ジョイ・ディヴィジョンがイアン・カーティスの首吊り自殺と同時に「The End」を迎えた後。
ニュー・オーダーという新たなバンドとして出発した最初が「セレモニー/イン・ア・ロンリー・プレイス」というシングルだった。
「セレモニー」はジョイ・ディヴィジョンの曲であり、それをあえてニュー・オーダーの出発点としている。
「セレモニー」とは儀式を意味する。
儀式をウィキペディアから引用すると以下の記載がされている。
「宗教学においては、儀式は、思想が行動として表現されるもので、それによって特定の宗教を信仰する者と信仰しない者を具体的に判別する事が出来るとし、個人ではなく、集団で行う事で教団として社会から認知されるとする所から、宗教集団を構成する要素の1つとして位置づけている。

また、特定の宗教を信仰していなくても、所属する特定の社会に於いて、集団の結束を確認するため、或いは集団への入団儀礼、集団内でのステップアップのために行われ、社会に周知させる意味でも行われる。
・・・文化人類学的意味合いを含んだ秘密結社の一部などの閉鎖的組織の中では合言葉や符牒などの形式を持っていることもある。」
***
自分は、「セレモニー」よりも、B面になっているこの「イン・ア・ロンリー・プレイス」という曲が今でも好きだ。
「これほどまでに暗い曲は無い」と思った方も多いと思うが、私はこの曲が昔から好きなのだ。
荘厳で死の匂いを漂わせた、まるで亡霊のような曲。
しかし、実に穏やかに神聖なる絶望の底での身動き取れないほどの(逆に)安定感。
死を浴びて逃げ場の無いその渦中というのは、自然に冷静沈着なものである。
それは、もう恐れるものが無いからである。
【From「ジョイディヴィジョン」|To「ニュー・オーダー」】の「|」部分の峠を通過する儀礼としての曲と捉えている。
ほっかり1人抜け落ち残った3人+ギリアンが、新たなる結社を結ぶ時の通過儀礼。
記号論・構成主義的ファースト・アルバム「MOVEMENT」で格闘実験する前夜。
ニュー・オーダーという新たなバンドとして出発した最初が「セレモニー/イン・ア・ロンリー・プレイス」というシングルだった。

「セレモニー」はジョイ・ディヴィジョンの曲であり、それをあえてニュー・オーダーの出発点としている。
「セレモニー」とは儀式を意味する。
儀式をウィキペディアから引用すると以下の記載がされている。
「宗教学においては、儀式は、思想が行動として表現されるもので、それによって特定の宗教を信仰する者と信仰しない者を具体的に判別する事が出来るとし、個人ではなく、集団で行う事で教団として社会から認知されるとする所から、宗教集団を構成する要素の1つとして位置づけている。

また、特定の宗教を信仰していなくても、所属する特定の社会に於いて、集団の結束を確認するため、或いは集団への入団儀礼、集団内でのステップアップのために行われ、社会に周知させる意味でも行われる。
・・・文化人類学的意味合いを含んだ秘密結社の一部などの閉鎖的組織の中では合言葉や符牒などの形式を持っていることもある。」
***
自分は、「セレモニー」よりも、B面になっているこの「イン・ア・ロンリー・プレイス」という曲が今でも好きだ。
「これほどまでに暗い曲は無い」と思った方も多いと思うが、私はこの曲が昔から好きなのだ。
荘厳で死の匂いを漂わせた、まるで亡霊のような曲。
しかし、実に穏やかに神聖なる絶望の底での身動き取れないほどの(逆に)安定感。
死を浴びて逃げ場の無いその渦中というのは、自然に冷静沈着なものである。
それは、もう恐れるものが無いからである。
【From「ジョイディヴィジョン」|To「ニュー・オーダー」】の「|」部分の峠を通過する儀礼としての曲と捉えている。
ほっかり1人抜け落ち残った3人+ギリアンが、新たなる結社を結ぶ時の通過儀礼。
記号論・構成主義的ファースト・アルバム「MOVEMENT」で格闘実験する前夜。

演出されたチューニングだったのか、それが彼らの「絶対音程」だったのか、
常に1/4ほど到達しない音に刻まれる呪詛。
一方、更なる安定が途切れ、New Order が新たに刻んだのは死の淵から這い上がるには、エレクトロニクスという確固たる路が必要だったのではと感じます。
さて、私の安定とは。
そして、死の淵から~
と打ったつもりが抜け落ちていました。
無秩序な今日のパソコンです…
自分は出発点がニュー・オーダーでしたから。
まあ、中学以降変わり者扱いでしたからね。
まさに「In A Lonely Place」状態が私の十字架として今に至るまで綿々と続いている。
私の海馬だけが特別なわけでもないのでしょうが。
そしてその時期に聴いていた、後にその時期を象徴し、もはやその出来事そのものになっている音楽。
「While every day my confusion grows」
「I'm waiting for that final moment」
(Bizarre Love Triangle)
82年の「或る日」以来、異星人として生き続けることを選択した自分。
86年の「また或る日」後には、もう帰らないつもりで真冬の海に向かいました。
比べるものではありませんが、
かたちんばさんの86年前後の苦しみには及ばない、果たせず帰ってきた自分には結局大した問題ではなかったのだろうと思います。
死の淵からの生還などと簡単には語れない、
Joy Division の血肉を振り払ってきたNew Order
それを彼らが成功と感じているかは別として、
死を中途半端に覗く私にはどうにも眩しく、直視するには痛い記憶と同じ蔭を何としても見つけなければ…
言葉で表せばこうですが、実際は混乱を窮めて聴いています。
好きな音であっても、愉しむ為のものになり得ないこともあるのですね。
私も今から…「MOVEMENT」を聴くことにします。
今日はせっかくの梅を散らす雨と寒さになりそうですね。
年度末のいっそう大切な時間、体調を崩されませんように。
痛い経験はその衝撃から心身に残るものですね。
私の音楽フォルダーには87年初め迄、月単位で聴いていた音楽が放り込まれています。
それ以降は、年単位になっています。
それを見る迄もなく時の密度がどこが密かは明白。
***
小学生の頃も、色んな事はあったものの、まだフラットな精神は眠った翌朝には回復しました。
勉強しているフリをしながら夜な夜な聴くラジオやナイターが楽しみでした。
中学生になってから、妙な疲れ・肩凝りが始まり、14歳のある晩、丁度アラーキーの実家の下駄屋さんの前を歩いている時「なんで自分はこうして生きているのか」がついに内面で爆発し、哲学思想を考えざるを得なくなりました。
これ以降次第にこんがらがっていき、86年末にはもはや説明不可能な地点に行ってしまった。
薬を投与されましたが、それは麻痺によって弛緩させる目的。
薬で心の絡まりが無くなるなら気安いものですが。
***
New Orderの「MOVEMENT」は、今でこそ距離を置いて聴く事が出来ますが、最初聴いた時はやばいものに足を突っ込んでしまったな、と思っていたのが真相です。
***
朝から土砂降りはきついですね。
梅には散って欲しくない。
朝の電車ではさっと座れたものの、案の定ちんたら運転です。
(車中にて)