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11月10日

2007-11-10 00:12:19 | Weblog

    (やぶこうじ)

 

吉良さまを敬ふ寺の藪柑子    能村登四郎

 

藪柑子もさびしがりやの實がぽっちり  種田山頭火

 

藪柑子山めく庭の隅々に     長谷川かな女

 

<旅吟について>


夏草や兵どもが夢の跡    芭蕉


卯の花に兼房みゆる白毛かな   曾良

 

この2句は「奥の細道」平泉で詠まれたもの。
私たちが俳句を詠むときに「知識」が面に出ては駄目だと
聞いたことがあると思います。
この2句には歴史を踏まえて詠まれていますが決して「知識勝」に
なっていません。
芭蕉はこのとき笠を敷いて腰をおろし時を忘れるほど泣いたそうです
この古戦場に多くの夢にかけた命を感じたのでしょう
曾良の句には義経を最後の最後まで守ろうとした、年長の
増尾十郎兼房の白髪をその場に咲き乱れる白い卯の花に感じたのでしょう


このように下敷が有って鑑賞をしましたが、いざ詠む側に立った時
詠みこみの知識ではなく、吟行の知識としてすればものの感じ方が
違ってくると思います。つまりその景色なりが、より深く捉えられるのでは
ないでしょうか?
そう言う意味では各自、吟行地への予習は必要でしょう



詠むときには潔く知識を捨てる覚悟は吟行句には必要です
かく言う私も困った時の固有名詞になりますが・・・
しかし俳句から動詞、形容詞、固有名詞をとると何も無くなってしまいますね
本当に何年やっても難しいです。
今日は自分に向けてもう一度確認を言葉にしてみました。

 

 




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