この日の最後は長岡京市にある勝竜寺城公園です。
勝竜寺城は、元亀2年(1571)にこれまであった砦を織田信長の命により細川藤孝が当時、最先端の城に大きく改築したものです。
天正6年(1578)細川藤孝の嫡男忠興と明智光秀の娘玉(後にキリスト教の洗礼を受けガラシャと改名)との婚礼がここ勝竜寺城で執り行われています。
また、安土城より5年も前に瓦葺きの天守が存在していた事が確認されています。
しかし、屏風や図面などの資料がなく詳細な事はわかっていないようです。
石垣は自然石を積み上げた野面積で石仏や宝筐院塔などの転用石も多く使われていたようです。
発掘調査で出土した石仏は城内の一ヶ所に集められ、祀られています。
北門には枡形門が存在していたのが確認されており、防御と攻撃を兼ね備えていた城郭でもつあったようです。
"光秀出陣テラス"と名付けられたエリアです。
城内からは7m程高くなっていて当時は天王山方面が見渡せたと思われ、ここに天守が築かれていたのかもしれないです。
山崎の合戦に敗れた光秀はこの城に退却し、先程の枡形門があった北門から落ち延びたと言われています。
今は公園となり城の形をした建物は資料館、図書館として活用されています。
発掘調査に基づいて遺跡を残し、忠実に復元して欲しい欲しかったとの感想を持ちました。