京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

2019京の錦秋④常照皇寺

2019年11月21日 07時40分39秒 | 日記
 岩戸落葉神社を後にし、京北井戸町にある光厳法皇ゆかりの常照皇寺に来ました。





常照皇寺は定治元年(1362)に開かれた臨済宗天龍寺派の禅寺です。

ちょうど南北朝時代で吉野の南朝と京都の北朝とで60年余りにわたって皇位を争っていた時期です。

光厳法皇は40歳を過ぎる頃、禅の修行に入られ戦乱で亡くなられた方の慰霊の巡業を重ねられ、この地の無住の廃寺を改修、住持となられました。
こちらで生涯を終えられ常照皇寺の裏山に"山国陵"として葬られました。







庭園は京都府の史跡指定を受けており、「九重桜」は国の天然記念物です。



今の「九重桜」は二代目だそうです。また、御所から株分けされた紫宸殿前「左近の桜」や一重と八重がひと枝に咲く「御車返しの桜」など桜の名木が多いです。









前回訪れた時には受付に誰もおられず拝観料を置いて拝観する、、、非常にユルイお寺です。
今日は土曜日なのか受付の方がおられ念願の御朱印を授与して頂きました。



2019京の錦秋③岩戸落葉神社

2019年11月20日 07時07分19秒 | 日記
 道の駅"ウッディ京北"で昼食を頂き再び周山街道を北上、やってきたのは小野郷にある岩戸落葉神社です。
源氏物語に関心がある方以外は余り知られていないマイナーなところです。





鳥居と拝殿はひとつですが本殿は岩戸社と落葉社のふたつある珍しい神社です。

境内にある4本の銀杏の大木の黄葉が実に見事です。
この4本の銀杏は同時には黄葉せず、2本がまず黄葉し、落葉する頃にもう2本の銀杏が黄葉します。
見頃の時期に運良く遭遇すると天からは銀杏の黄葉が、、、地面には敷き黄葉が、、、、前回に来た時にはその様な光景で感動した事を鮮明に覚えています。







岩戸社は、小野上村の氏神で近世にこちらに移られたようです。
一方の落葉社は、小野下村の氏神で延長5年(927)に編纂された延喜式神命帳に記載の堕皮神社と伝わります。源氏物語にも登場し落葉の宮とその母が隠棲した場所てして描かれています。



年に一度だけ地域の方々が明かりを持ち寄りライトアップが行われます。それが今夜ですが別の拝観場所を予定しているために諦めます。







次に光厳法皇ゆかりの常照皇寺へと向かいます。


高山寺茶室 遺香庵

2019年11月19日 17時04分42秒 | 日記
 11月16日は「そうだ 京都、行こう。」のお仲間3名と僕の計4名で自動車で京都京北を巡る日帰り参拝に行きました。午前9時に京都駅前郵便局に集合し、出発します。





まずは世界文化遺産でもある栂尾高山寺からです。と言っても国宝の石水院ではなくお茶室"遺香庵"の見学が目当てです。皆さん初訪問のようでした。









腰掛待合は"茶恩鐘"と名付けられた宝形造りです。中には鐘が吊るされ遺香庵の寄進者103名の名前が刻まれています。
中には、「佐竹本 三十六歌仙絵」の切断を決めた益田孝(鈍翁)、高橋箒庵、野村徳七など当時の財界トップや数寄者の名前が刻まれています。

茶庭は七代目小川治兵衛の作庭です。栂尾周辺の石を使い、傾斜地を上手く利用した露地庭園です。









正面屋根下には益田孝(鈍翁)筆の「遺香庵」の扁額が掛かり、躙口の横にはお寺境内地を意識したのでしょうか?火灯窓を開けています。

内部は四畳台目で古田織部、小堀遠州好みの間取りですが、手前座の天井を一段低くする落天井などには千家の茶室を意識した点もあり、日本の茶室のいいところ取りの感もあります。







この辺りは清滝川沿いにある為に、霧や湿気が多く遺香庵の茶室も数センチ高床式にする事で通気性を高め、木材の腐食を防ぐ工夫が見られます。

1時間近く見学し、周山街道を北上して道の駅"ウッディ京北"で昼食タイムを取りました。





鴨ロース定食と京北子宝芋ハンバーグ定食です。


滋賀大津市 義仲寺

2019年11月19日 06時48分20秒 | 日記
 義仲寺(ぎちゅうじ)は大津市馬場の旧東海道沿いにあるお寺で木曽義仲、松尾芭蕉の墓所があります。





こちらの存在は以前から知っていましたが、木曽義仲に対して良い印象を持っていなかったのでこの日まで未訪問でした。

木曽義仲は信濃で平家討伐之ために挙兵し、見事平家の大軍を打ち破り京都に入ります。
京都での政、挙動に対し評判が悪く、やがて源頼朝の命で源範頼(のりより)、義経に討ち取られ、こちらに葬られました。



すぐそばには義仲公の側室巴御前の墓も寄り添うようにあります。



貞享年間(1664-1668)に松尾芭蕉はたびたび来訪しています。
芭蕉は旅の途中大坂で逝去しますが遺言により義仲寺に葬られています。



境内には茅葺きの翁堂があり、正面祭壇には芭蕉の坐像が祀られ、部屋の回りには三十六俳人の絵が掲げられ、天井の四季花卉図15枚は伊藤若冲の部でによるものです。剥落が進んでいるのが残念です。





また、境内には芭蕉を慕うように20もの句碑が建てられています。





次に永観堂禅林寺の夜間拝観に向かいます。


滋賀県大津 近江神宮

2019年11月18日 20時24分24秒 | 日記
 園城寺を後にし京阪電車石山坂本線で近江神宮前で下車、徒歩で約10分の所に鎮座されている近江神宮を訪ねました。



御祭神は天智天皇です。神として天命開別大神(あめみことひらかすわけのおおかみ)でお祀りされています。





神社の歴史は新しく昭和15年に天智天皇の古都大津京があったこの地に鎮座されました。

天智帝の御業績としては天智6年(667)に都を近江大津京に遷都され、近江令を制定、また日本最初の官立学校を創設され学問に力点を置かれました。

何より、漏刻(水時計)を設け時刻制度を確立された事は有名な話です。





また、天智帝は和歌に秀でた方で藤原定家が編纂した小倉百人一首の巻頭には「秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露に濡れつつ」は広く知られています。

年頭に行われる"かるた祭"は正月明けの風物詩としてよくニュースで放映されます。

また、境内には"時計館宝物館"があります。

お祀りを終えて社務所で御朱印を授与して頂きました。



次に松尾芭蕉ゆかりの義仲寺へと向かいます。