すずめのどんぐり

オットひとり ムスメ(はぼ)が小6、 ムスコ(ぐり)が小1。絵日記でしたが、さぼり中。

稽留流産手術日のこと

2010年03月26日 | わたしがわたしが
手術当日のことを書きます。

病 名 : 稽留流産
手術名 : 子宮内内容物摘出手術 ・・・だったかな? いわゆる掻爬ってやつですね。


手術はもともと仕事のない土曜日にお願いしていたのですが、 帰って おとうさんに相談すると
 「死んだ子のために いつまでもつわりで苦しむのって 精神上悪いよ。 ボクも休むから できるだけすぐにしてもらってよ」

ということで、 お医者さんもその意見に同意してくれたので 木曜日に。


当日 おとうさんを連れて 再度エコーを見ると 赤んぼのモトは だいぶ霧散していっているようでした (散らばって行っているので 逆に大きく見えます)。

なのに 胎のうは さらに大きくなっていっていて ・・・・・これで つわりがつづいてるんだな・・・・ 胎のうが ある日 そういや 中身(赤んぼ)がないわ!と気がつくと 自然流産するんでしょうか?


診察してもらって その際子宮を広げる風船みたいなのを入れます (ちょっとちくっとしました)

風船が膨らむあいだ? 個室で休む、 手術着に着替える、 おとうさんが所在なげにうろうろ部屋を歩き回り それを観察 (ホントは 病院内をくまなく歩きたかったらしいですが、 産婦人科だからねえ

とくに痛みもなく キモチわるくもなりませんでした。

 ままのマキシドレスとカンカン帽、カゴバッグなの

1時間くらいすると ブドウ糖500mlの点滴が入ります。 腕の血管がどうやら見つからないらしく ナースさんたちが わあわあ言いながら 何度も針を突き刺しては抜き突き刺しては抜き・・・・

麻酔がききやすくなるというおクスリを 肩に筋肉注射します。 このあと 貧血のときみたいなカンジで アタマがしばらくぼーっとします。

もうこの歳になると 注射や針を刺すくらいでは たいして痛いとかイヤだとかおもわなくなってますね~

刺すのを失敗してても 勉強だから がんばれよ~くらいにしかおもわないトオクヘキタモンダ

そういえば 血圧が低すぎて測れないということで 再度ナースわあわあ

なんとか 上80下30で 「やっと出たので こんなもんにしておきましょう」・・

 「おかあさん 血のめぐりが悪すぎて 痛みが脳に到達してないだけじゃないの?」
 ソウカモ


再度休んで 時間になると 手術室へ点滴を転がしながら歩いてとことこ・・・・

いわゆる分娩台に乗り お医者さんが 肉屋のような ゴム製の黒いエプロンをつけながら登場。 「じゃあはじめま~す」

ブドウ糖の点滴の管に 麻酔薬を注射してるな~・・・・・ というあたりから記憶がなく、 次に目が覚めたら 2時間くらい経っていて また個室で寝ていました。

このときもまったく痛みのようなものもなく、 出血もわずか。 

点滴が増えていて 生理食塩水が追加されてました。 今わたしのカラダを流れているのは 砂糖水と食塩水・・・・


ただ、 なんか カラダがとっても軽くて さっきまであったむかむか感(つわり)が 完全に消えています。

猛然とおなかがすいてきて (昼食を食べてないので) おとうさんに なんか買ってきてと指示している最中、 病院の3時のおやつ (いちごのロールケーキと紅茶)が運ばれてきて、 なんだか 至れり尽くせりでした。

 こんな黄砂のなか砂あそび中

麻酔のふらつきがとれるまで そこから2時間くらい休んで、 お医者さんの診察を受け (また内診です)、 無事退院 (一応 半日入院で 保険もきくし、民間の入院保険も下ります)。

お会計は 22,630円でした。 抗生剤・子宮収縮剤・止血剤が4日分出ます。 5日~1週間目あたりに また見せにくるように言われました。

手術当日は はやめにゆっくり休んで、 翌日からは 仕事も家事もフツーにしてもらってかまいません、 とのことでした。

ネットで1週間くらい安静にしなきゃダメとか聞いていたので、 フーフとも多めに休みをとっていたのですが、 痛みもないし カラダも軽いし うれしい誤算ということで、 今日は ふたりで昼ビールでもしにいこうとおもっています

しばらくはシャワーのみ、 性交渉も1~2週間は避けましょう、 子づくりも このあと生理2回分は待ったほうがいいです。


以上が 手術日の様子でした。

終わったら 実感がして 悲しくなるかなとおもったんですが、 なんだか 晴れ晴れした気分のほうが大きいですね。 とにもかくにも つわりが終わったので。

妊娠した~いい!という気分が最高に高じたときした妊娠なので、 実際は 赤んぼに会いたいとかいうより ニンプになれたヨロコビくらいしかまだ感じてなかったので、 ほとんど赤ちゃんへの思い入れが育っていなかったんだと思います。

義母が 「まだ 時期的に 早かったっていうことやわ」

と言っていたイミがわかったような。

わたしも 流産ですと聞いたとき、 きっとなにかが足りなかったんだろうな・・・と とっさにおもいました。
それは まわりへのやさしさみたいなものじゃないか・・・と そのときはおもったんですが、 なんでそうおもったのかはナゾ。


とにかく ちゃんと親になる心構えを育ててから 再度 あたらしい家族を迎え入れたいとおもいます。

でも、 おかあさんに ニンプになれたヨロコビと 節制した生活も送れるんだという自信を与えてくれた 孝行なムスコ(← 勝手におとこのこ)でした。 ありがとう

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お酒をやめ ノンカフェインコーヒーを飲み カイロを腰の前後に貼って ヒールのくつをやめ スカートはロング・・・・ いいニンプだったなあわたし

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