【秋葉原通り魔事件の交差点 夕暮れ】
昨夜は、夜中2時まで音楽を聞いて寝た。
今日は、昼には休日出勤して、昼ご飯一緒に食べよう、って、Nちゃんとメールしてたが、起きれば12時( ̄○ ̄;)ガーン。
すぐシャワーして会社へ。
数時間仕事をする。
世間は、梅雨も明け、夏休みスタート。
夕方、会社を出て、御徒町へ。
多慶屋で、アックスと名刺入れを買う。
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また、電車に乗り、1駅バック。
18:00~秋葉原でマッサージ。
いつも予約する、音楽好きの黒木さんと音楽談義しながら、指圧してもらう。
つい、秋葉原通り魔事件の話になってしまう。
黒木さんはあの交差点を、事件30分前に通過したという。
マッサージ店から交差点まで100m程度。
一方、私はエアコンをアキバに買いに行こうという矢先、ニュース速報で事件を知った。
そんな話をする。
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19:00御徒町の本屋で、ハブ噛み師匠と会う。
浅草まで、写真を撮りながら歩く。
暗い夜道を2人で。
一転して明るい浅草に出る。
日高屋で、490円のたんめんを2人して食べる。
浅草寺の周りを巡り、マクドナルドで、100円のアイスコーヒーを飲み、
東武電車で、2人帰る。
23:00帰宅。
イーノは、確かに有能な知的音楽の功績は大きいのだが、その反面、計算高さのようなものがちらついてしまって、そこが未だに素直に好きになれない部分でもあるのだ。
「ディスクリート・ミュージック」「ミュージック・フォー・エアポーツ」はその代表で、サティの「家具の音楽」、それに、フィリップ・グラス/テリー・ライリー/スティーブ・ライヒに影響を受けながらも、それを彼の独自の「機械=マシーン」で自動演奏させる「発想」はすごいが、聴いていくにつれ、それが機械の自動演奏だとわかると、音の中に入っていた自分は、つい、そこに醒めてしまって、一歩、音の外に出てしまう。
一方、イーノの好きなところは、その「計算」だけではない、ロマンティックな面と過激さである。それがなかったら、自分はイーノを聴き続けては来れなかったと思う。
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80年代、<今はそう聞こえないのだが>、一時、音楽が全てそういう「合成物」にしか見えなくなって、感情を込めて聞こえなくなった時期があった。
その虚無感は、自分の性格や、置かれていた境遇にゆえんする部分が大きいが、それでも、その一部は、イーノの計算高さへの反発でもあった。
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彼はユーロピアンである。
彼の70年代後半から80年代に向けての名作と呼ばれるものは、「白人音楽がいかにして黒人音楽を越えるか」という挑戦と挑発だったともいえる。
パンク~ニュー・ウエイヴ~テクノ、果てはハウス~アンビエントと、音の底を流れる深い流れに、常に影響を与え続けてきたのが、ブライアン・イーノであったのは事実であるが、そこに、ユーロピアンならではの知的・理性的戦略が見えてしまうときに、自分は今でも、その瞬間、醒めてしまうのである。
他人からどう言われても、自分には、どうしても起きてしまう現象であり、虚無感に包まれる瞬間なのだ。
音楽は、本来、感情と結びつき、「理屈ではなくて体が動き出しちゃうもの」(細野さん)なのであるが、そんな中、音の実験と知的手術の中、生み出されていくイーノの音楽には、実に冷静で醒めた感覚と視点を感じざるをえない瞬間がある。
とてもキケンをはらんだ怖い音楽、というか思想の固まりに見える瞬間がある。
まるで、太宰治の「トカトントン」の主人公、そのままの言い回しだが、自分の素直な感情でもある。
あと、同じようなことを「ミュージック・マガジン」の中村とうようさんも言っていたが。
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そんなこと言いながらも、イーノの周辺の音楽からは、自分は逃れられないのだが。
YMOも、(良い意味の)イーノの影響を受けているわけだし・・・・。
とくに「BGM」は、イーノとのつながりの深い作品でもあるし。
暑い日は、つい食欲もなくしがちだが、そんな日には、カレーを。
今回は、ドライカレーを作ってみた。
よくチャーハンとかは冷や飯で、というが、あれは火力あるナベでやれるときのことで、自分は、暖めたご飯や、炊き立てのご飯で「混ぜめし」を作る。
そのほうが、うまくいく。
家庭の火力と普通のテフロンのナベにはこのほうが、よく混ざって作りやすい。
野菜をたっぷり刻んで入れる。
それが面倒くさい人には、冷凍の野菜ミックスなどでまかなう。
まあ、自分は肉を食べないので、こういう野菜中心のドライカレーになる。
今回はドライカレーの粉を使って、野菜とご飯をよく炒めた。
仕上げに、ウコンを入れて風味を出す。
辛いのが好きな人は、ダラムマサラの粉などを買っておくと良い。
カレーは、食欲の少ないときでも、量を食べられるので良い。
香辛料の威力というのはすごいものです。
先日、NHKでバレーボールの栗原恵のドキュメント「笑わないエース」という番組を見た。
彼女は、23歳という若さで、全日本チームのエースになりながらも、「現在」に満足せず、決して勝っても笑わない。
そこに彼女の向上心と、短い選手生命を、1戦1戦、身を削りながら、真摯に、バレーボールに向かい合っていることが感じられて、考えさせられた。
彼女は、2年前に、足の親指の根元の「種子骨」という骨の骨折をした。
正確には、「左足有痛性分裂種子骨障害」というらしい。
そのホネの手術をすれば傷みは取れるが、バレーボールはもう出来ない。
そこで、とあるトレーナーに出会い、その部分に負担をかけないカラダつくりを初め、<海外では催眠療法も取られるという>見事にその障害を越えて、一回り大きくなった彼女に成長した。
フジテレビはやたらと勝手に・一方的に「プリンセスメグ」だの恥ずかしい呼称を付けて呼ぶが、そんなやわなものではない、真剣なエースの姿が、今彼女のプレイぶりにはある。
もう、4年前の彼女はここにはいない。
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今日、ナンとか、ギリギリ、8:30に帰宅し、イタリア対日本の試合を見られた。
<松田聖子こと蒲池法子のキモイ顔も要らない。
くだらないタレントの応援も見たくない。
ただ、試合を黙って見させてくれ!>
栗原恵のバックアタック含め、様々な見どころを見て、わくわくしながら、見事、世界2位のイタリアに3-0で勝った!
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明日も、中国との試合で、活躍する栗原恵が見られることに期待したい。
自分は、20歳のとき、世間がみなお手手繋いで行く「成人式」に行かなかった。
行く気などさらさらなかった。
馬鹿かイナカモノが行く催事、という意識しかなかった。
今も、馬鹿か、他人とお手手繋がないと自分が存在しえないかたわのイナカモノのクソガキが騒ぐ催事であることには変わりない。
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「1年中撮影しています」
一見して笑ってしまうが、実は違う。
みなでお手手繋いでいくのが嫌いな人、それに、自分が成人、と思ったときに行ける便利なコンビニ時代の写真館なのだ。何歳でも良いのだ。
ある人は貫通した日に、ある人はタバコにくらくらした日に、ある人はワイルドターキーの旨さに気づいた日に・・・・「成人」と思い立った日に、その自由な様のままに行ける写真館があることは良いことである。
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「人に成る式」とは考えれば深い。
自分は、Wスコアを越えた42になるが、いまだに「人に成れない」。