【「聖教新聞」 2014年 12月19日(金)より転載】
【広宣譜28】
大阪大会の会場となった大阪市中央公会堂は、場外も参加者であふれていた。雷雨のなか、多くの人は傘も差さずに、特設されたスピーカーから流れる声に耳を澄ました。
場内では、ひときわ大きな拍手が高鳴り、山本伸一が登壇した。
「皆様、大変にしばらくでございました」
堂々たる、力強い声であった。
兄とも慕う伸一が、二週間余にわたって過酷な取り調べに耐え、今、元気に、自分たちの前に姿を現したのだ。関西の同志は、感涙を抑えることができなかった。また、広宣流布の道は、権力の魔性との熾烈な闘争であることを痛感し、憤怒のなかに、一切の戦いへの勝利を誓った瞬間であった。
「最後は、信心しきったものが、御本尊様を受持しきったものが、また、正しい仏法が、必ず勝つという信念でやろうではありませんか!」
伸一の師子吼に、皆、心を震わせながら、大拍手で応えた。
関西の同志は、深く生命に刻んだ。
“負けたらあかん! 戦いは、勝たなあかんのや!”――ここに、関西の“不敗の原点”が、燦然と刻印されたのである。
伸一の法廷闘争は、四年半に及び、一九六二年(昭和三十七年)一月二十五日、無罪判決が出された。検察の控訴はなく、遂に無罪が確定した。共に戦い、涙し合った関西の同志は、わが事のように喜び、歓喜をバネに破竹の勢いで常勝の躍進を開始したのだ。
広宣流布の“不滅の金字塔”を打ち立てた、あの大阪の戦いから二十二年を経て、二十一世紀まで、あと二十二年余となった。伸一は、まさに新世紀への折り返し点に立った今こそ、関西の同志に、永遠不滅の常勝の城を築き上げてほしかったのである。
ゆえに彼は、関西の後継の勇者たちが、“関西魂”を永遠に受け継ぎ、新しき飛躍を期す誓いの歌として、「関西の歌」が必要であると考えたのである。
歌は、魂を鼓舞し、勇気を呼び覚ます。
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