなかったが、本紙の購読を約束してくれた。壮年にとって初めての仏法対話であり、初めての購読推進。「皆に恩返しができて、うれしかった」と笑った



池田名誉会長の著作『多宝抄』(光文社)に高齢の友への句が紹介されている。「人生の 勝利に今朝の 笑いじわ」「黙々と 今日も根をはれ 桜花」。妙法のための行動は、わが生命に福徳の根を張り、三世にらんまんと花を咲かせゆく。  (進)



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3月17日(月)のつぶやき

2014年03月18日 01時38分10秒 | 北斗七星

ブログを更新しました。 『三椏の花/今日の俳句≪No.1523≫   』 amba.to/1gwJmkw


三椏の花/今日の俳句≪No.1523≫

     goo.gl/j9f22K


【マッチポンプ】 マレーシア航空 ⇒ 中国が「民間機の撃墜」を命令 (((( (2:56) nico.ms/sm23064556 #sm23064556



三椏の花/今日の俳句≪No.1523≫     

2014年03月17日 06時56分01秒 | 今日の俳句


     ☆三椏の花/今日の俳句☆

彡------☆★☆*≪No.1523≫------------☆★☆*☆彡------☆☆彡
2014年(平成26年)3月17日(月)


○ 漫画週刊誌の日
 1959(昭和34)年のこの日、日本初の少年向け週刊誌『少年マガジン』『少年サンデー』が発刊された。
当時は読み物が中心で、漫画は少ししか載ってなかった。

【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】

■ 月斗忌
 俳人・青木月斗の1949(昭和24)年の忌日。
※ 青木月斗 あおき-げっと
 明治12年11月20日生まれ。正岡子規(しき)にみとめられ,大阪満月会を結成して明治32年「車百合」を創刊。
大正9年から「同人」を主宰し,関西俳壇の中心として活動。昭和24年3月17日死去。71歳。没後「月斗翁句抄」が刊行された。大阪出身。本名は新護(しんご)。別号に月兎。著作に「子規名句評釈」。
【格言など】天墨の如し大雪になるやらん(「月斗翁句抄」)

【「デジタル版 日本人名大辞典」より転載】


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  ■※今日の俳句※■


  
  三椏の花三三が九三三が九
       稲畑汀子



  三椏や英国大使館鉄扉
       佐藤鬼房



  三椏のいろはにはじまる雑木山
       伊藤三十四




■ 【季語・解説】
※ 三椏の花→黄瑞香。
 ジンチョウゲ科の落葉低木で、中国原産。高さは2メートルぐらい。葉の出る前に黄色い花が三叉に分かてた枝の先にびっしりと咲く。樹皮は和紙の原料として重用される。

【「合本・俳句歳時記/第三版」(角川書店)より転載】



※ 【三椏の花三三が九三三が九  稲畑汀子】
 はや三月。何かふさわしい句をと、手当たり次第に本をひっくり返しているうちに、この句に出会えた。
これだけたくさん「三」の出てくる句は、他にはないだろう。季語は「三椏(みつまた)の花」で春。
枝や幹が和紙の原料になる、あの三椏の黄色い花だ。和紙の需要が減り、近年では観賞用に植えられることが多くなったという。
佐藤鬼房に「三椏や英国大使館鉄扉」とあるところを見ると、ヨーロッパなどでは古くから観賞用だったのかもしれない。
掲句には、作者の弁がある。「三椏の花を見た時に私は思わず九九を口ずさんでいた。俳句の中に九九を使って数字を並べただけの奇を衒(てら)った表現と思う人があるかもしれないが、私は見たまま感じたままを俳句にしたにすぎないのである。枝が三つに分かれ、その先に花が三つ咲く。
九九を通して花の咲き具合を想像して頂ければこの句は成功といえよう。ともかく私はこの句が気に入っている」。
いやあ、私も大いに気に入りました。たしかに「三三が九」と咲くのです。九九を覚えたころの子供の心が、思いがけないきっかけから、ひょっこりと顔を出した……。
このこと自体が、楽しい春の気分によく通じている。『新日本大歳時記・春』(2000・講談社)所載。
(清水哲男)

【「『増殖する俳句歳時記』(検索エンジン」より転載】



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※わが友に贈る/今週のことば/名字の言※
【「聖教新聞」2014年(平成26年)3月17日(月)より転載】

 ■※わが友に贈る※■


 社会で奮闘する
 誉れの壮年部よ!
 題目の師子吼で
 全ての波浪を越えゆけ!
 断じて勝利の実証を!

     3月17日


 ■※今週のことば※■


 進学・就職・転居など
 新スタートを爽やかに!
 人生を開く好機(チャンス)だ。
 感謝の心を光らせ
 勇気のチャレンジを!

     3月17日



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   ■※名字の言※■


(3/17)
電車やバスを降りたとき、身なりとともに「表情」も整える人がいる。ぐっと目に力を入れる2人連れの男性は、これから商談らしい。不安をはらうように口角を上げるスーツ姿の女性は、就職活動のようだ



信仰体験の取材で、「表情をつくった」話を伺うことがある。夫が脳梗塞で倒れた経験がある婦人。見舞いのときはいつも病室の前で、笑顔を作ってからドアを開けた。「絶対に回復するわよ」と。努めて明るく語り掛ける。泣きはらした目のくまが、化粧で隠されているのを、夫は見逃さなかった。“絶対に乗り越える!”。あらためて決意した



心からの笑顔は、周囲を明るく元気にする。だが、努力して「つくった」笑顔が、人に大きな勇気を送ることも多い。そう考えれば、どんな時も笑顔でいようと努力できること自体が、すでに“心の勝利”なのだと思える



御書にも「親に良い物を送ろうと思っても、何もできない時は、せめて日に二度、三度、笑顔を見せてあげなさい」(1527頁、通解)と。心は表情に出てくるもの。一方で、表情をつくることで、湧いてくる心もあるはずだ



きょう、深い悩みを胸に、それでも笑顔で過ごそうと決める。その心が自分を励ます。励まされる誰かが、必ずいる。  (洋)


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