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「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

I日記

2010年04月21日 | I日記
いま寝ている。昼の3時。昼食の時、生後3ヶ月を祝って、お食い初めを行った。Iがすることはほとんどないのだけれど(ぼくが間違えて口に入れてしまった黒ゴマと赤飯の粒をはき出すことくらい)、こちらはなにやら儀式めいたことをして、また自分たちの食事をして、その間、Iは先述のリクライニング・チェアーに腰掛けてにこにこしていた。Iはかなり早い段階で(一ヶ月前くらいからか)「疎外感」というのをもつようになっている。自分以外別行動していることが気に入らないようで、食事の時間によく泣く。赤ちゃんというのは、案外と孤独で淋しがり屋で、ブルースだ。

2時に妻が仕事に出かけ、2人きりになると途端に泣き出した。発作的な強い泣き方。妻の不在が哀しいのだと思ってあやしていると、簡単に泣きやみそうにない状態になってきた。あわててミルクをつくる。最近は、レンジでお湯をつくるというコツを覚え、早くできるようになった。発作泣きは、ミルクをあげることで解決した。ぐいぐいと飲む。そうか、やっぱり「妻(ママ)」と「ぼく(パパ)」ではなく、Iにとって今のところ2人の違いは「ミルクの出る人」と「出ない人」なのだ。出ない人のことが心配で泣いてしまうのだ。ミルクを与えるとその点の安堵感が生まれるのだろう。「さしあたりミルクの心配なし!」と思っているのだ、きっと。柔らかい表情になって、安心して、寝てしまった。

と、パソコンに向かっていると、「うわーん」と泣き出した。パンダを眺めていたら突然孤独が襲ってきたらしい。あやしてみるが、泣きやむ感じではない。ミルクはあげたばかりだし。では、とおむつを替えてみた。すると、泣きやんだ。よほど気持ちいいのか、うんちのついたお尻を拭く間、Iはたいてい嬉しそうにしている。Iは同じ「泣く」という表現でしか、自分の希望を伝えられない。「ミルク!」のときでも「おむつ替えて!」のときでも、泣くというサインしか出せない。孤独な存在だ。けど、希望が叶えば、こんな笑顔があるのかというくらいの笑顔になって、過去は綺麗に忘れてしまう。

Iが生まれて、ぼくのなかに起きた最大の変化は、未来を考えるようになったことだろう。Iにはともかく未来しかない。現在の彼はまだ、完成されていない製品のようなもので、現在の状態をもって彼がどんな人間なのかを決めることはできない(だから乳児や幼児や子供たちは亡くなってはならないのだ)。Iは未来そのものだというのは、きわめて具体的な話でもあって、彼が二十歳になるときを不意に思い浮かべたとき、六十歳手前の自分というものもおのずと考えさせられた。彼が成人式を迎えたり大学の卒業式を迎えたりするとき、自分はどうなっているのか。ほとんどその日暮らし的にしか生きてこなかったので、そんなことを考える自分に戸惑うということもあるけど。Iがやってきて未来がやってきた。
(2010/4/21)