人がたくさんいるというのに耐えられない。
東京のいい加減な雑踏を、孤独に歩くのは好きだが、皆が皆同じ方向に向かう流れに包まれることに嫌悪してしまう。
生来の性分である。
***
ずいぶん長く、毎年浅草寺に初詣に行っていたが、
次第に、「三が日過ぎて、人が少なくなってからの神田明神」というのが定番になってきていた。
正直、浅草寺は巨大過ぎて、収容人数が多過ぎる。
キャパシティ・オーバーだ。
神田明神の箱庭的な手頃な大きさが自分には似合っている。
しかし、わたしは、初詣でおみくじも引かないし、何を買う訳でもない。
ただ、客観的に、写真を撮り、10円の賽銭を入れて終わる。
信心は大事なそれぞれの個人のココロの中の有り様のことである。
全く否定するつもりは毛頭ない。
しかし、皆が、「我を我を」とせめぎあい、ある1点に向かう「単なる群衆」の「単なるイベント」と変化した瞬間に、不気味な嫌悪感に変化する。
自分は、その構成員にはなりたくない。
自分の周囲がそういった空気に包まれるのを察知した瞬間に、距離を置き、一歩身を引く。
とことん自分は、飼い主に従順な犬ではなく、複雑な「わがままさ」を内包した、孤独なネコだなあと思う。
努力ではもはや犬にはなれない。
救いようの無い、筋金入りの野良ネコなのだ。
【西尾久2丁目付近にて】
***
そして、迎えた今年のお正月。
お茶の水で降りたのはいいが、神田明神に歩く人並みを見た瞬間、気がさぁっと引いてしまい、行くのをやめた。
ついに、神田明神にさえ嫌悪感が生まれてしまった。
そして、昨日。
【八幡神社】
陽も傾きかけた午後、うちに前の夜泊ったハブ噛み師匠と、地元近所、都電荒川線「宮ノ前」停車場前の「八幡神社」に、散歩がてら行った。
もはや三が日を過ぎた神社の境内には、5~6人の人がいるだけだった。
閑散とした境内に、きれいな夕陽が差した。
東京のいい加減な雑踏を、孤独に歩くのは好きだが、皆が皆同じ方向に向かう流れに包まれることに嫌悪してしまう。
生来の性分である。
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ずいぶん長く、毎年浅草寺に初詣に行っていたが、
次第に、「三が日過ぎて、人が少なくなってからの神田明神」というのが定番になってきていた。
正直、浅草寺は巨大過ぎて、収容人数が多過ぎる。
キャパシティ・オーバーだ。
神田明神の箱庭的な手頃な大きさが自分には似合っている。
しかし、わたしは、初詣でおみくじも引かないし、何を買う訳でもない。
ただ、客観的に、写真を撮り、10円の賽銭を入れて終わる。
信心は大事なそれぞれの個人のココロの中の有り様のことである。
全く否定するつもりは毛頭ない。
しかし、皆が、「我を我を」とせめぎあい、ある1点に向かう「単なる群衆」の「単なるイベント」と変化した瞬間に、不気味な嫌悪感に変化する。
自分は、その構成員にはなりたくない。
自分の周囲がそういった空気に包まれるのを察知した瞬間に、距離を置き、一歩身を引く。
とことん自分は、飼い主に従順な犬ではなく、複雑な「わがままさ」を内包した、孤独なネコだなあと思う。
努力ではもはや犬にはなれない。
救いようの無い、筋金入りの野良ネコなのだ。
【西尾久2丁目付近にて】
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そして、迎えた今年のお正月。
お茶の水で降りたのはいいが、神田明神に歩く人並みを見た瞬間、気がさぁっと引いてしまい、行くのをやめた。
ついに、神田明神にさえ嫌悪感が生まれてしまった。
そして、昨日。
【八幡神社】
陽も傾きかけた午後、うちに前の夜泊ったハブ噛み師匠と、地元近所、都電荒川線「宮ノ前」停車場前の「八幡神社」に、散歩がてら行った。
もはや三が日を過ぎた神社の境内には、5~6人の人がいるだけだった。
閑散とした境内に、きれいな夕陽が差した。