こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2014年1月20日 月曜日 東京風景 ~文京・須藤公園~

2014-01-20 22:31:10 | 写真日和

「TOKYO WALKER」というお手軽雑誌が出たのは、80年代の終わり・昭和の終わりの頃。
これは単なる1つの契機に過ぎない。
その後、やたらと情報誌片手にリュック・帽子姿の団体さま御一行が、街荒らしに来る姿を見るきっかけでもあった。
街は、メディアに取り上げられるたびに、その色・心骨を失い、資本主義アメリカナイズ・観光地化されていった。
なじみの隠れ家で、ひっそりお茶を飲むのを愉しみにしてきたなか、かれらのざわめきに、ココロを乱した。

***

今はすでに、そこから相当な年月が流れていて、個々の趣味嗜好が細分化され、四方八方に飛び散った。
そのおかげで、逆に大きな流れからは放たれた。
前に比べればマシな状況かもしれない。
まあ、スカイツリーなど、世界で一番高い塔というだけで、やかましい異国人が集まるのは、いつの時代にもよくあること。

***

昨日・日曜日は、大きな風がぼおおっと窓や樹々を揺らす、さぶい日だった。
昼の食事を作って食べたら満腹で動けなくなった。
だけども、冬の空は果てしなく晴れていて、
「どうしようかなあ」と、家に居るか?外に出るか?の間を揺られていた。
迷いの末に外に飛び出した。

電車に揺られて。。。とある駅で下りて、歩き出す。
手がかじかむので、携帯カイロで時々、指が動くようにする。

四つ辻のメインストリートに面して、マンションが今ではにょきにょきし出した通り。
そんなオモテ通りを離れて、ネコと一緒に、一本裏筋へと入る。
そんなジグザク迷走は、いつも通り。
D坂の一本となりの筋に入ると、上り坂があり、その左には古い民家、右には須藤公園。この風景が昔と同じように現れる。今でもひっそりとしていることに安堵する。

須藤公園も上野公園同様、佇んでいると時代からトリップさせてくれる場所。
坂道同様の傾斜面に自然に生えた草花、大樹が風に揺れて、ごおおっと言う。
公園の真ん中にある池では、鯉が泳ぎ、池の中央へと渡りを伝った先には朱塗りの弁財天がある。
傾斜を上るように、くねくねと作られた上り段を踏みながら登って行くと、勢い良い滝の水が落ち、そのしたたる水は池に流れていく。
目と耳と鼻(鼻とは、草木の香り)が敏感になる。

滝が流れていく様を、橋の上からじいっと眺めていると、毛糸の帽子をかぶった外人のおじいちゃんと幼いお孫さんがやってくる。
会話が聞こえる。
幼な子と目が合って、微笑むと、彼はシャイに照れて、おじいちゃんにすがりつく。言葉は分からない中、おじいちゃんと2人笑う。



くねくねと作られた木段を頂上まで登れば、子供向けのすべり台、遊具、そして井戸水の跡。
藤棚にあるベンチでは、ギターの練習をする方の音色。
今では頂上からスカイツリーが見える。

ここに佇んでいると、何もしないでじっとしていられる。
そして、まどろみ、我が身はその中に溶け、消えていく。



■ジョン・フォックス 「ザ・ガーデン」1981■

ぼくらは、庭園のなかで眠っていた
夏のいぶき
輝けるいぶき

丘のひろがりに背を向けると
空は燃えるような色を放っている

ぼくたちは消えていく
ぼくらは溶けていく

彼女は光のなか銀色に燃え尽きていく
長い歳月、光を放ち続けつつ
そして、全てのしぐさは、切なる想いに満ちて

いまもぼくは感じている
ぼくらが消えていくのを
溶けていくのを

長い光となって、きみが立つ姿が見える
ドレスを捨て去り
窓辺には、赤味が射す
粗野の地平線を抜けて、太陽は沈んでいく

ぼくたちは消えていく
ぼくらは溶けていく



(*エーゴの出来ない私の、いつもの個人的な思い込み訳詞。正しい保証はありません。)
コメント
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