( 六義園の枝垂れ桜 )
六義園、五代将軍徳川綱吉の側用人の柳沢吉保の下屋敷あとにある日本庭園です
都内で一番大きな枝垂れ桜は写真の左端に居る人から想像できると思いますが
写真に写っているので半分です。
久しぶりに晴天が戻ったこの日(4月3日)の桜を目の前にして、なるほど
まさをなる空よりしだれざくらかな 富安風生
の一句を体感できました。
心にある一句の景色に出会う感動も俳句の楽しみです。
今日のNHK俳句での新選者西村和子氏が、私は多作多捨そして多読と言って
居られましたが、その言葉には頷けます
多読はいざ鑑賞の時には「これだ!」という感動を句の作者と分かちあえる
ような気がします。
実作成績本意の今の俳界ではあると思いますが、一個人の俳句作家として
ぜひこれからも見習いたいと思います。
と言っても気張ることもなく淡々と俳句を楽しみたいですね。
ふだん着でふだんの心桃の花 細見綾子
この句は俳句を始めた頃から好きな句で何となく心の中に残っていました
最初は桃の花の特徴、それほど日常に近い花で作者も私達も心安らげる
花、と詠ったものだと浅く観念的な鑑賞しか出来ていませんでした。
最近になって綾子さんの愛弟子、下里美恵子さんの著書「綾子先生輝いた日々」
の中でふだん着で(日常の生活)見ている桃の花が在ってふだんの心が育む
いう一項を読み,あらためて納得出来ました。つまり
ふだん着→ふだんの心→桃の花 ではなく
ふだん着→桃の花→ふだんの心 だったのです
綾子さんの主観を見事に物に託した句だったのです
著者が見つめた恩師綾子さんの人としての姿はきっと美しかったのでしょう
羨ましくも微笑ましく拝読しました。