私がU2などというと意外かもしれない。
いかにも「ロック」そのものというイメージをU2は背負っている部分が確かにある。しかし、U2の音楽を「深く」知っている人なら分かるだろうが、U2はロックン・ロールという面だけのバンドでは無い。
あれほど、私と同様にして「退屈な」「ロック」を当時毛嫌いしていた'80年代のブライアン・イーノが、ボノからの執拗な打診・説得に折れて、アルバムのプロデュースを受けたのは、U2の音楽の「スピリチュアル」な面ゆえだった。
私が最初にU2を知ったのは、ミュージック・マガジンの雑誌の中でだった。
最初2枚のレコードが日本発売された時、U2は大した話題にもならなかった。
私は、聴いてみたいと思いながら、聴くことが出来なかった。
そして偶然最初に出会ったのが、この「ニュー・イヤーズ・デイ」という曲のプロモーション・ヴィデオだった。
'81年夏に、東京は三ノ輪の下町を離され、草加に移り住み、遠くなった学校に通う中で、数少なく良かった事は、「埼玉テレビ」というローカルなテレビを受信出来たこと。
当時はまだ全くといっていいほどなかった、私の愛するイギリスのプロモーション・ヴィデオを見られる「スーパー・サウンド・シティ」という番組を夕方にやっていたのだった。
そこで偶然出会ったのが、このU2。
記憶には薄いが、秋の日差しの差す木々の森を走る馬が写っていた気がした。
当時のU2の私のイメージは、2枚目のレコードにあるような、ダブリンの灰色の空の下に立つ4人の青年、それに、このような秋の林、そして3枚目「WAR」のインナーにあるような冬の雪の中に立つ彼らである。
U2のこの曲は、あのジョン・ライドンも認める名曲である。(但し、彼はこれともう1曲を除き、あとはみんな同じ曲といっていたが)
この頃~4枚目「The Unforgettable Fire」(イーノのプロデュース)までのU2のイメージが好きだ。
これはロックでは無い。絶対にロックでは無い。
言ってみれば、ソウル=魂、であろうか。
音楽としてのソウルという分野では無くて、魂の音をしているということ。
詩も良いので、今度乗せようと思っている。
いかにも「ロック」そのものというイメージをU2は背負っている部分が確かにある。しかし、U2の音楽を「深く」知っている人なら分かるだろうが、U2はロックン・ロールという面だけのバンドでは無い。
あれほど、私と同様にして「退屈な」「ロック」を当時毛嫌いしていた'80年代のブライアン・イーノが、ボノからの執拗な打診・説得に折れて、アルバムのプロデュースを受けたのは、U2の音楽の「スピリチュアル」な面ゆえだった。
私が最初にU2を知ったのは、ミュージック・マガジンの雑誌の中でだった。
最初2枚のレコードが日本発売された時、U2は大した話題にもならなかった。
私は、聴いてみたいと思いながら、聴くことが出来なかった。
そして偶然最初に出会ったのが、この「ニュー・イヤーズ・デイ」という曲のプロモーション・ヴィデオだった。
'81年夏に、東京は三ノ輪の下町を離され、草加に移り住み、遠くなった学校に通う中で、数少なく良かった事は、「埼玉テレビ」というローカルなテレビを受信出来たこと。
当時はまだ全くといっていいほどなかった、私の愛するイギリスのプロモーション・ヴィデオを見られる「スーパー・サウンド・シティ」という番組を夕方にやっていたのだった。
そこで偶然出会ったのが、このU2。
記憶には薄いが、秋の日差しの差す木々の森を走る馬が写っていた気がした。
当時のU2の私のイメージは、2枚目のレコードにあるような、ダブリンの灰色の空の下に立つ4人の青年、それに、このような秋の林、そして3枚目「WAR」のインナーにあるような冬の雪の中に立つ彼らである。
U2のこの曲は、あのジョン・ライドンも認める名曲である。(但し、彼はこれともう1曲を除き、あとはみんな同じ曲といっていたが)
この頃~4枚目「The Unforgettable Fire」(イーノのプロデュース)までのU2のイメージが好きだ。
これはロックでは無い。絶対にロックでは無い。
言ってみれば、ソウル=魂、であろうか。
音楽としてのソウルという分野では無くて、魂の音をしているということ。
詩も良いので、今度乗せようと思っている。