西陣の一角に伽藍を構える浄福寺は山号を恵照山と称する浄土宗寺院です。
最初の写真の朱塗りの門は西門です。
通常は境内は自由に入れますが伽藍内は全くの非公開です。
平成26年の春季非公開文化財特別公開で伽藍内も公開されました。
(それ以降の公開も無いです。)
ご由緒は古く、延暦年間に京都御所の東北に建立され、ご本尊は三国伝来(印度、中国、日本)の釈迦如来像をお詣りしていました。
当時は二十五大寺に数えられた寺院でしたが度重なる火災により、江戸時代元和2年(1615)に現在地に移転しています。
現在の本堂は阿弥陀如来像をご本尊に享保16年から18年の歳月をかけ再建されました。
ところが寛文6年(1666)に「三間梁機制(さんげんはりきせい)」という今で言う建築基準法が制定され、建物の奥行きを三間(約6m)以内と規制されました。
ところが享保15年に本堂が焼失し、元の規模での再建が規制により困難な状況でした。
そこで設計に工夫を凝らし、外から見れば二つの建物が並んでいるように見えますが
、その間を上手く繋ぎ内部には一つの大きな空間を作り出しています。
「日本最古の違法建築物」と言われています。
時は八代将軍吉宗公の治世、、、"享保の改革"で贅沢を禁じた一環だったのでしょうか?
書院の前には菩提樹と沙羅双樹(夏椿)が植えられいます。
内部の襖絵は幕末から明治に活躍した京都画壇の山田文厚(ぶんこう)の筆によります。
また、彼は浄福寺の檀家でもあり浄福寺に墓地があるようです。
釈迦堂です。
近年、修復されその費用の一部を今回公開の主催者古文化保存協会が補助しているための公開です。
普段は京都国立博物館に寄託されている四天王のうちの二体が特別公開されていました。
いずれも平安時代の作で実に100年ぶりの公開でした。
鐘楼と正門に当たる南門です。
一部の写真は古文化保存協会の公式ガイドブック"拝観の手引"から転載させて頂きました。