こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2015年2月1日 日曜日 「New Life 2015」

2015-02-01 23:26:56 | 想い出かたちんば

奇妙な偶然、というのが重なる。否、偶然では無い気もする。
温度や湿度や天気、あるいは匂い、そういったものの組み合わせが無意識下にあり、それが過去そこに居た時空にいざなうのかもしれない。

先日、いつも通りうろうろ歩いているうちに本郷通りをひたすらまっすぐ。既に足を引きずっており、その日は歩くにも限界かと思われる状態へ。
そのうち東大のレンガ壁に阻まれて跳躍するにも出来ず、大学外塀に沿って歩くうち門前へ。
すると、そこにやけに人が居る。さらには報道の車。

門前のたて看板で分かる。大学入試センター試験と記された文字にシャッターを切る。
なにも、その日にここに迷い込んだ意志は皆無なのだが。

今日は今日とて、山手線沿いを歩くうち大塚に迷い込む。
自分のクセ・習性で、過去かかわった人も場所も、付き合いが一定期間切れた後になると、近付くのを避ける。そうしているうち万物は流転する。

久しぶりの大塚周辺も大幅に変わってしまった。
写真を撮り歩いてから数年というのに、まず駅が変わってしまっていた。しかし、まだ高校時代・三十余年前の痕跡は未だに散見することが出来る。それだけでも、まだマシな街であり、当時の匂いがまだ残る。

そこから一つ考えて、高校時代に通っていた道順を歩いて写真に収めようと思った。
そうして歩くが、記憶と目の前がどうも一致しない。
それでも、それらしき古い家や○○荘といったアパートが残る。

そのうち高校の場所にたどり着くが、何か変である。いかつい門はすでになく、中にはクレーン車が入っている。
歩いて次第に明らかになるのは、校内のほとんどの建物の配置が、既に跡形もなく無くなっている。リアリズムの宿はもう存在しない。

門前には、吊るし上げのための教師の代わりに予備校のチラシをまく者たち。
以前は校内にも入れずだったが解放されていたので、勝手に入る。
夕暮れどき、かなたから陽が射す学園内に群がり歓声と悲鳴を上げる集団が居る。

なんとも奇妙で、近付くがそこにあったのは入試合格者の番号掲載板。
その前で、親と子が騒いでいる。
この光景は、自分が三十余年前に見上げていた光景。
あの日、ここには親も身内も居なかった。ただ一人で見上げており、さらにはこの2月の始めではなく、春も近い日の二次募集であった。
それまで合格した高校を親父にことごとく否定された挙げ句、またも放浪者となった自分が双方の妥協案として最後に残された道だったからである。

見れば親は私と同じ頃合いか、少し上である。
見聞きしたくは無かったのが、携帯電話で盛んに親族や塾に電話する親の姿。
韓国では今教育戦争ということは知っていたが、未だこの国も変わらない姿にあることを知る。
それよりなにより、教育熱心な親を否定し、そこからの自由を模索したはずの世代が、結果否定したはずのところに回帰しているザマ。
校舎も周辺も変わっているだけでなく、この姿は自らにカウンターパンチだった。

場を一刻も離れようと歩き出す。その道で三輪車の孫と老夫婦を見、道端に咲いた鮮やかな梅に出会う。
老夫婦はシャッターを切る自分の姿から梅に気付いて、それをめぐって語らっている。
二年前亡くなってしまった旧校長の「政三ちゃん」が、この開花を見ていたら”寒いのを越えて咲く。これこそが、巣鴨魂だ。”と壇上で長いこと演説するだろう。
あのチカラ強い語気とヘタっていた自分の光景を懐かしく思う。

■デペッシュモード 「ジャスト・キャント・ゲット・イナフ」1981■
今日歩くさなか、デペッシュモードのファーストアルバムが余りに良いので、ずっと聴いていた。
久しぶりに聴くこのアルバムは新鮮なテクノポップで、歩く歩調と不思議な相乗効果を生む。
聴いていた当時は、ウォークマンなど持っていなかったので意外に思う。
聴きながら歩きずんずん進むうちに、トランス状態になりながらシャッターを切った。


















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