つい最近、お世話になった後輩が、すい臓ガンで亡くなった。
その記憶がまだ鮮やかで、この一日半はパニックになっていた。
体重の激減+倦怠感+左背中痛=すい臓ガン=手遅れ。
どこを探しても、そう書いてあった。
しかし、辛気臭くもなっていられない。
この鈍痛が、今も背中にあっても、その事態にどんな結果の待ち方をしようと、結果はすでにココにあり、それは変えようがないのだから。
病院から仕事場に戻り、今夜リミットの資料を仕上げて、人が少ない電車に乗る。
帰って暗やみの方が心地よい中、缶ビールを一本痛飲す。
ローリング・ストーンズの好きな曲が、勝手に脳から流れている。
「エモーショナル・レスキュー」で新参者として、中学生でストーンズに出会った自分も、もうすぐ三島由紀夫が死んだ 歳を超える。
その次に出たアルバム「刺青の男」に入った「友を待つ」。
歌詞は知らないが、このスローな、そしてウェットさも感じさせない曲。
いつも、この曲を聴くと、人々が通り過ぎる街角に座って、友達が来るのを待っているシーンが浮かぶ。
そこには、恋人同士が待つような、腫れた・惚れたの、一時的な熱病等々の甘いものは一切無い。
友人同志の、子供時代も、オトナになっても変わらない何か。
その感覚が、この曲には見事に表現されている。
そう、勝手に思っている。
長文を書ける環境には、今無い。
今夜は、この好きな曲を聴いて、横になろう。
この地球という島では数少ない、見えない友達に向けて。
■ローリング・ストーンズ「友を待つ(waiting on a friend)」■
その記憶がまだ鮮やかで、この一日半はパニックになっていた。
体重の激減+倦怠感+左背中痛=すい臓ガン=手遅れ。
どこを探しても、そう書いてあった。
しかし、辛気臭くもなっていられない。
この鈍痛が、今も背中にあっても、その事態にどんな結果の待ち方をしようと、結果はすでにココにあり、それは変えようがないのだから。
病院から仕事場に戻り、今夜リミットの資料を仕上げて、人が少ない電車に乗る。
帰って暗やみの方が心地よい中、缶ビールを一本痛飲す。
ローリング・ストーンズの好きな曲が、勝手に脳から流れている。
「エモーショナル・レスキュー」で新参者として、中学生でストーンズに出会った自分も、もうすぐ三島由紀夫が死んだ 歳を超える。
その次に出たアルバム「刺青の男」に入った「友を待つ」。
歌詞は知らないが、このスローな、そしてウェットさも感じさせない曲。
いつも、この曲を聴くと、人々が通り過ぎる街角に座って、友達が来るのを待っているシーンが浮かぶ。
そこには、恋人同士が待つような、腫れた・惚れたの、一時的な熱病等々の甘いものは一切無い。
友人同志の、子供時代も、オトナになっても変わらない何か。
その感覚が、この曲には見事に表現されている。
そう、勝手に思っている。
長文を書ける環境には、今無い。
今夜は、この好きな曲を聴いて、横になろう。
この地球という島では数少ない、見えない友達に向けて。
■ローリング・ストーンズ「友を待つ(waiting on a friend)」■
『私のリュックひとつ分』
もう戻らないとして出かけるとしたら、このリュックに何を詰めますか、というもの。
天才のものの考え方というより憧れる歳の重ね方として、中身が、選び方が気になりました。
「必要なものは多いようで少ない」とリストアップ。
「~ねばならない、を破壊する」とこだわりを変化させる。
愛猫のちいずは連れていけないから…と代わりの猫としてぬいぐるみやシューベルトの譜面を詰め込み
「でも、ちいずだけを抱えて行っちゃった方が早いんだけどね」と笑う。
同じように迷いも闘いもある中で、重なる歳とは逆に、そぎ落としていく生き方。
先日アップしていただいた細野さんの言葉の中にあった、「大人になって、やりたいことが出てくるんだよ」にも感じた
選んだものだけをまとった身軽な姿。
…とても自分には真似できませんが、見続けていたい生き方です。
* * * * *
謎がひとつ。
アラーキーの「東京猫町」を帰りに見つけてめくってきたのですが、
どの写真にも猫さんの暮らしの動と静があるのに
どうしても見当たらないページがあります。
かたちんばさんはきっと答えをご存じなんだろうなと思いつつ、
それが見つけられたら買う資格があるかと考えています。
優しい曲と1杯の安らぎとともに
どうにか今日をやり過ごしていらっしゃることを願います。
写真が追加になっているのが得した気分です。
しゃぼん玉のガチャガチャは初めて見ましたが、これから色々な大きさに形づくられるのには、夢を感じます。
私の好きな影の写真。帽子がお似合いです。
短く濃い影、ノウゼンカズラ、枝豆?の入ったパスタ…夏の色ですね。
今年もちょうど半分まで歩いて来ました。
郵便屋さんのバイク。当たり前ですが「向島」号は見る機会がないので新鮮です。
申し訳ないくらい、こちらだけ癒しをいただいています…
週末も小康状態が保てますように。
(ご存じかとは思いますが、パソコンや携帯電話のディスプレイは眠りを妨げるそうです。)
そのまま行き倒れるように、死寝に入ってしまいました。
すみません。
リュック一つ。
それは、3・11後、真実味あるもので、自分も自分に問いかけるテーマ。
東北の人には、全てを失ったヒトが多くいらっしゃる。
そのとき、ボクだったら、自殺やキチガイを回避していられるだろうか?
