幼稚園の頃には、まだ家(うち)風呂が無かったので、荒木経惟さん同様、近所の銭湯に通っていた。
テレビに夢中でお風呂に行きたがらないボクに「駄菓子屋さんでおでんを買ってあげるから」と言ってくれた親父・お袋さん。
それを受けて、横にくっついて銭湯に行っていた。
銭湯の向かいが駄菓子屋さんで、そこではいつもグツグツ煮込んだおでんが、美味しそうな湯気と匂いを放っていた。
その後、三ノ輪の家は今で言うリフォームで、建築屋さんが入った。
遠い記憶に、流し込んだ生コンクリートの匂いが刻まれている。
こうして家風呂が出来た。釜で炊くタイプのお風呂。
斜め向かいのタバコ屋のおばあちゃんは、夜になるとお風呂に入りに来て、湯上りにはもぐさでお灸を背中にすえていたシーン。
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お風呂が家にやってきた後、入浴剤なるものを入れ出したのは、小学生の頃だった。
当時、ロング缶の細長い中に入ったグリーンの粉を、お風呂に入れる。
すると、お湯の中でもくもくと広がっていく。。。それがまだ自分には珍しく映った。
この頃このように初めて入れた入浴剤は「バスクリン」だった。
家の者たちは「おい、バスクリン入れたか」と、入浴剤とは言わずに、商標名で呼んでいた。
今では多様な匂いや色が楽しめる。特に冬には活躍する入浴剤。それは、今でもお風呂に入る楽しみの1つである。
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日本は物質的に裕福になって、家風呂はもはや当たり前になった。
それでも、学生寮やアパートなどには、まだ風呂の無い建物というのが大事に維持されても居る。
家風呂もいいが、銭湯に通う、という風習が、まだ下町や学生街にある。
ドラマ「時間ですよ~」のように、多くの人が銭湯に入っていたのが当たり前だった頃を離れて、銭湯経営は苦しくなった。
ボクが幼稚園の頃、駄菓子屋で何か買ってもらうのが楽しみで通っていた銭湯は、30代の頃行ってみると、人寄せのため、さまざまな湯船を作り、ジェットバスだのああだのこうだの。。。
銭湯とは呼べない姿に変わっていた。
みんな、時代の変化の中、生きていくのは大変なのだ。
三ノ輪も実家も離れ、東京のエアースポットである島に住まえることになってから、この島の銭湯の風情に出会い、その風景に懐かしさを覚えた。
いくら時が経っても、今でも変わらない雰囲気をたたえた島の銭湯。
積まれたマキ、煙を上げるえんとつが良いんだよねぇ。ああ、ぬくぬくしたい。
■西岡恭蔵 「ろっかばいまいべいびい」(カバー曲/詞・曲:細野さん【原曲は「ホソノハウス」に収録】)1975■
大好きな映画「グーグーだって猫である」のサウンドトラック。
細野さんは、この中で「初めて恋についてのラヴソングを創った」とおっしゃっていたけれども、実際はたくさんのラヴソングがある。
「相合傘」「夏なんです」「恋は桃色」に始まり、日々の暮らしの中で出会う・ささやかな心情変化。
それが投影された、細野さんの「かわいい曲」(By矢野アッコちゃん)たち。
この「ホソノハウス」に収録された「ろっかばいまいべいびい」も、そんなラヴソングの1つである。