こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2014年9月11日 木曜日 上野のパースペクティヴ

2014-09-11 23:31:05 | 想い出かたちんば

今日、仕事の用事で、久しぶりに上野で降りた。
降る雨は時に強く、かと思えば、やんだり・・と適当に入れ替わっていく。

現地集合する仕事仲間を待ちながら、上野の交差点上空にある歩道橋の一角で、たばこをふかす。
傘を差し、ぼんやりと上野駅前の風景を眺める一幕。

後にやってきた同僚は、いかに昨夜の雨がすごかったかを語るが、偶然自分はタイミングよく大雨には遭わずに済んでいた。
昨日も、自分は一日外に居た。

同僚と上野駅前の風景を話す間に、いろんな話が自分のクチから出た。
ココから突出して見えるタワーマンションの辺りは、かつてギザギザの面白いデザインのビルがあり、確かラヴホテルだった。
しかしある日突然、それが潰されてしまい、その後、今あるあたりにタワーマンションが建ったこと。

この歩道橋からは、上野”しのばずの池”と森が見え、その合間から東天紅がニョキッと顔を出している。
ここから向こう、不忍池方面は、今でもたくさんの緑と自然が残っている。
しかし、一方では焼野原みたいに地上げされた場所がそこここにあり、かつてあった古き場所が消えていっている。

さらに山越えをすると日暮里が見えてくるが、日暮里駅前もことごとく潰され、無味乾燥で四角四面のつまらないビルだらけと化した。
昔、三ノ輪のおばあちゃん家であるたばこ屋では、駄菓子や日用雑貨も売っていた。

その駄菓子を仕入れるために、長女だったお袋は、自転車で三ノ輪から山越えをして、日暮里の駄菓子問屋との往復をしていた。
まだ年頃だったので恥ずかしかったことや、帰り道の山を下りる坂が急で、大荷物を背負って降りるのが、とても怖かった話を何度も聞いていた。

上野歩道橋から一望するだけで、色んな想いがよぎる。
上野は、じゅらくも消えてしまい、これまた無味乾燥な建物が立ち、他の場所もどんどんと消えていっているが、まだ昔の空気が残っている。
路地や猥雑な通りを歩けば、まだそこに痕跡を見ることが出来る。

■「2000トンの雨」2005■
アルバム「ソノリテ」収録曲。
音楽に傾ける、圧倒的な執着と情熱の強度。
そんな山下達郎さんのソウルフルな名曲。




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2 コメント

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移り変わりゆく街 (くもお)
2014-09-12 06:27:28
上野は僕にとって大事なターミナルです。

上野駅の中央改札から常磐線のホームまでの天井を見上げればわかるけど、あのスタイルはヨーロッパの中央駅の様式です。建物の外観もドイツ風です。そんな趣のある駅がある街、上野。その街の様子ももうすぐ大きく変わると思います。少なくとも僕の中で。

それは常磐特急が東京駅まで直通になるからです。そうなると上野で降りる機会が減ってしまいます。

僕はこの昭和通りをまたぐ大きな歩道橋の根元にあるランニングショップにしょっちゅう通っていますが、あのお店にも行けなくなる。

とまあ個人的な心配をしてしまいますが、田舎者である僕には不思議と心ひかれる街、上野。変わることは仕方ないけど、いつまでも趣のある街であり続けてほしいです。
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東京の玄関 (かたちんば→くもおさんへ)
2014-09-13 22:36:22
スポーツショップ、知っています。
こないだも、その前を通りましたよ。

上野は東北から来る人の玄関でしたが、今はそういうことも無いのでしょうね。
自分の記憶は、傷痍軍人とラッパの付き添いやボートピープルたちが住む街。
あるいは、風俗、ヤクザ、異国人が集まる場所。

アメ横はまだ残っていますが、耐震を言い訳にして潰す計画があります。
名前の通る街では、数少ない昭和を残した街です。

排斥浄化する側に立つつもりは、当然ながら毛頭ありません。
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