天智天皇山科陵の北側は疎水ですが、すぐそばに本圀寺という寺があります。
以前からどんな寺?と興味あったので、行ってみることに!
行く前にネットで調べたら、境内の梵鐘や楼門の両脇の像など、装飾も金ぴかの寺とのですが
行ってみたら、自然にあふれた山中にある静寂に満ちた寺で、金ぴかの装飾はなくしたようで
品位のあるたたずまいの寺でした。
この寺は山科に移転された寺と聞いたことがあります。
どういう歴史のある寺なのでしょうか?
鎌倉幕府が滅亡し京都に室町幕府が出来てから、足利尊氏は鎌倉にある本勝寺を
京都・堀川六条 (現堀川警察署の南側辺り)に移し本国寺としました。
京都に移された本国寺はその後、足利将軍家の援助を受けて祖師堂・五重塔などを整備。
応永年間(1394-1428)、近衛道嗣(みちつぐ)の子・日秀(にっしょう)が住持となった
以後は貴族の子弟が代々貫主となったこともあり、更に堂宇も整備され一時塔頭は100を超
えた寺になりましたが、天文5年(1536)に比叡山の僧徒の焼き討ち(天文法華の乱)に
あい荒廃したため、一時、和泉(大阪)の堺に避難する苦難もありました。
再興は豊臣秀吉の姉・日秀尼や加藤清正が行い、江戸時代には徳川(水戸)光圀の外護を
うけ、往来の隆盛をとり戻した。
寺名の「国」を「圀」へ改めたのは、寺の援助に尽力した光圀公にちなむとされている
とのことです。
天明の大火(天明8年(1788))で経堂以外は全焼し、復興されたが往時の姿を取り戻すこと
は出来ず、昭和45年(1970)には現在地の山科へ移転して、現在は、疎水の北の山中にあるの
ですね!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/14/e1bd876da28aee452cee87bef8bdda14.jpg)
赤い橋が見えてきました!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/52/58ec3bbd3b47607b5138a2c34272ecd8.jpg)
すぐそばに案内看板がありました。 疎水に沿って歩いて行けるようです!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/47/e29b89854043f520eb737e04a1455fe6.jpg)
橋を渡ってみましょう!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/2f/8e313f00251222abde20d3a6cd505d9d.jpg)
疎水も水は先日の台風の影響なのでしょうか? 濁っていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/92/d78da4973f2539efd94f9c0db69144bd.jpg)
右側に天智天皇山科陵の木立が見えます
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/f0/0f6f823c9b01c087b966655d9940c265.jpg)
門は赤門です!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/0d/c7cd1b60853d3268fc1dfbde3bd74f26.jpg)
社務所らしい建物は、古い建物です。移転は1970年とのことですが、以前から
あった建物なのでしょうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/8a/52dd0dc625fb6727a268a40cee41c7be.jpg)
境内 梵鐘は金ぴかではない? 自然にあふれた静寂な寺です! 山中にあるせいか
観光客はだれもいなかった!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/e7/ca3b8ef67e311f8c105a4ab765678efe.jpg)
本堂と本師堂
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/19/faa257dc78b9aeb3fb1ca27cb1f202b5.jpg)
本堂
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本師堂
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仁王門 中にある2体の像は金ぴかではない! 黒塗りでした!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/71/d4eeae12ea534f78fb2904279b3e72fc.jpg)
鳥居がありました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/1c/1d802c6308322061c59a12cd970dfcb1.jpg)
建物はすべて渡り廊下でつながっています
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/d3/df7e2a48b1b3cff88f4141a88701fa03.jpg)
境内からの赤門
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/8c/a3ffbc42556e9fab42a11e009b8a42fb.jpg)
赤門を出たら、山の中にある道です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/43/2c4bbebb14fc9dcf24057d0933687fab.jpg)
疎水に出たら、山科の住宅が見えてきました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/97/6db93e7e834033c08f38067dfe7f1d9a.jpg)
民家に咲いていたスイフヨウ 夕方近くなっていたので色はピンク色になっていました。
酔芙蓉の花の名の由来がわかりました!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/b9/837bbc1a1ad00ce1f76bbedd7b0a11ac.jpg)
この住宅地の何軒かにスイフヨウの木がありました!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/cd/722b80b5882116c19154c1349fc4847a.jpg)
林は天智天皇山科陵の西側の木立
この住宅ではありませんが、門のそばに人がいる新しい住宅があり、住み心地を聞いて
みました! 地下鉄の御陵駅まで5分で行けますが、買い物は山科駅まででるとのことです!
静かでよいのですが、先日台風の時は、陵の木立が倒れそうで怖く、陵は高い場所になるので
水が流れてきて、家の北側は池のように水が溜まったそうです。
でも町が近いのに、自然が多く、素晴らしい環境です!
以前からどんな寺?と興味あったので、行ってみることに!
