今日は、2週間に1回の総合病院通院の日。
午後、通院→診察待ち→診察→会計→クスリをもらう・・・
で、通常はかなり時間を食うのだが、かなり早く済んだので、(昼抜きだったので)夕ご飯代わりを食べ、そこからは御茶ノ水~神保町へ「ラビラント・迷宮の旅」に出た。

無目的に写真を撮りながら歩き。。。
行き着いたのは、マーブル・ディスク。
ジャニスの斜め前。

ここで、かじかむ指を真っ黒にしながら、レコードを2時間半かけて、探索。
色んな発見に、買うものはテンコ盛り。
迷いはしたが、希望のものを全部買うわけにはいかない。
そこで、今まで続けてきた7インチ・シングル盤、洋盤も邦盤も、そこに探索を絞り込み、結果20枚近くの発掘をして、購入した。
マーブル・ディスクは、ところ狭しとレコードからCD、VIDEO、映画まで網羅した愉しい巣窟。
私の方は、寡黙に1人で整理にいそしむ店長を知ってはいたが、相手は、ボクが久しぶりで、風体も3mmカット&ヒゲ&黒で固めた身なりにわからんだろう、と20枚のレジを打つ間、待っていたが、お金を渡してモノをもらったあと、ぬあんと!
寡黙な店長自ら、ボクに声を掛けてくれたのだった。
店長「そうとう広範囲のジャンルの音楽を聴いているんですね。」
ボク「ええ、まあ。。。」
店長「今の学生は、CDすら買わないからなあ。。。
デジタル・データでしか音楽を聴かない。
レコードをこんなに買うのも珍しい。」
ボク「そうですね。
私の場合は、ジャニスさんがオープンした1981年頃から、とにかく神保町に愛着があって、四六時中、このへんをうろうろしているんですよ。
だから・・もう30年、この界隈に生息してますね(微笑)。」
店長「じゃあ、相当なコレクションでしょう。CDは聴かないんですか?」
ボク「CDもたんまり数百枚持っていますけど、そろそろ手放そうかなと思っているんです。」
店長「なぜです?」
ボク「しょせん、CDなんざ、コピー品ですからね。
愛着が湧かない。
最近、やっぱり、レコードでぷちぷち言う中聴く事に関心が戻ってきているんです。
だから、ばっさりCDはデータだけ抜いて、抜け殻のコピー品は、やはり一番音楽に理解あって、価値の分かる神保町に寄付しようかな、と思っています。」
店長「聴くものはやはり広い?」
ボク「いやいや、そんな広いこと無いですよ。
80年代とニュー・ウェイヴに愛着がありまして・・・。」
そうやって店長から声を掛けてもらえた嬉しさ。
時代を継承していくべき神保町の、軸のブレないガンコな職人に接した想いがした。
***
最近、すっかりYOUTUBE三昧にどっぷりハマっていたが、レコード盤に針を落とす事に戻りたい。
NETにメールに・・・・デジタル機器に囲まれながら、何か大事なものをボクは見失っている気がしている。
資料作りも紙とエンピツ、思考をめぐらせるのも、今年に入ってから同じように、いろんないたづら書きからスタートする。
道具に使われている気がしてならない。
レコード盤の匂い、キズ、質感、ジャケット・・・
プリミティヴなものに、ボクは回帰していきたいと思っている。
・・・という事で、いつまで続くかわからないですが、「私のレコード棚から」1枚1枚紹介していこうと思った。
写真もネットから拾わずに、写真で撮ろうとも思っている。
***
ポール・ウェラーが熱烈なファンが居ながらも、ジャムを自ら解散させ、スタイル・カウンシルを結成した夏から秋の物語のはじまり。。。
人に拠っては「青筋立てて歌っていないポール・ウェラーなんて、軟弱で駄目だ」という意見・批判もおおかたっが、そういう様々な事を振り切って、自ら、新しいユニットを結成したことに、ボクはココロ踊った。
それは、相当な決断が要ったと思うが、彼の頭には、本当にドリーミーな未来への光が見えていたのだと思う。

