京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

奈良東大寺④ 二月堂

2021年01月07日 08時37分00秒 | 日記
 東大寺二月堂は三月に行われる修二会(お水取り)が名高く"古都奈良に春を呼ぶ行事"として、この法会(ほうえ)が終わると関西に春が来ると言われ親しまれています。
平成17年には国宝指定されています。







二月堂の修二会は東大寺開山良弁僧正の高弟であった実忠和尚が、天正勝宝4年(752)に始めたものです。

修二会とは旧暦二月に厳修する「法会」と言う意味ですが、われわれが日常犯している様々な過ちを二月堂のご本尊である十一面観音菩薩のまえで懺悔する事を意味します。始められた古代では鎮護国家、国家安寧、天下泰平、五穀豊穣、万民快楽(ばんみんけらく)、要するに人々の幸福を願う行事でした。
それが現在まで途切れることなく続けられているのは驚きですね。

修二会は正式には「十一面悔過(けか)」と言い、治承四年(1180)の平重衡、永禄十年(1565)の三好・松永による兵火で伽藍の大半が焼失した中でも休む事なく千二百年以上にわたり連綿と続けられて来ました。







舞台からは奈良盆地が見渡せます。
特に夕暮れ時の光景は素晴らしく奈良時代にタイムスリップしたかの様に感じます。

二月堂のご本尊さまは十一面観音菩薩さまですが"絶対秘仏"の為、東大寺の僧侶でさえ見た事がないそうです。





江戸時代寛文七年(1667)に二月堂が炎上した際に焼け跡から鋳造の光背の断片が残っており、その大きさや線刻りの図様から類推しても素晴らしい観音立像だと想像できます。
この光背の断片は奈良国立博物館に寄託されており、常設展示ではありませんが"お水取り"の特別展では展示されます。









二月堂にはもう一体観音さまがお祀りされています。(小観音)
普段はお厨子の中におさめられ、そのお姿を見ることは出来ません。
三月七日の日没時、練行衆により内陣より出られ、礼堂に安置されます。
しかし、練行衆でさえ、そのお姿を拝する事は出来ないそうです。


3月1日から14日までの毎日、お松明があがります。これは二月堂へ上堂する練行衆の為の道あかりのためで通常10本のお松明があがります。





12日だけは全ての練行衆が上堂するので11本のお松明があがり、中でも籠松明は長さ約6m、直径は約1mもある大きさです。

このお松明の火の粉を浴びると1年間、無病息災に暮らせると言われています。
以前は二月堂下までいけましたが、最近は安全面を考慮し、立ち入れないように
なっています。

二月堂への裏参道です。
石垣に白壁、土塀と古都奈良を最も感じる風景です。





最後に御朱印を授与して頂き、家路につきました。



南無観(なむかん)の南無とは一生懸命信ずること。観とは観音菩薩のことを意味します。

(一部写真はネットから転載されて頂きました。)