行く前にネットで調べたら、境内の梵鐘や楼門の両脇の像など、装飾も金ぴかの寺とのですが
行ってみたら、自然にあふれた山中にある静寂に満ちた寺で、金ぴかの装飾はなくしたようで
品位のあるたたずまいの寺でした。
この寺は山科に移転された寺と聞いたことがあります。
どういう歴史のある寺なのでしょうか?
鎌倉幕府が滅亡し京都に室町幕府が出来てから、足利尊氏は鎌倉にある本勝寺を
京都・堀川六条 (現堀川警察署の南側辺り)に移し本国寺としました。
京都に移された本国寺はその後、足利将軍家の援助を受けて祖師堂・五重塔などを整備。
応永年間(1394-1428)、近衛道嗣(みちつぐ)の子・日秀(にっしょう)が住持となった
以後は貴族の子弟が代々貫主となったこともあり、更に堂宇も整備され一時塔頭は100を超
えた寺になりましたが、天文5年(1536)に比叡山の僧徒の焼き討ち(天文法華の乱)に
あい荒廃したため、一時、和泉(大阪)の堺に避難する苦難もありました。
再興は豊臣秀吉の姉・日秀尼や加藤清正が行い、江戸時代には徳川(水戸)光圀の外護を
うけ、往来の隆盛をとり戻した。
寺名の「国」を「圀」へ改めたのは、寺の援助に尽力した光圀公にちなむとされている
とのことです。
天明の大火(天明8年(1788))で経堂以外は全焼し、復興されたが往時の姿を取り戻すこと
は出来ず、昭和45年(1970)には現在地の山科へ移転して、現在は、疎水の北の山中にあるの
ですね!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/14/e1bd876da28aee452cee87bef8bdda14.jpg)
赤い橋が見えてきました!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/52/58ec3bbd3b47607b5138a2c34272ecd8.jpg)
すぐそばに案内看板がありました。 疎水に沿って歩いて行けるようです!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/47/e29b89854043f520eb737e04a1455fe6.jpg)
橋を渡ってみましょう!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/2f/8e313f00251222abde20d3a6cd505d9d.jpg)
疎水も水は先日の台風の影響なのでしょうか? 濁っていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/92/d78da4973f2539efd94f9c0db69144bd.jpg)
右側に天智天皇山科陵の木立が見えます
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/f0/0f6f823c9b01c087b966655d9940c265.jpg)
門は赤門です!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/0d/c7cd1b60853d3268fc1dfbde3bd74f26.jpg)
社務所らしい建物は、古い建物です。移転は1970年とのことですが、以前から
あった建物なのでしょうか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/8a/52dd0dc625fb6727a268a40cee41c7be.jpg)
境内 梵鐘は金ぴかではない? 自然にあふれた静寂な寺です! 山中にあるせいか
観光客はだれもいなかった!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/e7/ca3b8ef67e311f8c105a4ab765678efe.jpg)
本堂と本師堂
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/19/faa257dc78b9aeb3fb1ca27cb1f202b5.jpg)
本堂
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/8d/5800fe301ee78d0df08a4c46fe9837c2.jpg)
本師堂
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/ae/801c3c11e262a086cb86d280a1f14cc0.jpg)
仁王門 中にある2体の像は金ぴかではない! 黒塗りでした!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/71/d4eeae12ea534f78fb2904279b3e72fc.jpg)
鳥居がありました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/1c/1d802c6308322061c59a12cd970dfcb1.jpg)
建物はすべて渡り廊下でつながっています
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/d3/df7e2a48b1b3cff88f4141a88701fa03.jpg)
境内からの赤門
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/8c/a3ffbc42556e9fab42a11e009b8a42fb.jpg)
赤門を出たら、山の中にある道です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/43/2c4bbebb14fc9dcf24057d0933687fab.jpg)
疎水に出たら、山科の住宅が見えてきました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/97/6db93e7e834033c08f38067dfe7f1d9a.jpg)
民家に咲いていたスイフヨウ 夕方近くなっていたので色はピンク色になっていました。
酔芙蓉の花の名の由来がわかりました!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/b9/837bbc1a1ad00ce1f76bbedd7b0a11ac.jpg)
この住宅地の何軒かにスイフヨウの木がありました!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/cd/722b80b5882116c19154c1349fc4847a.jpg)
林は天智天皇山科陵の西側の木立
この住宅ではありませんが、門のそばに人がいる新しい住宅があり、住み心地を聞いて
みました! 地下鉄の御陵駅まで5分で行けますが、買い物は山科駅まででるとのことです!
静かでよいのですが、先日台風の時は、陵の木立が倒れそうで怖く、陵は高い場所になるので
水が流れてきて、家の北側は池のように水が溜まったそうです。
でも町が近いのに、自然が多く、素晴らしい環境です!