初めて聴いた、最初のシングル「スピーク・ライク・ア・チャイルド」をエア・チェックして、毎日聴いていた。
その後、数枚のシングルを経て、秋に「イントロデューシング」という、ボクから見たら、シングルの寄せ集めが発表されたが、それぞれシングルで欲しいものだった。
そんな折毎年恒例のミュージック・マガジンの「1983年の10枚」の中で、真保みゆきが「a Paris」【上記写真】を挙げていて、そのジャケットの素晴らしさと「これからボクの未来が、また始まるんだ」という彼の希望に満ちた姿に惹かれた。
***
しかし、「a Paris」は未だに手に入れられていない。
だが、そんな折、今日、マーブル・ディスクで500円で「a Paris」のEP盤を発見し、即確保した。
他人に取られないように。

帰りの喫茶店で、中を開けて見ると、盤には日本語で書かれており、ポリドール・レコードから発売されたようだが、EPジャケットの表も裏も日本語の表記が無い?

ウラ・ジャケットを見ると英語でもなく、フランス語で書かれている。
不思議な1枚。
スタイル・カウンシルの活動の中でも、特に大好きな「ロング・ホット・サマー」という1曲。
ぷちぷち言うレコードで聴くと、mp3で聴くのとは「ちょっと」違いますよ。
***
と言いながらも、一応、曲紹介のために、知らない人のために、YOUTUBEのリンクを下に貼ります。
今は、真冬なのに、なんで「ロング・ホット・サマー」?
とは言わないで下さいな。
冬に聴いたって、イイ曲はイイ曲なんですから。
是非、2011年盛夏の夜には、この曲を聴いてください。
レコードと音楽を愛する友に捧ぐ。
午後、通院→診察待ち→診察→会計→クスリをもらう・・・
で、通常はかなり時間を食うのだが、かなり早く済んだので、(昼抜きだったので)夕ご飯代わりを食べ、そこからは御茶ノ水~神保町へ「ラビラント・迷宮の旅」に出た。

無目的に写真を撮りながら歩き。。。
行き着いたのは、マーブル・ディスク。
ジャニスの斜め前。

ここで、かじかむ指を真っ黒にしながら、レコードを2時間半かけて、探索。
色んな発見に、買うものはテンコ盛り。
迷いはしたが、希望のものを全部買うわけにはいかない。
そこで、今まで続けてきた7インチ・シングル盤、洋盤も邦盤も、そこに探索を絞り込み、結果20枚近くの発掘をして、購入した。
マーブル・ディスクは、ところ狭しとレコードからCD、VIDEO、映画まで網羅した愉しい巣窟。
私の方は、寡黙に1人で整理にいそしむ店長を知ってはいたが、相手は、ボクが久しぶりで、風体も3mmカット&ヒゲ&黒で固めた身なりにわからんだろう、と20枚のレジを打つ間、待っていたが、お金を渡してモノをもらったあと、ぬあんと!
寡黙な店長自ら、ボクに声を掛けてくれたのだった。
店長「そうとう広範囲のジャンルの音楽を聴いているんですね。」
ボク「ええ、まあ。。。」
店長「今の学生は、CDすら買わないからなあ。。。
デジタル・データでしか音楽を聴かない。
レコードをこんなに買うのも珍しい。」
ボク「そうですね。
私の場合は、ジャニスさんがオープンした1981年頃から、とにかく神保町に愛着があって、四六時中、このへんをうろうろしているんですよ。
だから・・もう30年、この界隈に生息してますね(微笑)。」
店長「じゃあ、相当なコレクションでしょう。CDは聴かないんですか?」
ボク「CDもたんまり数百枚持っていますけど、そろそろ手放そうかなと思っているんです。」
店長「なぜです?」
ボク「しょせん、CDなんざ、コピー品ですからね。
愛着が湧かない。
最近、やっぱり、レコードでぷちぷち言う中聴く事に関心が戻ってきているんです。
だから、ばっさりCDはデータだけ抜いて、抜け殻のコピー品は、やはり一番音楽に理解あって、価値の分かる神保町に寄付しようかな、と思っています。」
店長「聴くものはやはり広い?」
ボク「いやいや、そんな広いこと無いですよ。
80年代とニュー・ウェイヴに愛着がありまして・・・。」
そうやって店長から声を掛けてもらえた嬉しさ。
時代を継承していくべき神保町の、軸のブレないガンコな職人に接した想いがした。
***
最近、すっかりYOUTUBE三昧にどっぷりハマっていたが、レコード盤に針を落とす事に戻りたい。
NETにメールに・・・・デジタル機器に囲まれながら、何か大事なものをボクは見失っている気がしている。
資料作りも紙とエンピツ、思考をめぐらせるのも、今年に入ってから同じように、いろんないたづら書きからスタートする。
道具に使われている気がしてならない。
レコード盤の匂い、キズ、質感、ジャケット・・・
プリミティヴなものに、ボクは回帰していきたいと思っている。
・・・という事で、いつまで続くかわからないですが、「私のレコード棚から」1枚1枚紹介していこうと思った。
写真もネットから拾わずに、写真で撮ろうとも思っている。
***
ポール・ウェラーが熱烈なファンが居ながらも、ジャムを自ら解散させ、スタイル・カウンシルを結成した夏から秋の物語のはじまり。。。
人に拠っては「青筋立てて歌っていないポール・ウェラーなんて、軟弱で駄目だ」という意見・批判もおおかたっが、そういう様々な事を振り切って、自ら、新しいユニットを結成したことに、ボクはココロ踊った。
それは、相当な決断が要ったと思うが、彼の頭には、本当にドリーミーな未来への光が見えていたのだと思う。

