工房八重の部屋

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アスニー山科講座「南極観測隊の一年間」は南極に行った気分になる!

2012年01月12日 | Weblog
1月11日のアスニ山科講座は

『南極観測隊の一年間 ~調理担当から見た観測隊と昭和基地のお正月~』

第38次・45次日本南極地域観測隊  講師は調理担当越冬隊  北田 克治 氏

でした。

講師の北田氏は、二回にわたり1年間を調理担当として越冬隊に参加して、過ごした

経験を語ってくれました。

「南極地域観測隊は、南極大陸の天文・気象・地質・生物学の観測を行うために

日本が南極に派遣する調査隊で、越冬隊は1年間滞在するので、医師、車整備士

調理師、通信士、電気工事管理者、環境保全士、飛び職などの職業の人達も参加する!

観測隊は、海上自衛隊の保有する砕氷艦(いわゆる『南極観測船』)に乗船し、

通常は日本(東京港)を11月14日に出発する。

観測隊員は11月末に飛行機でオーストラリアへ渡り、現地で乗艦して昭和基地へ向かう。

東オングル島沖には12月または1月ごろ到着し、昭和基地を最大の拠点として観測する。

2月1日に前年の越冬隊と新年の越冬隊が交替する。

越冬しない夏隊は、前年の越冬隊と共に南極観測船で日本へ帰還する。

この間に、越冬隊が1年間に使用する機材や燃料、食料などが昭和基地に運ばれる。

南極は(南半球のため)1月が夏で、比較的接近が容易であるため、

この時期に隊の入れ替えが行われる。

補給はこの1回のみしか行われない。食料は、隊員40名分の食料が1年間分が必要で、

新鮮な野菜は数カ月で、きれるので、冷凍野菜でしのぐとのことです。

前年の越冬隊が出した廃棄物は、南極観測船に載せられ、日本に運ばれて処理される。」

いろんなエピソードが面白く、時には風速40mの風が吹くので、修理は、皆が協力

し、北田氏は、医務手伝い、とび職、時にはヘリコプターの誘導もされたとの事でした。

極寒の生活のなかで、ペンギンやアザラシなどを見たり、流し素麺は、氷のトイに

水を流すと、氷つくために、お湯を流して行なう!

2mの氷を掘って、釣りをしたり、スポーツをしたりして、楽しんだとのことです。

ミシン係、スポーツ係、娯楽係、バーカウンタ係など担当を決めて、生活にうるおい

を作り、調理担当は2人で、食べることが楽しみの1つなので、お正月は

松花堂におせち料理をつめたり、年越し蕎麦を作ったり、4月には、紙で花を作り、

花見をしたりしたとのことです。

隊員の方でシャボン玉の材料を持ってきた人がいて、外でシャボン玉をすると、

氷り、消えないとのこと!

40人で1年間暮らしたので、日本に帰国したら、街を歩くと、見知らぬ人ばかりに

感じ、自然の中に暮らす毎日なので、舗装された道路に、最初は違和感を感じた

とのことです。

越冬隊に参加して、学んだことは、「色んな人達に支えられて、生活していると

思うようになり、自然破壊は、するべきでない!」ということです。

撮ってきた写真を説明しながらの講座は、南極における生活を、体験しているような

気分にさせられ、楽しく興味深い講座でした。


講師は調理担当越冬隊  北田 克治 氏
北田氏は山科に20年位住んでいるとのことです。


1月のアスニ山科講座