真如堂は今から千年有余年前に、比叡山常行堂の慈覚大師円仁作の阿弥陀如来を「京に出てすべてのものに利益を施す。わけても女人を救済するものなり」と如来のお告げに従って、東三条女院(藤原詮子)の離宮に遷座して寺とした天台宗の寺院です。
今回は、大豊神社から徒歩で来ましたので東参道からです。
数年前に境内の東側に紫陽花園が作られ、木も随分と成長し、大きな花を咲かせるようにはなりました。
なまこ壁を背景に咲く紫陽花は"絵"になります。まだまだ知られておらず少しは"隠れた"紫陽花の名所のひとつです。
寺のご由緒については駒札をご覧下さい。
本堂の向かって右側には菩提樹の花が咲いています。やや盛りを過ぎていて菩提樹特有の甘い香りは薄くしか感じませんでした。
また、左側には沙羅双樹(夏椿)の花が数輪咲いていました。
本堂は元禄6年(1693)から24年の歳月をかけて完成したお堂で、部材には「○○家先祖代々菩提の為」と浄財を寄進した方々の名前が記されているそうです。
本堂内の一番高い位置にある御厨子はいつもは閉まっていますが11月15日にのみご開帳されます。
ご本尊は慈覚大師円仁作の阿弥陀如来立像で完成間際に逸話が残っています。
慈覚大師が「比叡山の修行僧のための本尊になってください」と願い眉間に白毫を入れようとすると、阿弥陀如来は首を振って拒否されたと言います。「それでは都に下って、すべての人々をお救いください。特に女の人をお救いください」と言われると、如来は三度うなづがれたところから「うなずきの弥陀」と呼ばれています。
左脇仏の千手観音像は伝教大師最澄作、右脇仏の不動明王僧は安倍晴明公の念持仏と伝わります。
今年こそ、ご本尊さまにお祀りしたいものです。
正面の大きな額「真如堂」は享保11年(1726)宝鏡寺宮から奉納されものです。
三重塔は文化14年(1817)の再建、高さ約30 mの本瓦葺きの塔で初層には多宝塔が、お祀りされています。春は新緑、夏は青空、秋には紅葉と境内に溶け込み、真如堂になくてはならない存在です。
真如堂の総門は西側にあり紅く塗られた通称"赤門"です。
敷居がないのは、西側にある吉田山神楽岡の神々が毎夜真如堂に参詣する際につまづかないよいにしている為と言われていまし。
本堂北側には、重森三玲のお孫さんの千青(ちさを)氏作庭の「随縁の庭」や曽根三郎氏作庭の「涅槃の庭」など見所が多いですが
コロナの影響で今も拝観を停止されています。
御朱印を授与して頂き、次に智積院へと向かいます。
次に徒歩で真如堂へと向かいます。