初めて聴いた、最初のシングル「スピーク・ライク・ア・チャイルド」をエア・チェックして、毎日聴いていた。
その後、数枚のシングルを経て、秋に「イントロデューシング」という、ボクから見たら、シングルの寄せ集めが発表されたが、それぞれシングルで欲しいものだった。
そんな折毎年恒例のミュージック・マガジンの「1983年の10枚」の中で、真保みゆきが「a Paris」【上記写真】を挙げていて、そのジャケットの素晴らしさと「これからボクの未来が、また始まるんだ」という彼の希望に満ちた姿に惹かれた。
***
しかし、「a Paris」は未だに手に入れられていない。
だが、そんな折、今日、マーブル・ディスクで500円で「a Paris」のEP盤を発見し、即確保した。
他人に取られないように。

帰りの喫茶店で、中を開けて見ると、盤には日本語で書かれており、ポリドール・レコードから発売されたようだが、EPジャケットの表も裏も日本語の表記が無い?

ウラ・ジャケットを見ると英語でもなく、フランス語で書かれている。
不思議な1枚。
スタイル・カウンシルの活動の中でも、特に大好きな「ロング・ホット・サマー」という1曲。
ぷちぷち言うレコードで聴くと、mp3で聴くのとは「ちょっと」違いますよ。
***
と言いながらも、一応、曲紹介のために、知らない人のために、YOUTUBEのリンクを下に貼ります。
今は、真冬なのに、なんで「ロング・ホット・サマー」?
とは言わないで下さいな。
冬に聴いたって、イイ曲はイイ曲なんですから。
是非、2011年盛夏の夜には、この曲を聴いてください。
レコードと音楽を愛する友に捧ぐ。

