こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2014年1月30日 木曜日 音楽風景 ~高橋幸宏、ビル・ネルソン 「ヘルプレス」~

2014-01-30 23:35:09 | 音楽帳

異なるバンドやユニットの者同志が2人で曲を共作・共演する。
そんな事が多々あった、80年代のポップフィールド。
背景には「企画モノ」という趣向が多くを占め、ほとんどは周囲のスタッフや取り巻きがお膳立てをしたものであって、共演すること自体が話題。。。。といった体(てい)が多かった。

それでも、今の自分は、当時を離れて、反芻するように、その共演を愉しんでいる。
当時は「1+1=3であるべき」という具合に、各々の音にはない・新しい化学変化に期待を寄せていたのだけど、そういったものは少なかった。
「ああ、そうなるだろうな。。。」その範疇の外側に出ることの困難さ。

思い浮かぶメインストリームを歩いていたミュージシャンで、今となっては好きなものは・・・
デヴィッド・ボウイ&クイーンの「アンダー・プレッシャー」
デヴィッド・ボウイ&ミック・ジャガーの「ダンシング・イン・ザ・ストリート」
ジャクソンズ(マイケル・ジャクソン)&ミック・ジャガーの「ステイト・オブ・ショック」
ジョン・ライドン&アフリカ・バンバータの「ワールド・ディストラクション」
クラレンス・クレモンス&ジャクソン・ブラウンの「ユー・アー・フレンド・オブ・マイン」Etc

***

一方、そういったメインストリームを離れれば、
お互いの織り成す、それぞれの立ち位置と距離から結び付く実験と、その結果としての化学変化が大輪を咲かした作品が存在する。
こういうもの『だけ』にこそ「コラボレーション」という言葉を使いたい。
教授とトーマス・ドルビーの組み合わせだったり。。。
あるいは、1984年制作の高橋幸宏作品「ワイルド&ムーディー」の一部。

この作品は、A面・B面を合わせても、分数が少ないのでミニアルバム的であったが、
幸宏のソロ・ライヴを通じて親交を深め、YMOにまで幸宏が持ち込んだ相棒、ビル・ネルソンとの2曲の共作が含まれている。
この2曲は、2人の名義で、ヨーロッパでのシングルカットを前提として取り組んだもの。

まだリスナーにはその新曲内容も曲名も不明な発表前、ラジオで一緒だった(これまた相棒の)鈴木慶一さんが「(録音された音を)聴きましたけど、意外な選曲でしたねえ」と幸宏に語った。
「伏せて伏せて、言わないように」と発言にブレーキを掛けた幸宏。

■高橋幸宏&ビル・ネルソン 「ヘルプレス」1984■
アルバムに必ず1曲は、カバー曲を入れる幸宏。
その1曲・1曲に、原曲への愛を感じる。
彼のカバーはいずれもが単なる「カラオケ」ではない。表層的なところだけを撫でるだけのカバー曲ではない。
どの曲にも、新しい解釈と息吹きが吹き込まれている。

「E―BOW」というギターピックを磁石に持ち替えて、音の響きを歪ませる、独自の美しいビル・ネルソンのギターのつややかな音色。
切ない響きをした音数少ない、空白余地を大事にしたキーボード、エレクトロニクス機材の音。
幸宏、ビル・ネルソンそれぞれ「後は無い」かのような切実なヴォーカルと、2人の異なる声が交錯するコーラス。
どれをとっても、自分の心の底に、波紋のようにしわじわと、深く深く広がっていく。
余韻を残したエンディングが描く空(くう)。

 音楽を聴くときに自分の中に広がる開放感
 此の世を貫くチューン

とは渋谷陽一さん独自の言葉であるが、その言葉の持つニュアンスを思い起こす。

幸宏の元愛妻が、現在ではビル・ネルソンの妻である下世話な話題など、この曲の前では、どうでもよい。
曲の内容がいくら悲観的であろうと、それもどうでもよい。「音楽」という有機体としての希望がここにある限りにおいて。
2人の創った「ヘルプレス」は、原曲であるニール・ヤングとは全く違う意味合いを示した別曲として、既にカバー曲という範疇を超えている。

「それは、あんたのいつもの大袈裟な思い込みさ。」そう言われて構わない。
「それでいいじゃないか。」
コメント (2)
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