工房八重の部屋

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ウイングス京都で「ニッポンのハムサムウーマン・新島八重」の講座を聞く

2013年07月06日 | Weblog
ウイングス京都で新島八重に学ぶ男女、共同産学大学の連続講座で、6月29日に、

「ニッポンのハムサムウーマン・新島八重」の講座がありました。


〈講 師〉 は佐伯 順子氏 (同志社大学社会学部教授)

 八重を通じて、幕末から明治にかけての社会の変革期を生きた女性の実情を男女共同参画の

視点で、見つめるという内容で、八重と同時代に生き、八重とともに戦い、戦士した中野竹子や

会津藩出身で幼い時から、アメリカに留学して、、鹿鳴館の花になった大山捨松や

北村ミナと透谷の自由結婚のカップルなどの、説明がありました。

明治時代初期よりも明治後期になるにつれ、男尊女卑の傾向になっていった時代の流れや、

新島襄がアメリカに留学し、日本型の立身出世や男女観に染まっていなので、

八重の型破りさや、人として尊敬できる八重に惹かれ結婚するのですが、

その時代の新島襄も、当時はまれな男性だったとのことです。

お互いに尊敬しあう2人が出会い、京都という伝統ある町にキリスト教主義の同志社という

学校を無謀にも、作りました。

八重の我が道を行く生き方は、当時の社会の目からは「男勝りの悪女」として否定的に見られ

ましが、襄が亡きあとは篤志看護婦として活動し、会津戦争の時代からも人の役にたちたい!

という思いやりや、奉仕の精神が根底にあり,他者へのやさしさと信念があり、

道徳観に支えられた意思のある女性だったことに、着目されるとのことです!

「精神のハムサムウーマン」新島八重の生き方に学ぶ講座は、社会情勢によって

変わっていった女性の生き方を考えさせられた講座でした。


新島八重


男装姿の入城当時の姿を再現した八重  1910年(明治34年)撮影


晩年の茶人として生きた八重


会場


ウイングス京都にむかって歩いていると、なんやらにぎやかな建物発見!
講習終わってから行ってみました


中は八百一という、山科にはないタイプのしゃれたスーパーで、買いたい食品がいっぱいあり
地下鉄で来たので、少しだけ買いました。 次は車で来て買いこみたい!スーパーでした。


ウイングス京都の近くにある中京郵便局(旧京都中央郵便局)
1902年竣工、1974年、外側だけを残して内部は新築し、今も郵便局です。



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