過去に数度訪れていますが、久しぶりに白樺派の文豪志賀直哉旧居を訪れました。
食堂の南には数寄屋建築には珍しく、サンルームが設けられています。
現在は学校法人奈良学園さんがセミナーハウスとして更生維持され、広く一般にも公開されています。
引越しの多い作家(文豪と呼ばれる作家は皆、引越しが多いです。)でしたが、奈良はかねてより憧れの地だったようです。
昭和三年、自ら設計した高畑の邸宅に翌年に移り住みました。
まずは二階から見学します。
長編小説「暗夜行路」を完結した二階の書斎です。
京都の数寄屋大工が作っただけに細部にわたり細かな仕事がされています。
廊下の船底天井も凝っています。
北側の窓からは若草山、春日山、高円山が見渡せます。
次に一階です。
直哉自身はお茶は嗜まなかったようですが、夫人や子供達の為に茶室を一室設けています。
大工は裏千家の茶室にも関わっていた方で直哉に強く勧めたようです。
芸術家は皆、日当たりのいい南側の部屋より北側の部屋を好むようですね。
南に面した食堂です。
食堂の南には数寄屋建築には珍しく、サンルームが設けられています。
南側の庭に面してサンルームが設けられ、当時の文人墨客が多く集い"高畑サロン"を形成していました。
昭和十三年までここ奈良で過ごした直哉はさらなる自身の発展の為。また、子供達の教育の為に約十年間住んだ奈良を離れ、東京に居を移します。
その後、学校法人奈良学園が買い取り、保存管理されています。
"ささやきの小径"で春日大社にご奉仕する神官が通った道です。
次に、癌封じの寺で有名な大安寺へと向かいます。