工房八重の部屋

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「龍馬と酢屋」酢屋10代目当主の酢屋を継続していく京都人の心ゆきに感銘

2010年09月09日 | Weblog
坂本龍馬は、海援隊本部を酢屋に置き、龍馬は、変名の 「才谷さん」 を名乗り、

二階に住んでいました。

酢屋は、東海道終点三条大橋に近く、高瀬川の舟入があり、荷物の荷揚げ場所で、伏見を

通り、淀川から大阪湾へと向かう、交通の要所であり、各藩の藩邸があり、土佐藩の

藩邸も、近くにありましたので、酢屋に住んだのではないか?と、いう事です。

当時の六代目酢屋嘉平衛は、材木商を営んでおり、また高瀬川の木材の独占輸送権を持って

いて、輸送業も営む大店で、各藩の藩邸にも出入りしてました。

龍馬は28歳で、土佐を脱藩しましたが、酢屋に住む頃は、脱藩の罪も許され、大政奉還へ

と、働いていた頃です。

10代目当主の中川敦子さんは、「その当時、幕府にさからう働きをした、竜馬や海援隊を

かくまうのは、土佐藩からの依頼とはいえ、大変な勇気がいったと思います。龍馬自身の

人間的魅力にも、引かれたのかもしれません!」 と、酢屋の立場から、言っていました。

叉「龍馬は33歳の生涯の間に、今、現存している手紙は、139通で,その内6通は

重要文化財に指定され、残された手紙からは、龍馬が、当時の日本の現状を憂い、

変えなくてはという志、人に対する思いやり、ユーモア溢れ、人から好かれた性格などが、

読み取れる!」ということです。

酢屋は、明治維新後は、天皇家や公家が東京に移り、家運は傾き、借家や土地は売って

しのいでも、この酢屋の本家だけは、手離さないが家命で、昭和3年に古材を使って、

江戸時代そのままに、祖父が改築し、今に到っているとのことです。

幼い頃は、祖父母と護国神社内の龍馬のお墓に、月参りするのが、ならわしで、

その当時は、龍馬ブームも無く、墓参する人も無かったとか!

現在10代目になり、酢屋は289年の歴史がある材木商ですが、何回も倒産寸前までいき

今は、会社は千本三条の方に移転し、銘木を扱い、本店は、銘木を扱った木工芸の品物を

販売、また龍馬の資料を展示した、ギャラリーになっています。

京都は、老舗の何百年のいう店が、残っている地なのですが、老舗が時代の変動の中で生き

残っていく大変さを伺い、感銘を受けました。



ポスター


10時から30分間は、歌唱指導!


「龍馬と酢屋」の講座  酢屋10代目の当主 中川 敦子氏


酢屋の本店  昭和3年に古材を使って、江戸時代そのままに、祖父が改築し、今に到っているとのことです。 
今は銘木の木工品の販売や、龍馬の遺品を展示するギャラリーになっている。
 私も昨年に、行ってみましたが、観光客が、訪れていました。


酢屋10代目の当主 中川敦子氏の講演は、話上手で、時間があっという間に過ぎました。


スライドの右上の写真は、千本に移転した、千本銘木商会です。今も木の商いをしています。


龍馬の心ざしを現代に生かそうと、龍馬と同じ年代の33歳までの人から、
「もし龍馬のような立場に、現在あったらどのように思い、活動したいのか!」を全国から手紙をつのり、
酢屋のギャラリーで10月末に公開しています。 
そのイベントは今年で18回を迎え、最優秀賞には、5万円が贈られるとか!


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