和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

若芽47/小説「新・人間革命」   

2013年12月16日 05時09分33秒 | 新・人間革命
若芽47/小説「新・人間革命」

      小説「新・人間革命」

【「聖教新聞」 2013年 (平成25年)12月16日(月)より転載】


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若芽47(12/16)

 教頭の木藤優は、夏休みに入っても、日々、呻吟しながら、東京創価小学校の校歌の作詞に余念がなかった。何度となく推敲を重ねたが、なかなか納得できるものにはならなかった。ようやく山本伸一に歌詞を提出したのは、八月末であった。

  

 一、いつの日か いつの日か

   ともに誓った この日の出会い

   小鳥がうたう 武蔵野原に

   明るくつどう このまなびやは

   われらの創価 創価小学校

   

 二、いつの日も いつの日も

   はげみ学ぼう 大樹をめざし

   くぬぎ林に 北風吹くも

   未来をつくる このまなびやは

   われらの創価 創価小学校

   

 三、いつまでも いつまでも

   大空あおぎ 手をとりあって

   心にひめる ぼくらの誓い

   富士も見つめる このまなびやは

   われらの創価 創価小学校

  

 一番には、遠い過去からの誓いのもとに、この小学校に集い合った喜びが歌われていた。

 人間と人間が出会い、共に学ぶのは偶然ではない。過去世からの深い縁がある。そこに眼を向け、人の絆を大切にしていこうとする心が、強い友情を育む。

 二番には、大樹をめざし、日々、努力を重ねて、困難を乗り越えていこうとする気概があふれていた。そして、三番には、大志を胸に、互いに励まし合い、人生の誓いを果たそうとする決意が脈動していた。

 また、一番は「明るい子」、二番は「ねばり強い子」、三番は「思いやりのある子」という、低学年のモットーがイメージされていた。

 伸一は、歌詞の案を見て、やさしい言葉のなかに、東京創価小学校のめざすものが端的に表現された詞であると思った。


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海鼠/今日の俳句 第1441号

2013年12月16日 04時21分51秒 | 今日の俳句

◇海鼠/今日の俳句◇
       ◇※第1441号※◇
      

 2013年(平成25年)12月16日(月)


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■ 12月16日。
○ 電話創業の日。
 1890(明治23)年のこの日、東京市内と横浜市内の間で日本初の電話事業が開始した。加入電話は東京155台・横浜44台で、女子7人・夜間専門の男子2人の交換手が対応した。

○ 紙の記念日。
 1875(明治8)年のこの日、東京・王子の抄紙会社の工場で営業運転を開始した。抄紙会社は実業家・澁澤榮一が大蔵省紙幣寮から民間企業として独立させたもので、王子製紙の前身となった。

【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】


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   ■※今日の俳句※■


  海鼠噛む遠き暮天の波を見て
         飯田龍太


  町古りて沖の暗さの海鼠噛む
         梶山千鶴子


  大海鼠水吐き出して捌かれぬ
         田辺風信子


【季語の解説】
※ 海鼠→酢海鼠。
 ナマコ網に属する浅海産棘皮動物の総称だが、普通、真海鼠をいう。円筒状で口の回りに環状の触手が並んでいる。真海鼠は三杯酢で生食される。
 腸は海鼠腸(このわた)、卵巣は海鼠子(このこ)、といって酒客に好まれる。煮干したものを海参(いりこ)といい、中華料理の素材に用いる。

【「合本・俳句歳時記/第三版」(角川書店)より転載】

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※わが友に贈る/名字の言※
【「聖教新聞」2013年(平成25年)12月16日(月)より転載】


     ※わが友に贈る※


 雪道や凍結路に注意!
 油断・過信を排し
 余裕をもって行動を!
 配達員の皆様も
 どうか安全第一で!

      ◇※12月16日※◇



     ※今週のことば※


 勝利の一年を飾る
 座談会を賑やかに!
 会場のご家族に感謝を。
 共々に健闘を讃え合い
 新たな広布の船出を!

       ◇※12月16日※◇


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    ◇※名字の言※◇


19世紀から20世紀にかけて名声を博したフランスの舞台女優に、サラ・ベルナールがいる。
“銀の鈴の音”とも形容された彼女の声は、レストランのメニューを読み上げただけで、その場にいた全員を泣かせたという



後年、けがが原因で脚を切断する事態に見舞われたが、それでも舞台に立ち、歌声で観衆を魅了した。「声の力」「音楽の力」を信じ抜く心の強さが、人々の心を揺さぶったのだろう



一昨年の大震災以降、民音などが主催する「東北希望コンサート」が各地で開かれている。
コンサートは“希望を音楽に託して、復興に歩む人々に届けたい”という東北の2人青年の声が発端となり、関係者の努力で実現した。これまで岩手、宮城、福島で26回の公演が行われた



ある福島公演でのこと。会場は原発事故で避難した先の小学校の仮校舎だった。コンサートが終了し、児童たちは通学バスで、それぞれの仮設住宅へ帰宅の途に。
その時、演奏を終えたアーティストらが外へ出て、家路に就く児童全員を見送った。子どもたちも感激したが、出演者たちも「子どもたちを笑顔にさせる“音楽の力”を再認識させてもらった」と感謝していた



音楽も声も、心と心を結ぶ“共鳴器”。希望の輪を広げていく。
              (白)

 
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◆浩ko・ 編集後記◆

今日も有難う御座います。和井弘希です。皆さまのご健康と無事故をお祈りしております。



12月15日(日)のつぶやき

2013年12月16日 01時54分02秒 | 公明党