たけしさんから聴いた過去の話で、自分に響いたコトバ。
。。。歳をとっていくとね。いやでも、あることを切り捨てていかなくっちゃいけないんだよね。
まさにそぎ落とし。
モノへの依存だけでなく、ココロや精神の方向性も、ということなんでしょうね。
近い未来にXデイがくること。本気で。
それを常に思いつつ、研磨しつつ、「今を生きる」必要があるのでしょう。
***
東京猫街の件は、自分も答えを持ち合わせていません。
アラーキーのあのときの「気付き」は、どんな風景であろうと、そこにポーンと猫が一匹いるだけで、その空間・場所が変わって生き生きすること。
一枚どこにも居ないのは、居ない時空がいかにつまらないものかを、あえて出した。
そう解釈すべきなんだと思います。
**
今は、一週間の帰り道。
パソコン、ケータイ。。。
ぜんぜん意識に無かったです。
というか、何かを付けながらでないと、眠れないのです。
ディプレイは見ませんが、耳で何かが鳴っていないとダメなのです。
痛みは、小康を保っています。
一週間分のクールダウンには時間がかかりますね。
猫が『居ない時空がいかにつまらないものかを、あえて出した。』
隅から隅まで眺めて、ここには居ないのかもと感じた空間は、まさに「つまらなさ」。
なるほど腑に落ちました、ありがとうございます。
お疲れの時でもいつもお返事をいただいて、
こちらこそ申し訳なく思います。
私のは一方的なお便りの押しつけですので(+_+)
もっとも、もう少し遠慮というものを学ぶのも、
ひとつのそぎ落としかもしれませんね。
物や言葉、形あるものへの依存を脱ぎ捨てるのにはなかなか勇気が要ります…
今週はことさら、お疲れ様でした。
おやすみなさい。
この一週間は、痛みをごまかすために、チカラを抜き・仕事をやりながらも適度に抜き・・・
そのおかげでしょうか?
どうも、冷静さがあり、無理がない。
よって、疲れもどうもいつもとは違う。
押し付けなど思っていません。
こんな世界のすみっこで本流・主流から外されまくり排斥されるモノには、交信と対話があるのは安堵の一部です。
3時にお便りなど・・・
むしろ、さくりんさんの方が「ちゃんと寝ていますか?」
他人がよく内心うらやむのは、病気やギブアップするヒトへの嫉妬。
どちらとも自分は言えませんが、不条理や理不尽でも働き・進ま(され)ねばならない中、ギブアップは汚いというのも、言い過ぎと思っています。
生き延びるためには、色んな手段を有効に使うべきとも思います。
無理を自分に強いて、死んでも、他人はしょせん他人であって、その人のイノチを保証はしない。
そんな人に引きずり込まれるのは、ゴメンです。
わが道を行くのみ。
自分も、医者に行くだけで無言の軋轢はありますが、やるべき分量分の仕事はやり、成果も出している。
がたがた言われる覚えはない。
空気に抗えない日本の悪しき企業風土に付き合うつもりはありません。
自分を大事に。
『余計なことへ「あきらめ」を持って』だとしても、少し身軽になれる日があって欲しいものです。
おっしゃるような冷静さが、新たな武器になりますように。
3時のお便りでかえってご心配をおかけして申し訳ありません。
今日はこうやって愉しいことだけをして、早く休みます。
という訳で
さっそく図に乗ってお邪魔しています。
でも、あまり甘やかさないでくださいね(>_<)
晴れやかな気持ちを映したような青空の一コマ。
お茶もいっそう深く染み入ったのではないでしょうか。
(もちろん、より見ているのは手の方ですが…^_^;)
かえるグッズ、数だけはきっと負けないと思いますが(笑)
このかえるさん、お久しぶりですね。
水琴窟のように水音を楽しむ風情はいいものです。
続く、細野さん、幸宏さんの雰囲気にも、言葉は要りませんね。
デスクのカレンダー。
リラックマはだらりんちょんのお手本ですが、それなりに悩みを持つ様子がまた、魅力のひとつだと思います。
ノミ対策を待つコチャコさんの観念したような(それとも「はよしてや」かしら…)姿が何とも言えません。
クロちゃんも元気そうで何よりです。
道路標示の写真。
中学生の頃、なぜだかよく撮りました。
木を気遣う工事現場。
それに気づくかたちんばさん。
ニコライ堂はこんな日も、中はひんやりでしょうか。
