誰の心にも・・・

2005-11-25 23:31:20 | Weblog
     野地菊

 今から22~23年前、仕事でJR南千住の駅近くに三ヶ月ほど通った
 ことがある。国鉄常磐線で上野から三つ目の駅、駅のホームに立つと北には
 工場の煙突と東京球場が見える。南を見ると浅草の花やしきの五重の塔がかすかに
 見えるほど高い建物はなかった。
 
 俳句を始めて間もない私には、作句意欲も旺盛で通勤も吟行のようなもの、
 目に映るもの何でも句種にしていた。一ヶ月に一冊大学ノートの作句帖が
 埋まる。推敲から、メモから、なんでも書くから一冊など分けなく埋まった。

 ある日、南千住の改札の脇の掲示板に下がるガリ版刷りの「俳句」と言う文字を
 見つけた。わら半紙で2~3ページのもの、手にとると手書きだが、山谷俳句と
 あったと記憶している。山谷・・・日雇い労務者のどや街である。どや街とは
 木賃宿のやどを逆さに読んでどやであり。けして環境の良いところではなかった。
 朝、その日の職にあぶれた人たちが車座に酒を飲んでいる風景は毎日のようにある。

 そのどやに住む人たちが作った俳句集だった。
 さまざまな理由でここに生活しなければならない人達が、郷愁、母恋、仕事など
 思うに任せ詠んでいた。

 「一人来て群衆となる土手花火」
 「土工より知らぬ世渡りおでん吹く」
 「銭なくて櫻の故郷は遠くって」

 今は山谷俳句会として地区行政下にあり、20年を迎えるという。
 10年目には「車座」という記念句集を出したそうな.
 
 カルチャースクールや結社で俳句を習うほど豊かな暮らしは今でもないし、
 先生がいるわけでもなかった当時、ここにも心を揺さぶる人間のうたが有った。
 昨今一部では、結社の同人になるにも、同人誌の巻頭句にもお金が動くらしい。
 テレビに出ている俳句の先生は豊かに見えるのは私だけだろうか?


       ころころの今日の俳句


         雇用票手に車座の焚火かな


       ころころの独り言

   写生は俳句の大切な基本、しかし物語(詩情)のない俳句にひとの
   心を動かす力が有るのだろうか?


       ころころのお気に入り


       玉子酒つくる老い母だけの智慧 滝 春一


 
         

 
 
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