和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

潤目鰯(うるめいわし)/今日の俳句 第1437号

2013年12月12日 04時42分08秒 | 今日の俳句



◇潤目鰯(うるめいわし)/今日の俳句◇
       ◇※第1437号※◇
      

 2013年(平成25年)12月12日(木)


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■ 12月12日。
○ 洋服記念日。
 全日本洋服協同組合連合会が1972(昭和47)年に制定。
 1872(明治5)年のこの日、「礼服ニハ洋服ヲ採用ス」という太政官布告が出され、それまでの公家風・武家風の和服礼装が廃止された。

○ 皮膚の日。
 日本臨床皮膚科医学会が1989(平成元)年に制定。「い(1)い(1)ひ(1)ふ(2)」の語呂合せ。

【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】


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   ■※今日の俳句※■


  うるめ焼く人にたのしく皿はあり
         永田耕衣


  一合を愉しむ潤目鰯かな
         日野草城


  うるめ干す路地の続きの魚市
         吉村靖子


【季語の解説】

※ 潤目鰯(うるめいわし)→うるめ。
 ウルメイワシ科の海産の硬骨魚。形は真鰯に似ているが、丸みを帯び、目が潤んだように見える。
 上部は暗青色。下部は銀白色で美しい。脂肪が少なく、味は淡白で、煮つけや塩焼きはうまくないが、干物にすると美味。

【「合本・俳句歳時記/第三版」(角川書店)より転載】


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※わが友に贈る/名字の言※
【「聖教新聞」2013年(平成25年)12月12日(木)より転載】


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     ※わが友に贈る※


 真剣な「信力」と
 勇敢な「行力」に
 「仏力」「法力」は涌現!
 強盛な祈りと行動で
 不可能を可能に!

      ◇※12月12日※◇


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    ◇※名字の言※◇

 冬本番を迎え、本州の太平洋側でも北西の季節風の吹く日が多くなる。農作業は寒さとの闘いだが、葉菜や根菜などの収穫に忙しい時でもある



先日訪れた埼玉県北部の農家でも、収穫作業の真っ最中。熱暑で知られる熊谷市に近いが、夫妻して暑さに弱いブロッコリーの早出し出荷を成功させている



企業勤めの後、意欲をもって就農した夫に対し、妻は全くの未経験。「青天のへきれき」のように農作業が始まり、手は荒れ、時間に追われる毎日。
自分の選択は正しかったのか――迷いを断ち切ったのが、“地域の灯台に”との池田名誉会長の指針だった。今、妻は語る。「自分の労苦には意味がある。使命と捉えて能動的に生きることで、地域に貢献できることを知りました」



その言葉に、キュリー夫人の言葉が重なった。「どの時代でも、人はおもしろく有意義な人生を送れると思っています。肝心なのは、与えられた人生をむだにせず、〈わたしは自分にできることはやった〉と自分自身に言えるようにすること」(『キュリー夫人伝』河野万里子訳、白水社)



人生の成功を開く鍵を、誰もが自身の中に持っている。北風の時は、自分が“太陽”と輝けばよい。大地と共に生きる友は、それを知っていた。
              (由)

 
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◆浩ko・ 編集後記◆

 今日も有難う御座います。和井弘希です。皆さまのご健康と無事故をお祈りしております。


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若芽44/小説「新・人間革命」     

2013年12月12日 04時39分52秒 | 新・人間革命


      小説「新・人間革命」

【「聖教新聞」 2013年 (平成25年)12月12日(木)より転載】


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若芽44(12/12)

 本川雅広の一家の生活は、困窮を極めた。

 贅沢な食事など、いっさい口にすることはなかった。彼は、「焼き肉」といえば、“たくさんのモヤシを焼いて食べるもの”と思っていた。また、衣服のほとんどは、親戚などからのもらい物で過ごした。

 本川の両親は、懸命に働き、家計を極限まで切り詰めて、中学、高校、大学と、彼に創価一貫教育を受けさせた。雅広より二歳下の妹も、高校と大学は、創価の学舎に通わせた。“どんなに貧しくても、山本先生の創立した学校で、創価の人間教育を受けさせたい”との思いからであった。

 雅広は、大学時代、ラテンアメリカ研究会に入り、スペイン語を猛勉強し、アルゼンチンのブエノスアイレス大学に留学した。

 卒業後は、大手翻訳会社に勤務したあと、自ら翻訳会社を設立。世界平和を願い、文化の交流に寄与していくことになる。

 山本伸一は、東京創価小学校の開校以来、逆境に立たされた児童がいると、自分の生命を削る思いで励ましてきた。最も苦しんでいる子どもの力にならずして、教育の道はない。人間の道はない。

 開校から七年余りが過ぎた一九八五年(昭和六十年)七月十七日、伸一は創価学園の栄光祭に出席した。その折、小学校三年の林田新華と、弟で一年の弘高を呼び、語らいの機会をもった。前日、母親の林田千栄子が他界したことを聞いたからだ。母親は、かつて、学会本部の健保組合健康管理相談室の看護婦(現在の看護師)をしており、伸一も、よく知っていた。父親の林田一徳は、公認会計士として社会の第一線で活躍していた。

 母親は、前年の暮れ、直腸に癌が発見された。一カ月後、手術をしたが、周辺にも浸潤が見られ、病巣を取り切ることはできなかった。医師は「余命三カ月」と告げた。

 母親は退院し、術後六カ月を経た時、再び入院した。幼い子どもたちにとっても、過酷な宿命の嵐であった。しかし、それに負けない強さをもたずして幸福はない。


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12月11日(水)のつぶやき

2013年12月12日 01時55分30秒 | 公明党