ここでは以前、十字架の形と、斜めの部分の意味を教えていただきました。
猫の親子が見上げる赤とんぼ。
今からその時節が待ち遠しい…年々暑さに弱くなって困ります。
桔梗は色も形も、大好きな花です。
こうして見ると、やっぱり写真が「動いて」いる気がします。
お茶もいっそう深く染み入ったのではないでしょうか。
(もちろん、より興味があるのは手の方です…^_^;)
かえるグッズ、数だけはきっと負けないと思いますが(笑)
このかえるさん、お久しぶりですね。
水琴窟のように水音を楽しむ風情はいいものです。
続く、細野さん、幸宏さんの雰囲気にも、言葉は要りませんね。
デスクのカレンダー。
リラックマはだらりんちょんのお手本ですが、それなりに悩みを持つ様子がまた、魅力のひとつだと思います。
ノミ対策を待つコチャコさんの観念したような(それとも「はよしてや」かしら…)姿が何とも言えませんね。
クロちゃんも元気そうで何よりです。
道路標示の写真。
中学生の頃、なぜだかよく撮りました。
木を気遣う工事現場。
それに気づくかたちんばさん。
ニコライ堂はこんな日も、中はひんやりでしょうか。
ここでは以前、十字架の形と、斜めの部分の意味を教えていただきました。
猫の親子が見上げる赤とんぼ。
今からその時節が待ち遠しい…暑さに年々弱くなって困ります。
桔梗は色も形も、大好きな花です。
こうして見ると、やっぱり写真が「動いて」いる気がします…
2011・3・11に置いた「The Setting Sun」を掛けています。
***
よくアラーキーについて、時間を止める作業を続けると語る人が居ますが、まさにOnce In A Lifetime=一生に一度の瞬時を押さえるのが写真。
同じものは二度と来ない。
アラーキーの好きなコトバ。
「写真がなかったらほとんどのことは忘れられるよ。
写真を見るから悲しくなったり・泣いたりする。」
それでも師がそれを続けるのは、それでも生きる、ということへの秘めた想いを感じます。
そこに自分もみちびかれています。
***
青空、お茶、街角、動物・植物という生き物。
さんくりんさんは、かえる好きなんですか?
ケロヨンは、自分のおじさんが佐藤製薬に勤めていたので、小さい頃、そういうグッズをもらえたものですが、多分、さくりんさんのコレクションにはかなわないのでしょう。
カメ、鳥、カバ・・・いろんな生き物が好きな自分。
でも、身の回りにはネコグッズばかりです。
***
実家に行くたび、最近かゆみを覚えるのですが、親の手前で黙っていました。
そんな折、「コチャコ捕獲される」事件発生!
豪快なお袋さんに捕獲されたコチャコは、抵抗も無駄とあきらめて、ノミクスリを首のうしろにされました。
けっこう、静かでしたよ。
クロちゃんは、元気ですがやせました。
いっときは、ノラネコの生きるワザでしょうが、冬に太って寒さ対策でかなりふっくらしましたが、最近はスリム。
でも食欲はあって、元気で何より。
***
興味や「目」が、自分より先行して走る自分は、腰痛あれども、街に出るとそこにシャッターを何とか向け続けてしまうため、気が付くとくたくた。
実は、昨夜早々から9時まで寝てしまったのも、それゆえのことです。
神仏の行事は心が落ち着きます。
お盆の迎え火・送り火、大晦日のお焚きあげもそうですが
いつまでも見ていられます。
標であったり知恵であったり脅威であったり…
命ある火の周りにはまた、人の行き来がある。
「コレンドア」は緩やかな焔に会いますね。
私は細野さんの苦悩の数々をかなり後になって知ったのですが、
魂と自然の声を聴くネイティブアメリカンの生き方だからこそ(当時から今に至るまで)響くところがあるのでしょう。
偶然ですが昨日ちょうど、図書館で細野さんの「源氏物語」を借りてきたところです。
(トンネルをひとつ抜けた頃の作品のようですね。)
アラーキーの写真についての言葉には、言葉を失いました。
『それでも生きる』
どうにもできないことは「あるがままに受け入れる」、こちらにもネイティブアメリカンに通ずる思いを感じます。
大祓の意味通り、互いに夏を越えられますように。
今日は検査お疲れ様でした。
(かえる大好きのさくりんですが、それはまた別の機会に…)