なんとライブエイドのわりと最初のステージにスタイルカウンシルは出ていましたが、当時はまったく受けていませんでした。
でもスタイルカウンシルは、時が経っても良さはかわらない音楽なんですね。メロディーとアンバランスな過激な歌詞も良いです。
最近のソロも渋くて好きです。なんか男前のポールの顔はだんだんロッドスチュワートのようになっていきますが。
ジャム→スタイルカウンシルへの、本当に大きな跳躍というのには、ポールウェラーという人の、本当に音楽に対する真摯な姿勢と、生真面目な人であることが熱が伝わってきます。
ボノとは違う形での熱血少年の生き様が見て取れます。
声も大好きだし。
スタイル・カウンシル初期では、この「ロング・ホット・サマー」もですが「ヘッドスタート・フォー・ハピネス」が一生ものの曲です。
アコースティックな弾き語りに近いですが、なにせ「シアワセへのスタート」というシングルに、彼が「パンク」という十字架から放たれて、新しいところへ行くんだ!という本物の希望への光に満ち満ちていてとてもとても美しい。
「ウォールズ・カム・タンブリング・ダウン」では、当時「壁は崩壊するんだよ」ということに、ボノにも通じる長嶋のような「豪快な空振り」の感を否めませんでした。
しかし、その後、1989年に東西を隔てるベルリンの壁は、実際に崩壊しました。
その時には、自分の抱いた感情へのバツの悪さを覚えたものです。
***
ソロになってからは熱心な信者では無くなって、聴くことから離れてしまいましたが、イノチがある限り旅は続き、「ミュージシャンの孤独」のようなものをポール・ウェラーにも感じます。
を初めてレコードで聴いた日を思い出しました。
「レコード盤の匂い、キズ、質感、ジャケット」
レコードの愛すべき個性ですね。
静電気がまとわりつくスリーブから取り出した時の匂い…
輸入版は独特の特徴があって、ひとり大人になった気がしていました(笑)
(そもそもスリーブなしでごろんと盤が入っていることにもヘンに感心していました。)
コーヒーも香りが一番だと思いますが、
匂いと手触り(質感)…レコードや本にも言えることですね。
ところで、あの「ぷちぷち」が落ち着くのは何故でしょうか。
人工的に音を消された空間より、雑音の中で眠れたり集中できるように、
胎内に近い自然さなのかもしれません。
* * * * *
紙と鉛筆はなめらかで自由な書き味がそのまま想像を広げますね。
予測変換がないので言葉を探し、繋げ、
辞書機能がないので今度は辞書を繰る…
プリミティヴなものの前ではこちらも鈍っていられませんね。
さくりんさんが好きなフェルトの「PRIMITIVEPAINTERS」という曲知らなかったので、さっき聴いてみました。
こんなレアな曲を聴いていた日があったのですね。
「静電気がまとわりつくスリーブから取り出した時の匂い…
輸入版は独特の特徴があって、ひとり大人になった気がしていました(笑)」
まさに。
ビニールで出来たレコード独特のにおいは、それを売るお店のにおいでもありましたね。
ディスクユニオン、ジャニス、シスコ。
お店に入るとレコードの渦の中、そのにおいが、自分の脳にもたらした何がしか・・というのは、まるでコーヒーのにおいに誘われて繰り返し喫茶店に行くように、何か中毒のようなものでした。
よくお互いのレコード・コレクションを比べっこした時代。
とてもアメリカやイギリスが意識の距離的に遠かった昔、国内に居てはわからない事が、その遠くで起きている。
国内で流通していたレコード会社の配給するモノではない代物を手に入れる事が、その遠くをわしづかみにして、自分もその空気の共有者として、一歩、仲間よりも先に行っているんだぜぇ、という優越感が、輸入盤にあったのだと思います。
「フールズ・メイト」などを視ながら、文面と小さなモノクロ印刷のジャケットから立ち上がる「欲しい」「聴いてみたい」という渇望は、当時、とてもでは無いですが、そんなに多くのレコードを買えなかった悔しさとぶつかりあっていました。
レコードの「ぷちぷち」音ですが、90年終わりからの「エレクトロニカ」のOVAL等が始めたのを想起します。
全てがノイズの無いデジタル信号化していく中の1つの試みとして、多くのエレクトニカ・サウンドを豊穣なものに導いて行きました。
細野さんと幸宏のスケッチ・ショー以降のサウンドにも、それは顕著に現れます。
最近引っ張り出してきた、昔読んだ教授と大森先生の対談本「音を視る、時を聴く」にも、さくりんさんの想いと似たような部分が出てきます。
動物も人も、聴いている音というのは、実は全員違う。
ボクの思うに、聴覚の捉えるレベルも違う。
音を意識で認識している部分と無意識で認識している部分
あるいは、受動的に聴こえてくる音と能動的に耳を澄ませる音・・・・
ボクが、近時、プリミティヴ、プリミティヴ・・・・と言っているのには、ネット世界どっぷりの中、紙やエンピツで自動筆記したり、ようく目を澄ませて本のある箇所を視たり、レコード盤に目・耳・鼻を澄ませて優しく静かに使ってみる・・・・
実は今まで完全に抜け落ちていたものがある事に、最近、気付きました。
目・耳・鼻があっても流れ作業で処理していく世界を一歩はなれて、澄ましてみたら発見する事がある。
コトバには具現化出来ない事象というのが、潜んでいる。
そんなことを大事にしたいと思っています。