京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

紀州和歌山城

2021年01月01日 08時27分00秒 | 日記
 あけましておめでとうございます。
旧年中はご訪問頂きありがとうございました。
今年も"つれづれなるままに"綴って行きたいと思っています。
よろしくお願いいたします。

昨年の11月16日に紀三井寺のご本尊さまのご開帳に行った帰り、和歌山城を訪ねました。

だいぶん昔に夜桜で行って以来ですのでかなり昔の事ですね。(ただの宴会で当時は関心が無かったです。)






和歌山城は徳川幕藩体制の中、御三家のひとつ、紀州徳川家の居城として知られています。



元和5年(1619)に徳川家康の10男、頼宣が入城し55万5千石の城となりました。





和歌山城は何度も改修を重ねている為に多様な石垣が残っています。自然の緑色片岩を積み上げた野面積みの石垣、荒割り加工の石垣、四角に加工された切石の石垣など築城の過程を見るのも楽しみのひとつです。









天守は再建された建築で内部は博物館になっており、和歌山城の歴史が体系的に展示されています。

しかし、なぜ家康は紀伊半島の端に御三家の居城を構えたのでしょうか?

地理的には陸の孤島の感がありますが、当時の交通は水運が主でした。
四国や九州との水運を考えると和歌山の地理的重要性が分かります。

歴史を振り返れば天正13年(1585)の羽柴秀吉による紀州攻めが始まりになります。
紀州平定後は弟の秀長に築城を命じ、作事は築城の名手として名高い藤堂高虎が当たりました。
改修を重ねて来た和歌山城の特徴的な事は海に通じていた事です。城下だけではなく城の中にまで船が入れる縄張りです。
軍事防衛だけではなく、船での交易で城下が賑わっていた事が想像できます。







最近流行りの御城印を頂き、次に西国三十三所霊場でもある粉河寺へと向かいました。