京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

晩秋の圓徳院

2021年01月10日 07時23分00秒 | 日記
 とうとう、関西の大阪府、兵庫県、京都府にも非常事態宣告が発令されそうです。
京都の冬の楽しみ「京の冬の旅」も延期になりそうです。

今日以降のブログは以前に訪れた場所の生地を掲載されて頂きます。





高台寺の台所坂の向かいに塔頭寺院の圓徳院があります。
何度か記事にしていますが今回は紅葉の見頃の圓徳院です。







参道には秀吉公好みの手水舎が据えられています。秀吉公は一文字型の手水鉢もお気に入りだったようです。



南庭の紅葉です。

圓徳院は豊臣秀吉の正室北政所ねねさまの実家木下家の菩提寺です。
秀吉公の没後の慶長10年(1605)に伏見城化粧御殿とその前庭を圓徳院に移築しここに住われます。77歳で没するまでの19年間をこの地で余生を送られました。

ねねさまは毎日、高台寺へと通われ、秀吉公の菩提を弔われていたそうです。

ねねさまを支えていたのが兄の木下家定公とその次男利房公親子です。
圓徳院は木下利房公が開祖、高台寺開基の三江和尚を開基に迎え開創された寺院です。





元は大徳寺塔頭三玄院が所蔵していた長谷川等伯筆の障壁画です。
三玄院の住職が留守の間に客殿に上がり、一気に描き上げたと言われています。
どう言う経緯がわかりませんが圓徳院に伝わっています。

オリジナルは重要文化財で方丈内に展示されているのはCanonの"綴プロジェクト"で高精細複写技術で複製されたものです。

半永久的に劣化がなくカメラのフラッシュ撮影にも耐え得る素晴らしい技術です。



書院へと向かう所に"宗旦狐"が置かれています。
千宗旦に化けた狐が見事なお手前で茶を点てた逸話は面白いですね。







圓徳院のクライマックス北庭です。
先程も書きましたが、ねねさまが住われた伏見城化粧御殿の前庭をそっくり移築した庭園です。
各大名から寄進された名石が並びます。
しかし、伏見城落城の際に火を浴びているため、脆くなり風化が進んでいるようです。



書院内にも茶席が設けられていますが庭園内の茶室でもお抹茶を頂くことが出来ます。
自然光だけの茶室で頂くお抹茶はまた、格別なものがあります。