京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

岸和田城庭園 八陣の庭

2020年06月17日 13時06分00秒 | 日記
 月に一度、通院している病院が岸和田市にあり、この日診療を終えて岸和田城へ。
コロナの影響で閉鎖されていましたがようやく再開され、立ち寄る事にしました。





本丸庭園の作庭は京都をはじめ各地で多くの庭園を造られた重森三玲です。

昭和28年(1953)に作庭された回遊式枯山水庭園で園路からだけではなく、翌年に建築される事が決まっている天守閣からも鑑賞する事をも考えた庭園です。



上は「竜陣」


上は「蛇陣」



中国三国志時代の蜀漢の名軍師諸葛孔明(しょかつこうめい)が考案したと言われる「八陣法」を題材にしています。

庭園は三重の屈曲線で仕切られた上・中・下の三段で構成され、中央の大将を守るように8組の陣を表す石組みで表現されています。

中段には、虎・風の陣を配し、下段には、天・地・雲・竜・鳥・蛇の陣を配置しています。





三玲は八陣法は本来攻めの陣形ではなく守りの陣形で、平和確立への願いを込め、外敵から守る陣形をこの庭園に込めた旨を記しています。

長年にわたり日本の庭園を実測、研究してきた三玲の庭園観が良く出ていると思います。







再建された天守閣とはいえ、街に城があるのは地域の人達の誇りですね。







滋賀県竹生島 宝厳寺

2020年06月17日 06時30分00秒 | 日記
 今日から暫く近江路です。お付き合いをお願い致します。
車で近畿自動車道、名神高速道路、北陸道を経由して長浜まで来ました。





長浜と言えば秀吉公が初めて国持ち大名になり統治した所、また、後に豊臣家の命運を握る事になる石田三成との出会いの場所でもあります。



11時30分の琵琶湖汽船に乗り竹生島へ。
この春に宝厳寺観音堂の修復が終わり、また、新聞で唐門、舟廊下が秀吉公時代の大坂城の遺構である事が実証されたとの記事を読んでやって来た次第です。
(あと、ふたつメインの目的もありますが)



湖北まで来ると琵琶湖の水も綺麗です。


約30分の船旅で竹生島に到着。
まずは西国三十三ヶ所観音巡礼の第三十番札所の宝厳寺へ。









本堂のご本尊は弁才天で、江の島、宮島と並ぶ「日本三弁才天」のひとつです。
724年に聖武天皇の勅命で行基菩薩が開眼した由緒ある弁才天です。





国宝唐門です。
秀吉公時代の大坂城極楽橋の一部で唯一現存している建物です。
当時の姿に修復され、その贅を尽くした豪華さに桃山文化の豪華絢爛さと、豊臣家の豊富な財力を思います。

当初は京都東山阿弥陀ヶ峰にある豊国廟に移築されましたが、秀頼公の命で竹生島に移築されたようです。

続いて観音堂(重文)です。










西国巡礼のご本尊千手観世音菩薩はこちらにお祀りされています。
観音堂も当時の彩色が復元され豪華な建物です。

さらに舟廊下(重文)へと続きます。





観音堂の移築と共に掛けられ、秀吉公の御座船「日本丸」の骨組みの材料を転用したものです。

断崖に掛けられている為に清水寺の舞台と同じく懸造(かけづくり)構造で廊下を支えています。





当時の大坂城は、この様に豪華絢爛な城だったのですね。





三重塔は文明19年(1487)に建立されました。江戸時代初期の落雷で焼失しましたが、当時の図面が発見され平成12年に再建されました。

宝物殿はコロナの影響で閉鎖されていました。


 


五重石塔(重文)。
比叡山から採掘される小松石の石塔で初層の四面には仏が彫られ各層の屋根には反りが見られ鎌倉時代の特徴を示しています。
重文指定の石塔は7基しかなく、この五重石塔はその内のひとつです。







次に舟廊下のさらに先に鎮座する都久夫須麻(つくぶすま)神社へと参ります。