こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

遅ればせながら・・・・・ 追悼 北村昌士

2007-11-15 20:06:24 | 音楽帳


2006年の6月に北村昌士が、亡くなっていたことを知り、ぼうぜんとしていた。
北村昌士と言っても知らない人も多かろうが。
雑誌「フールズ・メイト」の創始者であり、長く編集者としてたずさわった人である。

49歳である。
早すぎる・・・。
持病の糖尿病をわずらい、入院をしていたが、心臓疾患による死亡だそうである。

今回、初めて知ったが、「フールズ・メイト」のライターの羽積さんとは実の兄弟だったという。

母親からは、自慢の息子だったらしい・・・。

このアングラ誌、「フールズ・メイト」の影響は大きかった。

海外の音楽の情報を、必死に、まさに「かじりつくように」入手するための、数少ない手段=道=メディアが、当時の「フールズメイト」の稀有な存在だった。

実際、編集者としては、1977~1984年までの関わりで、その後は、誰がやっていたんだろう?
実質、ニューウェイヴ/パンクの全盛と終焉までに関わったことになる。

この雑誌を通じることでしか手に入らなかった貴重な情報は、数知れない。
そして、その稀有な音楽の水先案内人が北村昌士だった。

自分も影響を受け、お世話になった1人として、今はただ、あっけなく、死んでしまったことにぼうぜんとしている。
コメントのしようもない。

一種のカリスマだったので、失礼だが、こんなごく普通の病気という形で亡くなるとは思いもしなかった。
しかし、「41歳の春だから~」という天才バカボンの寂しい歌ではないが、このところ、みんな次々死んでしまう、寂しさとうすら寒さを感じてます。

また、1人、80年代の貴重な時代の証言者が消えてしまった・・・。
切なく、そして、むなしい。
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2 コメント

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美形ですね… (うつこ)
2007-11-15 21:43:24
 ごめんなさい…、フールズメイトは読んだことないのですが、
 かつてバンド活動もやってみえたり、北村さんという方は稀有な存在だったようですね。…もったいないです。
 
 
 
 
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Unknown (関孝和)
2020-09-16 22:24:13
今更ですが、、フールズメイトは自分の全てのベースとなった雑誌です。This heatもコクトーツインズもマイブラもキップハンラハンからコムデギャルソン、ドゥルーズ=ガタリ、バロウズまで。北村さんを始め、佐々木敦さん、羽積秀明さん、瀧見憲司さん。多様性の宝庫でした。
改めまして、北村さんのご冥福をお祈り申し上げます。
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