デジカメぶらりぶらり

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表決

2010-04-09 07:46:21 | Weblog
憲政の神様と言われた尾崎行雄(咢堂)(がくどう)は明治中期、こんな言葉を残している。「議事堂とは名ばかり、実は表決堂である」。


国会で深い論戦がなく、多数で押し通す政治を嘆いたのである。若林元農相が隣席の青木議員の投票ボタンを押したことで議員辞職した。

「表決」のルールさえ無視した、民主主義の前提を覆す行動である。辞任は当然の判断だろう。が、咢堂が「表決堂」と例えたのは、数をたのんだ多数党の横暴だった。

小数党の若林氏が「表決堂」の愚を象徴したのは皮肉に過ぎる、採決時に議場を出た青木議員の行動と併せて考えると「表決堂」にさえなっていない議事堂の現実が浮かぶ。

両者で多数党に加担したのに等しく、緊張感に欠けたベテラン議員の雰囲気が伝わってくるのである。もっとも、議員の中には採決時にボタンを押すぐらいしか存在感のない議員もいるだろう。

ひとごとと思わず、これ以上、議事堂を「表決堂」にしない努力を求めておきたい。

2010-04-07 07:09:10 | Weblog
「鶴」という落語がある。名前の由来を問われて、珍解釈が登場する。昔、中国から2羽の鶴が飛んできた。

まず雄が「つー」と飛んできた。続いて雌が「るー」とやってきた。すぐにウソだとばれる話が、愉快な騒ぎを巻き起こす。

名前の由来はともかく、鶴は雄雌一対が絵になる単独行はわびしかろう。縁組を約束しても、ビール会社や大手百貨店が破談に終わるご時世である。

が。鳥の世界に、複雑な思惑や裏事情などはあるまい。雄が「つー」と飛んできて「るー」と枝に止まった、と間違えるのが落語の結末。

「雄はどうした」と問われて、「黙って飛んできた」。くすっと笑えるが、人間サマが騒がなくても、黙って相手を見つけるのが野生の習い。

あのトキにも、そんなたくましさを見てみたい。

ブレーキ

2010-04-05 06:23:52 | Weblog
アクセルとブレーキを同時に踏む事例が自動車メーカーで問題になっている。が最近の鳩山内閣をみていると、車だけの問題ではなさそうだ。

亀井郵政改革担当相が「首相も了解した」と、預入限度額引き上げのアクセルを踏み、首相は「了解していない」とブレーキをかけて「まずかった」と言ったり「重い数字だ」と言ってみたり。

迷走を通り越し暴走に近い、普天間移転問題では首相自らが「最低でも県外」と沖縄県民の期待を加速させながら、米側には沖縄県内2カ所と県外分散の「急ブレーキ案」を示す方向だ。

生方副幹事長の解任騒動や小林議員の処分問題も「進め」と「止まれ」の矛盾が重なる。車ならばアクセルよりもブレーキを優先する。

日本車には、その装置が付いていない車種が多いが、欧米車は既にブレーキ優先装置が付いている。人間は矛盾に満ちた行動をとるとの前提に立った安全思想が必要なのである。

が、いくら機能を整えても、最後は人の問題だ。日本国の運転を任せたドライバーが、アクセルとブレーキを同時に踏む矛盾と危険性を自覚しているのかどうか、まことに心もとない。

先頭

2010-04-03 06:47:02 | Weblog
銀メダルを手にして凱旋に、五輪の興奮を思い出す。あんな面白い種目がるとは知らなかった。団体追い抜きは、3人1チームで滑る。

勝負の判定は先頭ではなく、最後の選手のタイムと言うのが絶妙である。2人がどれだけ速くても、残る1人が遅れれば負けてしまう。

つらい風よけという役目の先頭を上手に交代しながら、「仲良く」ゴールする。他人を風よけや踏み台にして、上手にのし上がっていく、世間では珍しくない振る舞いだが、そんな争いばかりではない。

日本の3人は、控えの中学3年生にもメダルをかけ、喜びのおすそ分けをした。最後までさわやかさを貫いた選手たちだった。

つらい先頭の役目を上手に代わってこそ強いチームになれる。逆風でガクンと速度が落ちても、先頭を譲らない。みんなでやろうぜ、と声がかかってもどこか冷やか。それでは強くなれまい。

別のチーム日本の健闘も期待したいが、カネで失速し、女でつまずく。これで応援席が盛り上がれと言われても、無理な注文ではないか。

訓練

2010-04-01 07:06:38 | Weblog
「訓練は裏切らない」という。能登半島地震の前年秋に輪島市が門前地区で防災訓練をした時の教訓が、この言葉だ。

合併後の初の試みだった。まさか大地震が半年後に来るとは思いもよらなかったが、その時の大規模訓練が震災時の避難先指定や住民の安否確認に生きたというのである。

毎年工夫する防災訓練の大切さは内閣府の防災広報誌「ぼうさい」で全国に紹介された。震災からもう3年。防災の知恵は過去に学ぶことが多いが、防災訓練は毎年同じことをしていればいいのではない。

住民の年齢構成は年々変わる。街の形も変化する。地域の欠点も長所変わっていく、訓練は毎年見直し、新しい視点を加えないといざという時に役に立たない。

暮らしの中に新鮮な防災の目をいかす人を「ソナエーター」と呼ぶ動きが広まっている。備えあれば憂いなしの「ソナエ」である。防止の課題は年とともに動いている。

災害は予測を超えた形で襲ってくる。経験則だけで頼っていては危ない。3年目と言えばどんな分野でも過去を見直す時期である。