美大出身の友人と京都高島屋の「ユトリロ展」に行きました。
ユトリロの生誕130年記念の回顧展とのことです。
ユトリロはパリの詩情あふれる風景を描きつづけ「モンマルトルの画家」と言われ
その風景の多くの絵は実際眺めて描いたのではなく、絵葉書をもとに描かれた
ものだそうです。
ユトリロの生い立ちは、父がだれかもわからず、母はつねに恋愛をし、母から愛をもらえ
ず苛立ち、世間から邪魔者扱いされ、深酒で暴れ回る厄介者、そんな扱いを受けて来た彼
にとっては、アルコール依存症や精神を病み、少年時代の病院での治療生活の中で、
リハビリとして絵を描くように勧められ、その才能が開花し、絵画表現が自らの
孤独な魂の救済であったかもしれない! とのことでした。
この時代の多くの画家が不遇の中に死んでいったなかで、晩年の1955年
モーリス・ユトリロは、パリ名誉市民となったが、同年11月5日、旅先のホテルで
肺充血により、突然死去。
ユトリロの遺体は、サクレ・クール寺院の納骨堂に安置され、寺院の隣り、
テルトル広場の入り口の向かいにあるサン・ピエール教会で葬儀が行われた。
葬儀には大勢の人々が参列し、見送り彼を惜しみ、波乱万丈の人生に幕がおりました。
ユトリロ展の看板
パンフレットから
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ユトリロの生誕130年記念の回顧展とのことです。
ユトリロはパリの詩情あふれる風景を描きつづけ「モンマルトルの画家」と言われ
その風景の多くの絵は実際眺めて描いたのではなく、絵葉書をもとに描かれた
ものだそうです。
ユトリロの生い立ちは、父がだれかもわからず、母はつねに恋愛をし、母から愛をもらえ
ず苛立ち、世間から邪魔者扱いされ、深酒で暴れ回る厄介者、そんな扱いを受けて来た彼
にとっては、アルコール依存症や精神を病み、少年時代の病院での治療生活の中で、
リハビリとして絵を描くように勧められ、その才能が開花し、絵画表現が自らの
孤独な魂の救済であったかもしれない! とのことでした。
この時代の多くの画家が不遇の中に死んでいったなかで、晩年の1955年
モーリス・ユトリロは、パリ名誉市民となったが、同年11月5日、旅先のホテルで
肺充血により、突然死去。
ユトリロの遺体は、サクレ・クール寺院の納骨堂に安置され、寺院の隣り、
テルトル広場の入り口の向かいにあるサン・ピエール教会で葬儀が行われた。
葬儀には大勢の人々が参列し、見送り彼を惜しみ、波乱万丈の人生に幕がおりました。
ユトリロ展の看板
パンフレットから
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