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こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

理屈からこぼれ落ちてしまう「なにがしか」

2009-11-10 21:05:24 | 音楽帳
ウソで塗り固められた世界に対峙しながら、それでも、その世界に身を置き、生きねばならない日々の闘い…。

ブログを更新していなかったのには、いろいろ理由はある。

・1つ目の理由は、愛用のパソコン「マイVaio」ちゃんが壊れた事。

・2つ目は、仕事が尋常ではない忙しさになった事。

・3つ目は、様々な2009年の死に対して、喪に服したくなった事。

・4つ目には、沈黙=無・空のタームを取りたかった事。

***

ポリスの’81年11月の名盤に「ゴースト・イン・ザ・マシーン」というアルバムがあるが、機械の中にも魂があるかのように、まみちゃんの死の後、機を一にしたかのように壊れた、愛用のパソコン「マイVaio」ちゃん。



よくうちのお袋さんは「家電製品には当たり外れがある」という言葉を使うが、昔の栗本慎一郎さんの「パンツをはいたサル」か「都市は発狂する」のいずれかの本に、同様のくだりがあったのを思い出した。

機械は沈黙しているが、同じような工程管理の元で作られたAとA´の製品。
片方は良品なのに、もう片方は不良品として故障した。

なぜか?

その違いに物性的な違いが無いとしたら、そこには魂のような「なにがしか」が存在するのでは無いか?
という「なにがしか」の可能性に、栗本さんは言及していた。

***

友人MZ師は、徹底的な現実主義者(かつ右翼)だが、自分の場合は、そこまでは行かない(行けない)甘さがあるものの、基本的には似ている。

自分は、幼い頃からUFO・宇宙人・幽霊といった超常現象が好きで、そういった本をたくさん読み・テレビ番組はかかさず見て来て、それは今も変わらない。

但し、幼い頃は本気で全てを信じていたが、ある歳から一切信じなくなった。

今の自分は、UFOも宇宙人も幽霊も無いと思っている。
しかし、大槻教授のように「すべては、科学で説明が可能である。」とも思っていない。

何かの理屈でくくろうとすると、必ずその中からこぼれ落ちてしまう「なにがしか」・・・・・・・。

確かにUFOも宇宙人も幽霊も無いが、じゃあ全部がウソ=ゼロなのか?と言えば、そうでは無いと思う。

「なにがしか」が存在するのだと思う。

***

ハタチ前後の素浪人時代、ひどいノイローゼに苦しんでいた頃、「黒魔術」の本を読み・鍛練を積んだが、何1つかなわず、むしろ、かなわないことで、より生々しい現実が迫って来て、更に苦しくなるという悪循環の輪の中にはまっていた。
あの頃の自分は、明らかに精神異常の世界に行ってしまっていたのだろう。

そんな過去の自分を遠く感じるようになった今なのだが、妙な話であるが、誰のココロの中にもあるような、ふと思う“真から嫌なヤツの不幸・苦手なヤツと離れたい距離”、そういう事が現実化してしまう事が、このところ続いている。

実に、不気味な事だが。

まさか、今になって、20年以上前の黒魔術の鍛練の成果が出て来た訳では無いのだろうが…。

***

自分の中に住まう「なにがしか」。
現実世界の中にある「なにがしか」。

一体、この「なにがしか」は、何なのだろうか?
多分、それを解明出来ないまま、死=タイム・リミットを向かえるのかもしれないが・・・・・・。

***

だが、そのヒントとして在るのが、ユングの心理学の研究である。

自分の素浪人時代のノイローゼは、最終的には精神分裂病の症状(何かにしがみついていないといけない・周りのモノが迫って来る)に至り、親への自動的カミング・アウトを経て、精神科通いでクスリを飲む事で、ある程度表面上治まる方向に向かったが、そんな自分が、漂流の上辿り着いた大学で、絵にしがみついて描くかたわらで、精神医学・心理学の本をたくさん読んだ。

そのとき、一番自分を引き付けたのがユングだった。

ユング派を継承してきた、日本の第一人者 河合隼雄先生は、2年前亡くなってしまったが、河合先生の本もよく読んだ。

ユングが見い出した有名な概念に「シンクロニシティ(=共時性)」がある。

★「シンクロニシティ(=共時性)」とは・・・「意味のある偶然の一致」のこと。
非因果的な複数の事象(出来事)の生起を決定する法則原理として、従来知られていた「因果性」とは異なる原理として、カール・ユングによって提唱された独: Synchronizitätという概念の英訳である。
何か複数の事象が、「意味・イメージ」において「類似性・近接性」を備える時、このような複数の事象が、時空間の秩序で規定されているこの世界の中で、従来の因果性では、何の関係も持たない場合でも、随伴して現象・生起する場合、これを、シンクロニシティの作用と見なす。(ウィキペディアより引用)

また、ユングの本を読み直すか…。

ポリスの’83年のラスト・アルバムのタイトルは、まさに「シンクロニシティ」だが、当時のスティングもユングにかなり傾倒していたようだった。

ブログの再開に際して、僕はポリスの’81年11月の「ゴースト・イン・ザ・マシーン」から「インビジブル・サン」、つまり、『見えない太陽』という大好きな曲を聴きたい。

コメント (2)
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