音楽・アート・・・そういうものの中、自分は「映画」に対する偏見を長い事思っていた。
何も映画を見ないで生きてきた訳ではない。
ただ、2時間○分見ないと表現が完結できない「映画」なるものは、音楽や絵や写真といった短時間で、人の心に届く力に比べ、極めて表現の力の低いものと、今も思っている。
かつて、細野晴臣大先生が言っていたコトバが僕には正論として、今も心にある。
「1秒、その音楽を聴いただけで、その音の魂が分かってしまう。」
よく、かつてはお金が無かったので「失敗だあ!」と分かってもお金も情報も制限あった中、買ってしまった失敗レコードに、「でも、聴いているうちに何か良いことを発見するだろう」と何度も買ってしまったレコードに「何かが見つかるだろう」と期待を込めて聴いたものの、やはり、音楽のスピリッツというものは瞬時に判断できる、また、それ以上の動物的なカン以上のものは無い。
***
2時間○分見ないと表現が完結できない「映画」は、アートにおいて、極めて低い表現方法と未だに思っている。
ただ、瞬時ピピッときた映画というものは、友となる。
数年前、兄から勧められて、一緒にDVDで見た「グーグーだって猫である」。
実は、私はこの映画に因縁がある。
仕事場に、20代の早稲田出身の女の子が来た。
彼女は、破綻的なお酒の呑み方をする。
私は、いろいろあって40代・独身。
さらに、歳もあって、仕事への拘束時間が長い。
そんな中、20代の女の子に、
「あなたは魅力的な人。
付き合ってください。
一緒に映画を見に、まずは行きましょう。」
という告白をされて動揺した。
彼女は美しい人だった。
しかし、僕には時間がなかった。
そして20代の子を相手にする勇気も、体力も、余裕も、時間もなかった。
私が躊躇し、仕事の渦に巻き込まれて、数ヶ月間経つ間に、彼女には同世代の彼が出来た。
そして、一緒に見るはずだった「グーグーだって猫である」を兄夫婦と見るハメになった。
因縁の映画だった。
***
私は、中高生の頃、やたら「元気」という様を呈した小泉今日子が大嫌いだった。
しかし、歳をお互い経てドラマ「ハタチの恋人」に、長澤まさみのお母さん役で出た小泉今日子の落ち着きと、あえて歳を取ったことに拠る美しさに惹かれた。
大島弓子の実話と、それを投影した漫画を下に創られた映画「グーグーだって猫である」。
因縁はさておき、自分が死に掛けているという中、それでも、「グーグーがシアワセでありますように・・・」とつぶやく小泉今日子のコトバに涙を流して泣いた。
寝転がった青草の見上げる永遠の青空に伸ばす手。
単にネコ好きだけに向けられた映画では無い。
そして、ここに大島弓子役として居る小泉今日子の、歳を取ったがゆえに認められるかもし出す美しさといとおしさ。
愛する麻生久美子の映画以外ほとんど見ない映画に、多くの発見と生きる切なさを感じた。
***
本当は一緒に見る映画だった彼女は、鬱病にかかって私の仕事場を去り、今はどこかで病院に掛かりながらどうして居る事だろう。
2011年4月末、今では、近くて遠い望楼。
何も映画を見ないで生きてきた訳ではない。
ただ、2時間○分見ないと表現が完結できない「映画」なるものは、音楽や絵や写真といった短時間で、人の心に届く力に比べ、極めて表現の力の低いものと、今も思っている。
かつて、細野晴臣大先生が言っていたコトバが僕には正論として、今も心にある。
「1秒、その音楽を聴いただけで、その音の魂が分かってしまう。」
よく、かつてはお金が無かったので「失敗だあ!」と分かってもお金も情報も制限あった中、買ってしまった失敗レコードに、「でも、聴いているうちに何か良いことを発見するだろう」と何度も買ってしまったレコードに「何かが見つかるだろう」と期待を込めて聴いたものの、やはり、音楽のスピリッツというものは瞬時に判断できる、また、それ以上の動物的なカン以上のものは無い。
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2時間○分見ないと表現が完結できない「映画」は、アートにおいて、極めて低い表現方法と未だに思っている。
ただ、瞬時ピピッときた映画というものは、友となる。
数年前、兄から勧められて、一緒にDVDで見た「グーグーだって猫である」。
実は、私はこの映画に因縁がある。
仕事場に、20代の早稲田出身の女の子が来た。
彼女は、破綻的なお酒の呑み方をする。
私は、いろいろあって40代・独身。
さらに、歳もあって、仕事への拘束時間が長い。
そんな中、20代の女の子に、
「あなたは魅力的な人。
付き合ってください。
一緒に映画を見に、まずは行きましょう。」
という告白をされて動揺した。
彼女は美しい人だった。
しかし、僕には時間がなかった。
そして20代の子を相手にする勇気も、体力も、余裕も、時間もなかった。
私が躊躇し、仕事の渦に巻き込まれて、数ヶ月間経つ間に、彼女には同世代の彼が出来た。
そして、一緒に見るはずだった「グーグーだって猫である」を兄夫婦と見るハメになった。
因縁の映画だった。
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私は、中高生の頃、やたら「元気」という様を呈した小泉今日子が大嫌いだった。
しかし、歳をお互い経てドラマ「ハタチの恋人」に、長澤まさみのお母さん役で出た小泉今日子の落ち着きと、あえて歳を取ったことに拠る美しさに惹かれた。
大島弓子の実話と、それを投影した漫画を下に創られた映画「グーグーだって猫である」。
因縁はさておき、自分が死に掛けているという中、それでも、「グーグーがシアワセでありますように・・・」とつぶやく小泉今日子のコトバに涙を流して泣いた。
寝転がった青草の見上げる永遠の青空に伸ばす手。
単にネコ好きだけに向けられた映画では無い。
そして、ここに大島弓子役として居る小泉今日子の、歳を取ったがゆえに認められるかもし出す美しさといとおしさ。
愛する麻生久美子の映画以外ほとんど見ない映画に、多くの発見と生きる切なさを感じた。
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本当は一緒に見る映画だった彼女は、鬱病にかかって私の仕事場を去り、今はどこかで病院に掛かりながらどうして居る事だろう。
2011年4月末、今では、近くて遠い望楼。