坂本龍馬は、海援隊本部を酢屋に置き、龍馬は、変名の 「才谷さん」 を名乗り、
二階に住んでいました。
酢屋は、東海道終点三条大橋に近く、高瀬川の舟入があり、荷物の荷揚げ場所で、伏見を
通り、淀川から大阪湾へと向かう、交通の要所であり、各藩の藩邸があり、土佐藩の
藩邸も、近くにありましたので、酢屋に住んだのではないか?と、いう事です。
当時の六代目酢屋嘉平衛は、材木商を営んでおり、また高瀬川の木材の独占輸送権を持って
いて、輸送業も営む大店で、各藩の藩邸にも出入りしてました。
龍馬は28歳で、土佐を脱藩しましたが、酢屋に住む頃は、脱藩の罪も許され、大政奉還へ
と、働いていた頃です。
10代目当主の中川敦子さんは、「その当時、幕府にさからう働きをした、竜馬や海援隊を
かくまうのは、土佐藩からの依頼とはいえ、大変な勇気がいったと思います。龍馬自身の
人間的魅力にも、引かれたのかもしれません!」 と、酢屋の立場から、言っていました。
叉「龍馬は33歳の生涯の間に、今、現存している手紙は、139通で,その内6通は
重要文化財に指定され、残された手紙からは、龍馬が、当時の日本の現状を憂い、
変えなくてはという志、人に対する思いやり、ユーモア溢れ、人から好かれた性格などが、
読み取れる!」ということです。
酢屋は、明治維新後は、天皇家や公家が東京に移り、家運は傾き、借家や土地は売って
しのいでも、この酢屋の本家だけは、手離さないが家命で、昭和3年に古材を使って、
江戸時代そのままに、祖父が改築し、今に到っているとのことです。
幼い頃は、祖父母と護国神社内の龍馬のお墓に、月参りするのが、ならわしで、
その当時は、龍馬ブームも無く、墓参する人も無かったとか!
現在10代目になり、酢屋は289年の歴史がある材木商ですが、何回も倒産寸前までいき
今は、会社は千本三条の方に移転し、銘木を扱い、本店は、銘木を扱った木工芸の品物を
販売、また龍馬の資料を展示した、ギャラリーになっています。
京都は、老舗の何百年のいう店が、残っている地なのですが、老舗が時代の変動の中で生き
残っていく大変さを伺い、感銘を受けました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/50/3b13c9779d31739a57681c78e873c5d0.jpg)
ポスター
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/2d/5d5ad6774a2896cd6e1236c2af386d65.jpg)
10時から30分間は、歌唱指導!
「龍馬と酢屋」の講座 酢屋10代目の当主 中川 敦子氏
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/1e/3c7fec17133626a815d716d462d0379c.jpg)
酢屋の本店 昭和3年に古材を使って、江戸時代そのままに、祖父が改築し、今に到っているとのことです。
今は銘木の木工品の販売や、龍馬の遺品を展示するギャラリーになっている。
私も昨年に、行ってみましたが、観光客が、訪れていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/be/7e9314133a831c75c84c6e9023607b0a.jpg)
酢屋10代目の当主 中川敦子氏の講演は、話上手で、時間があっという間に過ぎました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/9f/917fefabb97d0588b1241ff1c8a6cad9.jpg)
スライドの右上の写真は、千本に移転した、千本銘木商会です。今も木の商いをしています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/c8/e0c79c21c5322352345502519c1c9aac.jpg)
龍馬の心ざしを現代に生かそうと、龍馬と同じ年代の33歳までの人から、
「もし龍馬のような立場に、現在あったらどのように思い、活動したいのか!」を全国から手紙をつのり、
酢屋のギャラリーで10月末に公開しています。
そのイベントは今年で18回を迎え、最優秀賞には、5万円が贈られるとか!
二階に住んでいました。
酢屋は、東海道終点三条大橋に近く、高瀬川の舟入があり、荷物の荷揚げ場所で、伏見を
通り、淀川から大阪湾へと向かう、交通の要所であり、各藩の藩邸があり、土佐藩の
藩邸も、近くにありましたので、酢屋に住んだのではないか?と、いう事です。
当時の六代目酢屋嘉平衛は、材木商を営んでおり、また高瀬川の木材の独占輸送権を持って
いて、輸送業も営む大店で、各藩の藩邸にも出入りしてました。
龍馬は28歳で、土佐を脱藩しましたが、酢屋に住む頃は、脱藩の罪も許され、大政奉還へ
と、働いていた頃です。
10代目当主の中川敦子さんは、「その当時、幕府にさからう働きをした、竜馬や海援隊を
かくまうのは、土佐藩からの依頼とはいえ、大変な勇気がいったと思います。龍馬自身の
人間的魅力にも、引かれたのかもしれません!」 と、酢屋の立場から、言っていました。
叉「龍馬は33歳の生涯の間に、今、現存している手紙は、139通で,その内6通は
重要文化財に指定され、残された手紙からは、龍馬が、当時の日本の現状を憂い、
変えなくてはという志、人に対する思いやり、ユーモア溢れ、人から好かれた性格などが、
読み取れる!」ということです。
酢屋は、明治維新後は、天皇家や公家が東京に移り、家運は傾き、借家や土地は売って
しのいでも、この酢屋の本家だけは、手離さないが家命で、昭和3年に古材を使って、
江戸時代そのままに、祖父が改築し、今に到っているとのことです。
幼い頃は、祖父母と護国神社内の龍馬のお墓に、月参りするのが、ならわしで、
その当時は、龍馬ブームも無く、墓参する人も無かったとか!
現在10代目になり、酢屋は289年の歴史がある材木商ですが、何回も倒産寸前までいき
今は、会社は千本三条の方に移転し、銘木を扱い、本店は、銘木を扱った木工芸の品物を
販売、また龍馬の資料を展示した、ギャラリーになっています。
京都は、老舗の何百年のいう店が、残っている地なのですが、老舗が時代の変動の中で生き
残っていく大変さを伺い、感銘を受けました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/50/3b13c9779d31739a57681c78e873c5d0.jpg)
ポスター
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/2d/5d5ad6774a2896cd6e1236c2af386d65.jpg)
10時から30分間は、歌唱指導!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/c4/72a6d50a8b107e32a52027b27ba73293.jpg)
「龍馬と酢屋」の講座 酢屋10代目の当主 中川 敦子氏
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/1e/3c7fec17133626a815d716d462d0379c.jpg)
酢屋の本店 昭和3年に古材を使って、江戸時代そのままに、祖父が改築し、今に到っているとのことです。
今は銘木の木工品の販売や、龍馬の遺品を展示するギャラリーになっている。
私も昨年に、行ってみましたが、観光客が、訪れていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/be/7e9314133a831c75c84c6e9023607b0a.jpg)
酢屋10代目の当主 中川敦子氏の講演は、話上手で、時間があっという間に過ぎました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/9f/917fefabb97d0588b1241ff1c8a6cad9.jpg)
スライドの右上の写真は、千本に移転した、千本銘木商会です。今も木の商いをしています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/c8/e0c79c21c5322352345502519c1c9aac.jpg)
龍馬の心ざしを現代に生かそうと、龍馬と同じ年代の33歳までの人から、
「もし龍馬のような立場に、現在あったらどのように思い、活動したいのか!」を全国から手紙をつのり、
酢屋のギャラリーで10月末に公開しています。
そのイベントは今年で18回を迎え、最優秀賞には、5万円が贈られるとか!
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