工房八重の部屋

京都の紹介、日々の出来事や思いを綴ってます

ドイツ、ポツダム、秋の美しい森の中のツェツィーリエンホーフ宮殿

2017年12月18日 | Weblog
ベルリンを出発してバスで45分のポツダムに行きました。

ポツダムは、古くから王家に愛されていた夏の避暑地で、18世紀にフリードリヒ2世が

サンスーシ宮殿や新宮殿など豪華な宮殿を建設し、宮廷文化が花開いた所で、

かつては東ドイツに属していましたが、東西ドイツ統一後はベルリンの隣町として、活気のある場所

ということを、今回の旅行で知りました。

日本人にとって、ポツダムというところは、ポツダム宣言のあった場所で

苦い思いのある地名です。

宮殿の建物および庭園は「ポツダムとベルリンの宮殿群と公園群」の1つとして

ユネスコの世界遺産に登録されるので、観光客も多かったです。

宮殿というより、広大な別荘という趣の建物でした。

ポツダム会議の期間中にポツダム宣言が発され、日本は降伏勧告を受諾拒否。

その直後1945年8月6日に広島市へ、8月9日に長崎市へ原爆を投下されました。

バスの駐車場から黄葉のキレイに色づいた林の中を歩いて、到着しました。

ここで第二次世界大戦の戦後処理の会議がされたのかと思うと、日本人が経験した

色んな思いを、思い出させる感慨深い場所です。

ポツダム宣言は、1945年(昭和20年)7月26日にアメリカ合衆国大統領、イギリス首相、

中華民国主席の名において大日本帝国(日本)に対して発された、

「全日本軍の無条件降伏」等を求めた全13か条から成る宣言です。

他の枢軸国が降伏した後も交戦を続けていた日本は、原爆を落とされたのち

1945年8月14日にこの宣言を受諾し、1945年9月2日に調印・即時発効(降伏文書)に

至って第二次世界大戦は終結しました。

宮殿内には各首脳が会議中使った部屋や会議の行われた部屋が残されていて

ショックを受けた心に、周辺の色づいた林の美しさは、心にしみました!


ベルリンからポツダムに向かう道は木々が色づい美しい!










ベルリンからポツダムまではバスで45分くらいの近くにありました。
ポツダムの建物




ポツダムのレストランのある建物


レストランのある入口


ランチ


メインはミートボール




デザート


ランチ後はポツダム会議が開催されたツェツィーリエンホーフ宮殿に行きました。
林が黄葉してきれいです。


ツェツィーリエンホーフ宮殿


ツェツィーリエンホーフ宮殿


ツェツィーリエンホーフ宮殿
ツェツィーリエンホーフ宮殿は、1917年に当時のドイツ帝国皇太子であった
ヴィルヘルム・フォン・プロイセンのために、皇帝ヴィルヘルム2世が建てました。
1918年にヴィルヘルム2世が亡命・退位したため、宮殿は国のものとなりました。
1945年にはソ連軍に占領されてしまいます。
同年、ここでアメリカ・イギリス・ソ連の首脳が一堂に会し、ポツダム会談が開かれ、
第二次世界大戦の戦後処理についての話し合いが持たれました。
ベルリンの都市の損傷が激しかったため、警備の容易なこの場所が選ばれたとのことです。


宮殿内部


宮殿内部






チャーチル英首相、トルーマン米大統領、スターリンソ連首相
ポツダム会議,ポツダム宣言が行われた写真の資料


会談に出席した首脳が使った各部屋がありました。




チャーチル英首相、トルーマン米大統領、スターリンソ連首相が会議をしていた部屋…赤い絨毯に、
赤い椅子、そして大きな円卓がそのまま残っていました。


会議の行われた部屋の天井


階段


階段




宮殿周辺の林は秋の気配です