工房八重の部屋

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山科本願寺跡発掘調査現地説明会。室町期の風呂跡は貴重な発見

2012年09月12日 | Weblog
京都新聞記事に、山科本願寺跡の発掘調査で、石風呂、炊事関係の建物跡、

井戸跡も確認されて、寺に取って重要な場所だったとのことで、発掘現場の

400㎡を、8日10時から11時に現場説明会があり、午後3時まで現場公開する

とのことでした。

どんなんか? 見たい!  行ってみました。

なぜ山科本願寺寺は、戦火で焼け、消滅したのでしょうか?

蓮如は、山科に本拠を置くことにし、山科本願寺の造営は翌文明十一年(1479)から、

伽藍堂塔の建設に着手しました。

寺の周りには末寺や各地から集まった門徒、郷民や商工業者たちが集住し、

文明十五年(1583)「寺中広大、無辺荘厳、さながら仏国の如し」といわれる

一大宗教都市が完成した。

蓮如は、寺内町の周囲に二重、三重の土塁、水堀をめぐらせ、「仏国」を外部の戦火から

守ろうとした。

近世城郭の総構えのはしりともいえるこの防塁は、完成から50年間後に、

天文元年(1532)、細川晴元は洛中の法華一揆を煽動し、畿内で猛威を振るう一向宗を抑え

ようとし、法華一揆は、晴元や近江の六角定頼の後援のもと、山科の防塁を強行突破、

ついに本願寺と寺内町は火の海に包まれ焼失した。

と、いうことです。  50年間の短い繁栄だったのですね!

山科に住んでいるので、このような歴史は少しは知っていましたが、

現在は山科は、住宅地になっているので、発掘はむつかしい!と思っていましたが、

周辺は駐車場なので、発掘調査ができたのでしょうか?

発掘現場からは、五条通のやまむらの肉屋さんが見えました!

発掘現場って、こんな所にあったのですね!


発掘現場の地図 今回調査区域は一族に関連する施設で御影堂や阿弥陀堂は今回の調査地
の東側にあった可能性が高いとのことです。


京都市埋蔵文化財研究所が、発掘調査にあたっています。
発掘調査の様子を説明! 山科の発掘が出来るところは、今までに何ヶ所か、
発掘調査されたとのことでした


説明している! 説明会には、200人から300人の方がこられていました。


風呂あとの説明
蓮如上人が使っていた可能性が高いとのことです。


風呂あとの説明
石風呂は地面から1m掘り下げた半地下構造で、南北6m。東西3mで内部は石組み
門主一族のための石風呂

まきを燃やして熱した地面に塩水をまき、蒸気を発生させるサウナ形式で、
こうした石風呂は当時、西日本に広く分布していた。


現在の八瀬のかまぶろのような感じのサウナ風呂のようなものだったとのことです。


井戸は直径が3mの巨大な井戸で、井戸の周りを固めた石は、外されていた!