日航123便が群馬県御巣鷹の尾根に墜落したあの日、1985年8月12日は、私の人生で初めて私に会うためだけに女子が家に遊びに来てくれた日なので覚えている。夕方彼女と別れ自宅に戻り一度寝て、多分夕食時かその後だったと思うがテレビのニュースで日航機墜落を知った。しかし特にショックというわけでもなく、そのうち忘れてしまったように思う。
その後、社会人となるまでの間に所謂「日航123便陰謀論」なるものを耳にしたことはあったが、ミサイルで撃墜だの何だの、馬鹿馬鹿しい与太話、アタオカのトンデモ話として意識から除外していた。他方、小さい頃から飛行機好きで、小学校低学年の頃は飛行機の絵ばかり描いたり、プラモデルを作ったり、30代後半になってからはラジコン飛行機を作って飛ばしたりしていた私は、ユーチューブで飛行機動画を頻繁に視聴していた。123便のコックピットボイスレコーダー(CVR)の流出音声も公開されており、パイロット達と管制との緊張した交信、制御不能な機体との格闘が伝わるコックピット内の音声、横田基地からの着陸許可を知らせる米軍の悲痛な声、そして激突直前の機長の叫び声「もうダメだ!」を聴いていた。高校生の頃テレビニュースで知ったあの事故が、520人(胎児を含めれば521人)もの犠牲者(生存者は4人)を出した悲惨な事故だったことを、50歳になって初めて明確に認識した。
そして、何度かCVRを聴いているうちに、違和感を感じるようになっていた。
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