看板 安里 2006-10-16 | その他 鉄板にくりぬき、錆仕上げ、というものです。 もちろん、僕に厚い鉄板をくりぬく技術はありません。 原稿を書いただけです。 ただ、建築師さんと相談して、 この形式でいろいろと表札や看板を作っています。 くりぬくので、囲われた部分を作らないように書くのがコツです。 夜は蛍光灯の光がぬけているところだけ見えるのです。 昼はまた雰囲気が変わります。 約1×2メートル #私が作家・芸術家・芸人 « テ・カール君 山に登る | トップ | 紙の灯り »
10 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 あす吉様 (kobottomo) 2006-10-18 10:29:20 こんばんは。いつもありがとうございます。質問大いに歓迎です。分からないことをほったらかしには出来ないですからね。どしどし質問して下さい。和紙などから出る灯りは、蛍光灯などのストレートな灯りとは、質が違っているようです。和紙の隙間から漏れる乱反射された灯りは、心を癒してくれるのだと思います。 返信する Unknown (あす吉) 2006-10-17 21:56:38 つい質問ばかり、反省します。でも、おもしろいと共感できることがうれしくてついつい、なのです。しかし梅干(失礼しました)が印だったとはびっくり、わかりやすい説明ありがとうございました。キムチが平気になったらたずねて行きたいものです。今晩の 灯り も、とても優しい。ほっとしすぎて、涙がでます。何だろう。 返信する おミミ様 (kobottomo) 2006-10-17 09:33:10 訪れていただきありがとうございました。今日のお母さんの絵、きれいですねー。いろいろな思いが詰まっているのでしょうね。さて、書はテクニックではないと思います。気持ちの問題です。絵を描くように字を書けばいいのです。これだけ絵が描けるですから、書 も書けます。もちろん基本的なことを体得しなければいけない部分もあります。でも、今は参考になるものがたくさんあります。本、テレビ、ビデオ、ネット。例えば、toraianさんのブログを見るだけでも充分書はよくなるのです。習いに行くということが、また別の付加価値があるのかも知れませんが・・・。習い に行く必要はないのではないかと思います。余計なこと書いてしまったかもしれません。お許しの程。 返信する toraian様 (kobottomo) 2006-10-17 09:09:35 ありがとう。ゆったりと素朴、でいきたいですね。最近そんな境地です。太宗なんかを臨書してみたりします。激しい飛び散りもいいけれどこの方が自分らしいのかもしれません。 返信する あす吉様 (kobottomo) 2006-10-17 09:04:07 雪陽さんに書いたように、かすれが表現しにくいです。この場合は、字の輪郭の部分にかすれがありますが、中まで食い込むようなかすれは、強度の問題で出来ません。もちろん線の中に、つまり空洞の中に線を残すわけにはいかないのです。さて、元の字は?何処に行ったのでしょうか。鉄と一緒に熔けたのかも。今度聞いてみます。梅干しのような焼き肉は、印です。白文(字が白くなるように刻してある)の字の部分の色を黒くして三色にしました。元は2×2センチの石のハンコです。すごく拡大しましたね。見るに耐えれるかどうか心配でしたが、なんとか目立つものになりました。あっ、それから、あなたも草食人間ですか。僕は全然肉類を食べないと言うことではなくて、好まない、なるべく食べない、あるいは時々でいい、という程度です。キムチは発酵食品ですからお勧めですが。いろいろとポイントとなる質問ありがとうございました。 返信する 雪陽様 (kobottomo) 2006-10-17 08:46:53 看板は難しいですね。きっと、書いた字と違うものになってしまうからです。飲み屋さんの染め抜きの暖簾と旗なんかまったく違っていて納得がいかないのが常ですね。これは、渇筆が表現しにくいということが原因だと思います。書において、かすれという要素はやはり重要ですね。 返信する 文字 (おミミ) 2006-10-17 07:29:56 kobottomoさん、コメント有難うございました。絵のような美しい文字、私の憧れです。「書」習いに行きたい!と思っているのですが、いつになったら…でして。 