京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

鑑真和上創建の唐招提寺②

2021年01月23日 08時10分00秒 | 日記
 唐招提寺の続編です。





礼堂・東室(重要文化財 鎌倉時代)
南北19間の長い建物で南8間が礼堂、北10間が東室(ひがしむろ)です。
元来は僧侶が生活する僧坊でかっては講堂を挟み反対の西側にも同じような僧坊があったようです。
かって、奈良市観光協会の"うまし冬めぐり"企画で内部に入ったことがあります。



鑑真和上も僧坊西室に住われたようです。
残念ながら江戸時代に消失し、礎石だけが残っています。



講堂(国宝 天平時代)
この講堂は平城宮の朝集殿を移築したもので天平時代の宮殿で唯一現像する建物です。
(移築の際、屋根が切妻から入母屋に改められたようです。)

しかし、鎌倉時代の解体修理の際、かなりの改修が行われたようで天平時代の姿から遠ざかってしまったのは残念です。



講堂のご本尊は高さ2.84mの丈六の弥勒菩薩坐像(重要文化財 鎌倉時代)です。
阿弥陀如来さまの丈六仏はよく見ますが弥勒菩薩さまの丈六は珍しいかも知れないですね。(天龍寺塔頭 臨川寺のご本尊さまも丈六の弥勒菩薩さまでした。)







開山御影堂(重要文化財 江戸時代)
元は興福寺の別当坊だった一乗院の遺構を移築したものです。
今の大河ドラマに出てくる室町幕府最後の将軍義昭公はこちら一乗院で出家していました。



10世紀から続く門跡寺院の格式高い建物です。2022年まで修復工事中です。

内部には国宝 鑑真和上が安置され、昭和56年には東山魁夷画伯による障壁画が奉献されています。







東征伝によると和上の亡骸は荼毘にふされ、境内北東の墓所に埋蔵されました。
この静かな聖域に身を置くと命がけで来日され、日本仏教に多大な功績を残された和上の遺徳が偲ばれます。





金堂の西側には戒壇があります。
僧侶の受戒が行われる重要な施設です。かっては戒壇堂の建物がありましたが、文禄5年(1596)の地震で倒壊し、元禄9年(1696)に再建されましたが江戸時代末期嘉永元年(1848)に消失し、以後、再建されていません。

最上部のストゥーパは昭和53年に築かれたものです。





今も天平の息吹を感じることのできる唯一のお寺だと思います。