こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

工場の「食堂給食」萌え

2008-01-18 20:44:55 | 雑記帳



月に5~6回は、工場のあるつくばに行く。

昼、自動車に乗らない(免許はあるが、運転が下手で嫌い)自分は、自動車で相乗りできる仲間がいない日は、やむをえず食堂で昼食を摂る。

みな同じ制服を着たヒトでごったがえす食堂で、目立つジャケット姿で、お盆を持って列に並ぶと、非常に浮いてしまう。
給食のような食事を、みんなに混じって並んで配給を待ち、みんなに混じって食べるのは、居心地悪く緊張するものだった。
しかし、最近は、マヒしてきたのか?慣れてきた。

***

選べるのは、日替わりのお弁当、もしくは、その日のめん類かどんぶりモノ。

「なんたら給食センター」のヒトたちが、頭巾にマスクにかっぽうぎ姿で食事をよそってくれる。

小学生の頃の給食を思い出す。

しかし、40代50代のおじさんおばさんが、お盆を持って一列に並び・・・・・・きちんと席に座って、礼儀正しく、食事をうれしそうにする様は、なんだかユーモラスでこっけいだ。

自分も最近では、このユーモラスな風景の一部になって、うれしそうに中華丼やおそばやラーメンを食べている。

***

実に給食的味わいがなんともいえず良く、好きなメニューも多い。

自分が好きなのは、

★中華丼

★天ぷらそば+ミニカレー丼

★ラーメン+ミニかやくごはん

どれも一律400円ナリ。(安い!)

今日は、天ぷらそば+ミニカレー丼【写真】を食べた。
勝手に取れるらっきょう(大好物)をたんまりのっけて食べた。
寒い日だったが、これを食べてカラダがあったまった。

***

「時効警察」には、よく、警察署内の食堂のシーンが出て来る。
三日月しずかと霧山修一朗がテーブルで向かい合って、ごはんを食べるシーンがよく出てくるが、そのシーンがとても好きだ。
DVDで、ここの部分だけを見ることもある。

霧山修一朗がよく頼むアイテム「素うどん」が美味しそう。
何にも具が入っていないけど、あったかくて美味しそう。
また、三日月しずか演じる麻生久美子さまの食べる様が、本当に美味しそう。
(麻生さんは、食べているときの表情が、最高です。)

***

ただ、この工場の「食堂給食」、欠点が1つある。
みんながいるので、恥ずかしくて、写真が撮れないということ。
それが悩みである。

今日は、12時のチャイム前に、ごはんにありつけたので写真を撮れた。
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渋谷陽一と離人感覚  ~そして「わたし」探しの旅は続く~

2008-01-18 00:23:58 | 想い出かたちんば


うず高く雑多に積み上げた本の海から、渋谷陽一さんの本を探していた。
「音楽が終わったあとに」という本にだろうが、気になるフレーズがあったのだ。それを確認したかった。

自分は本を読むというより、部分部分の印象的フレーズを、自分の中にインボルブするために、本を辞書代わりにしている。
長い文章は読めない。

「ロック微分法」は見つかったが「音楽が終わったあとに」は見つからなかった。

***

「・・・・・渋谷の駅前に出ると 駅前のビルたちで出来上がった駅前広場が、
まるで書き割りの芝居のセットのようで 
押せば、パタンと倒れてしまうような、リアリティの無さを感じた 
このどうしようもない現実空間でどうしようもない芝居をしている
そういう感覚は長く慣れ親しんだものだった・・・・・・・」

たしか、そんな内容だった。

「ロック微分法」にも、それに似た「告白」が登場する。

「現実的しがらみの対処法はひとつの演技テクニックであり、完全な技術論なのだ。」

「僕にとってのこの30年の現実生活は演技者渋谷陽一の30年であり、同時に観客渋谷陽一の30年でもある。
きっとこのレベルにおいては死ぬまでそうあり続けるのではないか。」

***

この離人感覚というのは、自分も、じつは、幼少以来持ち続けている。
たぶん、自分が直感的にわかるのは、土屋昌巳、浅田彰、三島由紀夫もそうだろうということ。

幼い頃から、鏡に映る自分が自分という気がしない。
この「かたちんば」というニンゲンの入れ物・容器を借りて、世の中の関係性の中で、芝居をしている。
そういう感覚は、自分も長く、つきあってきた。
だから、そういう自分を、僕は「エイリアン」と思い、「かたちんば」と語る。

それを克服するための闘いをしてきた40年ともいえる。

鏡に向かって「お前は誰だ?」そういうときが、今も無いことはない。

***

デヴィッド・ボウイーもそういった闘いをしてきたヒトで、ジギーやアラジン・セインや何や・・とさまざまに自分の呼称を変えて、次から次へとそれぞれが別物の別人格になろうと、そういうことで、自分を獲得しようという手法を用いていた。

その果てに、重篤のドラッグ中毒になり、そこから、死にかけながら、ベルリンの東西ドイツの境界線のスタジオに移動して籠もった。
そこで出会ったのが、ブライアン・イーノであり、イーノは、ボウイーのカウンセラー&理解者&水先案内人として、ボウイーをフォローし、「ヒーローズ」「ロウ」という、アンビエントな要素の曲を含む2枚のアルバムを創った。

三島由紀夫も、いわば演技者三島由紀夫として、その闘いを文学というものに求めたが、その果てに、「肉体」と「行動」というものこそが、自己革命となるという「発見」をしながらも、自分の作った幻想と文学とともに巻き込まれるように心中・切腹をすることとなった。<最後だけは、自分が自分である、という感覚がおとずれたのかもしれない>

***

「人間の持つ精神的な病い、それは人間であることであり、その基本的な部分が解決されない限り、本当の意味での精神の開放はないのだ。
我々は等しくニンゲンである病を抱いた存在であり、そのレベルでは全てのヒトが精神病なのである。」(渋谷陽一)

その欠落部を救うのが、ひょっとしたら「音楽」なのかもしれない。。。
そう渋谷さんは言っている。
それは、自分の思い込みかもしれないが、そう僕は思うのだ、とサウンドストリートの最終回で語っていたのを思い出した。

・・・そして、僕の「わたし」探しの旅は、明日も続くのだ。
コメント (3)
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