返信する Unknown (toraian) 2006-10-17 00:02:16 はっきり見ることが出来、満足です。ゆったりと、そして素朴に書かれた書、店の雰囲気をこの書からも感じ取ることが出来ます。 返信する Unknown (あす吉) 2006-10-16 22:13:30 なるほど鉄板くりぬきでしたか。朽ちた木に白の字、にしては、字から光がさしていると思いました。囲われた部分を作らない、ということは、かすれた部分がないのですか。ますますもとの字がみたくなりました。手前の梅干弁当のような「やきにく」は、赤の中に書いたのですか。安らぎの里、安里。いい名前です。古民家再生ときいて、行ってみたくなりました。ただ私も草食(?)人種、キムチも苦手、何を食べればよいものか・・・。 返信する 看板 (雪陽) 2006-10-16 15:10:49 看板はとても制約があって難しいものですね。「安里」はしゃれた字形と風合いです。私も「二つ星」というスナックの看板を最近書きましたが・・・・・最悪な字づらでした。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
いつもありがとうございます。
質問大いに歓迎です。
分からないことをほったらかしには出来ないですからね。
どしどし質問して下さい。
和紙などから出る灯りは、蛍光灯などのストレートな灯りとは、質が違っているようです。
和紙の隙間から漏れる乱反射された灯りは、心を癒してくれるのだと思います。
でも、おもしろいと共感できることがうれしくて
ついつい、なのです。
しかし梅干(失礼しました)が印だったとはびっくり、わかりやすい説明ありがとうございました。
キムチが平気になったらたずねて行きたいものです。
今晩の 灯り も、とても優しい。
ほっとしすぎて、涙がでます。
何だろう。
今日のお母さんの絵、きれいですねー。
いろいろな思いが詰まっているのでしょうね。
さて、書はテクニックではないと思います。
気持ちの問題です。絵を描くように字を書けばいいのです。
これだけ絵が描けるですから、書 も書けます。
もちろん基本的なことを体得しなければいけない部分もあります。
でも、今は参考になるものがたくさんあります。本、テレビ、ビデオ、ネット。
例えば、toraianさんのブログを見るだけでも充分書はよくなるのです。
習いに行くということが、また別の付加価値があるのかも知れませんが・・・。
習い に行く必要はないのではないかと思います。
余計なこと書いてしまったかもしれません。
お許しの程。
ゆったりと素朴、でいきたいですね。
最近そんな境地です。
太宗なんかを臨書してみたりします。
激しい飛び散りもいいけれど
この方が自分らしいのかもしれません。
さて、元の字は?何処に行ったのでしょうか。
鉄と一緒に熔けたのかも。今度聞いてみます。
梅干しのような焼き肉は、印です。白文(字が白くなるように刻してある)の字の部分の色を黒くして三色にしました。元は2×2センチの石のハンコです。すごく拡大しましたね。見るに耐えれるかどうか心配でしたが、なんとか目立つものになりました。
あっ、それから、あなたも草食人間ですか。
僕は全然肉類を食べないと言うことではなくて、
好まない、なるべく食べない、あるいは時々でいい、という程度です。
キムチは発酵食品ですからお勧めですが。
いろいろとポイントとなる質問ありがとうございました。
きっと、書いた字と違うものになってしまうからです。
飲み屋さんの染め抜きの暖簾と旗なんかまったく違っていて納得がいかないのが常ですね。
これは、渇筆が表現しにくいということが
原因だと思います。
書において、かすれという要素はやはり重要ですね。
絵のような美しい文字、私の憧れです。
「書」習いに行きたい!と思っているのですが、
いつになったら…でして。
ゆったりと、そして素朴に書かれた書、
店の雰囲気をこの書からも
感じ取ることが出来ます。
囲われた部分を作らない、ということは、かすれた部分がないのですか。ますますもとの字がみたくなりました。
手前の梅干弁当のような「やきにく」は、赤の中に書いたのですか。
安らぎの里、安里。いい名前です。古民家再生ときいて、行ってみたくなりました。
ただ私も草食(?)人種、キムチも苦手、何を食べればよいものか・・・。