京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

奈良東大寺境内散策

2021年01月13日 06時11分00秒 | 日記
 12月16日、東大寺の秘仏をお詣り後、少し境内を散策しました。







佐保路にある転害門(てがいもん)・国宝です。
平城左京一条大路に面して建っている事から「佐保路門」とも呼ばれ、南北15m、東西7.33m、高さ11mの大きさの門です。





1180年の平重衡(しげひら)の南都焼き討ち、1567年の三好・松永の戦いにも奇跡的にも焼失を免れ唯一残った建物です。







大仏殿を北側から見た写真です。
天平15年(743)、聖武天皇は「一枝の草、一肥の土を持ちて、像を助けむとする情に願はば、恣に之を聴せ」と大仏建立の詔を発せられました。

当時の日本の人口の約半数に当たる延べ260万人もの人々が関わる一大国家プロジェクトでした。

その大仏開眼法要で使われた品々が一部正倉院に伝わっています。
大仏殿の北側に正倉院があります。
毎年秋には奈良国立博物館で"正倉院展"が開催され、当時の華麗な品々が公開されます。
昨年の正倉院展はコロナ拡散防止対策で事前予約制になり、ローソンに行った時には既に全ての日程が完売でした。





開山堂横にある四月堂です。





二月堂前にある"閼伽井屋"(重要文化財)です。
駒札にあるように3月12日(正確には13日午前1時過ぎ)に、こちらにある井戸から御香水を汲み上げご本尊十一面観音さまにお供えされます。









二月堂への裏参道です。
白壁と築地塀の参道は奈良大和路の風情が漂います。
奈良大和路をこよなく愛した写真家・入江泰吉もこの裏参道の写真を多く残しています。









大仏殿中門です。
毘沙門天(多聞天)と持国天が睨みを効かせています。



創建時には大仏殿の南東には高さ100mと言われる七重塔がそびえていましたが今は痕跡だけが残るのみです。



1970年に大阪で開催された万国博覧会では古河パビリオンとして復元されました。
万博終了後は解体されましたが相輪部は東大寺に寄贈され現在、東大寺境内にあります。

ひとつひとつの文化財を見て歩くと東大寺の歴史の深さ、天平文化の華やかさ、その背景にある庶民の貧困、疫病の流行が垣間見えます。